マタイ2:1-12 『 喜びの訪れ⑤~その星を見て 』 2012/12/23 松田健太郎牧師

マタイ2:1~12
2:1 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
2:2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」
2:3 それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。
2:4 そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
2:5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。
2:6 『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』」
2:7 そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。
2:8 そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」
2:9 彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。
2:10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
2:11 そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。
2:12 それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。

飛行機のパイロットは、あれだけ科学技術を結集した飛行機を操縦するわけですから、色々な事を学ばなければなりません。
色々な計器や機械に囲まれて、すべての操作方法を知っていなければならないのですが、その中で彼らが学ばなければならないひとつの事があります。
それは、星を見て自分の位置を把握する技術なのだそうです。

船舶を動かす人々も同じですね。
彼らは普段からも、計測器で自分の目を使って、位置を確認しながら船を進めていきます。

あんなにたくさんの計器に囲まれていて、これだけレーダーの技術が発達していても、最終的に頼りになるのは、壮大な自然の中にある星から自分の位置を割り出すという、何千年も前から使われてきた方法だというのです。

今から2000年前、東方の博士達は、今までに見た事もない、美しく輝く不思議な星を見つけました。
「あれは、ユダヤの王様がお生まれになった事を告げる星だ。」「王様を拝みに行こう。」
そうして、博士達がひとつの星を目指して歩む旅が始まったのです。

私達の人生には、方向を見失って、自分がどこにいるのかわからなくなってしまう時があります。
そのような時に、何千年もの間人々が星を見て自分の方向を確認する事ができたように、揺るがないものを持っている人の人生はどれほど素晴らしいものでしょうか。
東方の博士がその星を見出せた事によって、世界の王の誕生を目にする事ができたように、皆さんが今日、ご自身の中に揺るがない星を見出す時となることを心から祈ります。

① 変わらないものを基準にする
現代は、本当に確かなものがない時代です。
「絶対に安全。絶対に大丈夫。」と言われていた原発が震災と津波によって大惨事となってから、私達はその事をますます実感するようになったのではないでしょうか?
テレビで言っていたから、医者が言うんだから、学者先生が言うんだからと言って信じていると、しばらくして実は間違っていたという事がわかったりします。
結局、何を信じていいのか分からないのが現代を生きる私たちが直面している問題ではないでしょうか?

パイロットや船乗り達が星を使って自分の位置を探る時に、必ず最初に探す星があります。
それは、北極星です。
北極星は地球の自転の影響を受けず、どの時間でも必ず同じ位置にあるからです。
時と共に場所が変わってしまうような物では、基準とはなりません。
動かない北極星を基準にするからこそ、彼らは自分の位置を確認できるわけです。
私達も、常に変化するものではなく、決して動かないものを人生の基準として置かなければなりません。

聖書にはこのように書かれています。

詩篇 102:25 あなたははるか以前に地の基を据えられました。
天も、あなたの御手のわざです。
102:26 これらのものは滅びるでしょう。
しかし、あなたはながらえられます。すべてのものは衣のようにすり切れます。
あなたが着物のように取り替えられると、それらは変わってしまいます。
102:27 しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。

私達は決して変わらないお方、神様を基準に置くべきです。
私達が神様を拠りどころとする事ができた時、私たちに足りないものが何なのか、私達が手放すものは何なのか、全てを知る事ができるのです。

また、この様にも書かれています。

イザヤ 40:8 草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」

聖書は、これまでの歴史の中で厳重な、保護の下で伝えてこられた書物ではありません。
聖書が完成するまでにおよそ2000年、聖書が今の形として完成してから2000年、時には神の御言葉としての正当性を問われ、時には激しい迫害の中を何度もくぐり抜けてきました。
それでもこれまで、手が加えられることなく生き残ってきたのは、聖書が真に神の御言葉である事の証です。
この世の全てのものが変わり、廃れ、滅んでいっても、神の御言葉は永遠に立つ。

賢い人は、崩れやすい砂の上ではなく、しっかりