詩篇57:1-11 『絶体絶命のピンチ』2006/01/08 小西孝蔵

詩篇57篇1-11節
57:1 神よ。私をあわれんでください。私をあわれんでください。私のたましいはあなたに身を避けていますから。まことに、滅びが過ぎ去るまで、私は御翼の陰に身を避けます。
57:2 私はいと高き方、神に呼ばわります。私のために、すべてを成し遂げてくださる神に。
57:3 神は、天からの送りで、私を救われます。神は私を踏みつける者どもを、責めておられます。 セラ神は恵みとまことを送られるのです。
57:4 私は、獅子の中にいます。私は、人の子らをむさぼり食う者の中で横になっています。彼らの歯は、槍と矢、彼らの舌は鋭い剣です。
57:5 神よ。あなたが、天であがめられ、あなたの栄光が、全世界であがめられますように。
57:6 彼らは私の足をねらって網を仕掛けました。私のたましいは、うなだれています。彼らは私の前に穴を掘りました。そして自分で、その中に落ちました。 セラ
57:7 神よ。私の心はゆるぎません。私の心はゆるぎません。私は歌い、ほめ歌を歌いましょう。
57:8 私のたましいよ。目をさませ。十弦の琴よ。立琴よ、目をさませ。私は暁を呼びさましたい。
57:9 主よ。私は国々の民の中にあって、あなたに感謝し、国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。
57:10 あなたの恵みは大きく、天にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶからです。
57:11 神よ。あなたが、天であがめられ、あなたの栄光が、全世界であがめられますように。

1-荒野からの生還-
新年の抱負は?
・家族の夢は? 私の抱負の一つは、家で大きな声を出さないこと
・ 35年前の自分・・・将来の夢は、弁護士になることだったのが、自分に向いていないこと、人と背比べしている自分の醜い罪に気づかされて、挫折。人生が空しく感じられて、放浪の旅に出る。その後、キルスト教の寮に入り、信仰の恩師、先輩に出会い、信仰を与えられる。
・人生の荒野をどう生きる。
ダビデの歩みと信仰告白を通して学んでみたい。
ダビデの子孫がイエスの父ヨセフ・・・ダビデはイエスを指し示している

2.ダビデの勝利とサウル王の嫉妬(サムエル13~18章)
・ サウル王の神からの背き(サウル王は紀元前1000年頃イスラエル最初の王)
・ エッサイの子、羊飼いのダビデがイスラエルの王として神に選ばれる
・ 悪霊に悩まされていたサウルは、立琴の弾き手としてダビデを登用
・ ダビデは、ゴリアテを倒し、ペリシテ人を打ち破る
・ 「サウルは、千を打ち、ダビデは、万を打った。」とサウルは聞いて猜疑心を抱く
・ それ以来、サウルは、ダビデの命を付けねらう

3. ダビデの逃避行(サムエル19~24章)
―― 源頼朝に追われた義経の北陸・奥州逃避行を連想

・ ギベア→ラマ→ノブ→ガテ・・・ ペリシテ人に捕らえられそうになる。気違いの
ふりをして逃れる
・ ガテ→アドラム→モアブ・・・・ダビデの「ひおばあさん」ルツの出身地モアブ
(アブラハムの甥ロトの子孫)に両親を預ける
・ モアブ→ケイラ・・・・神の命令に従い、サウルに追われながら、ペリシテ人を
打ち住民を助ける
・ ケイラ→ホレシュ→マオンの荒野・・・サウルと山一つ隔てて対峙、危機一髪の所
ペリシテ人の侵入の知らせでサウルは引き返す
・ マオン→エンゲディの荒野
死海のほとり、ダビデの滝、現在はキブツがある
サウルは、3千人の精鋭を集めて迫り絶体絶命のピンチ
サウルは、ダビデの隠れていた洞穴に用を足しに入る
ダビデは、サウルを殺す絶好のチャンスであったが、「主に油を注がれた方に手を下すことなど絶対できない」としてサウルの命を救う
しかし、サウルは、ダビデに対する追及の手を緩めなかった

4.詩篇57篇
・ダビデの神に助けを求める叫びと信仰による勝利の歌が詩篇57篇
・詩篇149篇中表題でダビデの詩とされているもの73篇(約半分)
全体が賛美の書
(1-3節)荒野にあって神に助けを求める叫び
(4-6節)自分を窮地に追い込む敵の激しい攻撃
(7-11節)神の恵みと真実に対する感謝と神の栄光に対する賛美

1)叫び求める

(1-2節)「神よ私を哀れんでください」(2回繰り返し)「神に呼ばわります」
サウルに命をねらわれて無力のどん底。ただ神を仰ぐのみ。
「あなたに身を避ける」「御翼の影に身を避ける」
どんな時でも神様に身を委ねる
詩篇18篇2節「主は、我が巌、我がとりで、我が救い、身を避ける岩、
我が神、わが盾、わが救いの角、わがやぐら」
(3節)「神は、天からの送りで私を救われます。」
「神は、恵みとまことを送られる」(God shall send forth his mercy and truth.)
神様は、絶望的な状況でも変わらない愛の御手をもって救い出して下さる
詩篇18編6節「主は、いと高き所から御手を伸べて私を捕らえ、私を大水から引き上げられた」
・ 私のサラリーマン人生30年、もうだめだという時が何回も会った。無力のどん底にあったとき、神様は祈りに、叫びに答えて具体的な助け手を送ってくださった。

2)敵の攻撃

(4節)「獅子の中にいます。」「人の子らを貪り食うものの中にいる。」
サウルの攻撃は、獅子のように激しさを増している。
(5節) 「あなたの栄光が全世界であがめられますように」
窮地に立たされても神様への信頼を失わず、主の栄光をたたえている。
(6節) 「彼らは、私の前に穴を掘りました。そして、自分で、その中に落ちました。」
サウルが、ダビデの隠れていた洞穴に入ってきて、文字通り「墓穴」を掘ってしまった。

・敵に立ち向かって下さるのは、神様である。そして、本当の敵は、自分の心のうちにある。自分の弱さであり、そこに付け入るサタンの働きである。神の武具で戦うしかない。

・第1ペテロ5章8節「あなたがたの敵である悪魔がほえたけるししのように食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。堅く信仰に立ってこの悪魔に立ち向かいなさい」
・エペソ人への手紙6章11節「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神の全ての武具を身に着けなさい。」

・絶体絶命のピンチは、いろんなときに起きる。
――病気(教会での祈り)
――仕事(特に男性にとってしばしば。倒産の危機、リストラ、人間関係等)
――夫婦関係(熟年離婚)
――親子関係(子供の自立と親子の断絶の危険性)
・・・・子をもってわかる親の気持ち、天のお父様の気持ち
お金が欲しい。危険を顧みず、冒険してみたい。テレビのバラエティ番組に熱中・・・
親として、何が今必要なのか言い聞かせる。厳しさと寛容さの兼ね合いが難しい。
神様は、恵み(愛)とまこと(義)とを兼ね備えておられる。神様に祈ることが大事

・試練のない人生はない。人間は地上のものばかりに目を奪われる。神様は試練を通して、我々の心を神様に向けさせようとされる。

・第2コリント4章7-10節「私たちは、四方八方から苦しめられますが,窮することはありません。途方にくれていますが、行き詰まることはありません。迫害されていますが、滅びません。いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスの生命が私たちの身において明らかに示されるためです。」

3)賛美

困ったときの神頼みでは試練が去ったときすぐ忘れてしまうことが多い。
・・・企業の仕事始めに神田明神で3千社(昨年2千社)が商売繁盛祈願
キリスト教はご利益宗教ではない
ダビデは、どんな時にも、弱いときでも、罪に苦しむときでも、常に神に感謝し、
心から主を賛美している。ダビデの詩篇のうち大半が賛美の歌(73のうち50以上)

(7節)「私は、うたい、ほめ歌を歌いましょう。」
(8節)「立琴よ。目をさませ。」
(9節)「あなたに感謝し、・・・あなたにほめ歌を歌いましょう。」
(10節)「あなたの恵みは大きく、天にまで及び、あなたのまことは、雲にまで及ぶからです。」・・・3節の約束「神が恵みとまことを送られる」が成就
(11節)「あなたの栄光が全世界であがめられますように」・・・5節の繰り返し
神様の栄光が現れることが我々の人生の最終目的
・ ダビデは、契約の箱が敵の手から戻ったときも歌い踊った。
・ 「常に喜びなさい。絶えず祈りなさい。全てのことに感謝しなさい。」
(第2テサロニケ5-16~18)
・ 朝起きたとき、散歩しているとき、食前のひととき、職場に入るとき、家に帰るとき、寝るとき、常に「主よ感謝します」と唱えるよう心がけています。

5.すべてにおいて感謝できますか。
――絶望的な状況、全てを失ったときでも感謝できますか

韓国の女性 イ・チソン
・・・「チソン、愛してるよ」「きょうも幸せです。」(アスペクト社)

・2000年7月30日 23歳女子大生の彼女が追突事故に会い、全身の55%火傷
死線をさまよった。5年間に14回、一回が10時間以上に及ぶ手術を受けた。
美しかった顔が元の面影をとどめないくらいに焼き尽くされ、痛みも地獄のような苦しみを味わった。
・彼女にとって、この世の望みは、全て失われ、自分を救出してくれた兄に対して「私を殺して、こんなになって生きていけない」と叫んだ。
・彼女は、絶望の中でこう祈った。「神様、わたしをどうなさるおつもりなんですか?・・・どうか助けて下さい。私を助けてください。」
・そんな彼女に神様は、こう答えてくださいました。「チソン、わが愛する娘よ、お前をこの世の中の真ん中に立てて上げよう。苦しみ悩んだ者たちへの希望のメッセージにしてあげよう。」

・彼女は、数年後のイースターのときにこう語っています。
「私の苦しみとは、比較することもできない十字架の苦痛に耐えたイエスさま・・・
イエスさまの苦難は、わたしのためだと、おっしゃいました。釘付けにされ、
槍に突かれ、血を流し、人々の蔑視に耐えて沈黙を守ったイエスさまの苦難は、わたしのためだと、おっしゃたのです。・・・その愛より大きな慰めはありません。イエスさまの命がその苦難によって終わりとなったのなら、わたしもここで絶望するしかありません。でも。イエスさまは、誰も打ち勝つことのできない死に勝ったのです。」

・彼女は、今ボストン大学大学院でリハビリテーション・カウンセラーの道を歩んでいる。彼女は、こう語っています。「イエスさまの十字架の苦難が、この世のどんなものをもってしても慰める子とのできないわたしの心を癒してくれました。イエスさまが流した血と涙がわたしの涙を拭いてくれました。わたしも誰か痛みに耐えている人にとってそんな人になりたいと思います。わたしの痛みによって、ほかの人の痛みを理解し、抱きしめるようになりたいと願っています。」
・ 私には想像を絶するイ・チソンさんの苦難とそれに耐える力と新しい希望を与えてくださる神様の愛の深さにただ心を打たれるばかりです。

6.神の恵みに感謝

・健太郎先生の「ヨハネによる福音書」の講話から教えられた神の愛
――「神は、実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された」(3章16節)
――旧約聖書の預言どおりに、ダビデの子孫からキリストが生まれ、人間の弱さ、貧しさの中に、救い主としてこられた。そして、十字架にかかって我々の罪の身代わりになって死んでくださった。そこに神様の無限の愛がある。

絶体絶命の窮地にあって、主を仰ぎ、主に依り頼んで救い出されたダビデ。
今日はあまり触れなかったが、ダビデにとって最大の汚点はウリアの妻バテシバとの不倫。その罪を赦しを主に請うている。「神よ、御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かな憐みによって私のそむきの罪をぬぐってください。」(詩篇51篇)
ダビデは、人間としての弱さの中で主を仰ぎ、主に感謝をささげている。
私たちは、ダビデとは時代や環境においてとても比較にならない生活を送っていますが、信仰の持ち方においては、同じようでありたい。

・私たちも、新しい年を迎え、神様からどれほど多くの恵みをいただいているか思い越して日々主に感謝をささげましょう。苦しいときも、順調にいっているときも、つねに、キリストの深い愛を心に受け入れ、神様の栄光をほめたたえましょう。ピリピ人への手紙第4章4節にある「いつも主にあって喜びなさい。もう一度いいます。喜びなさい。」

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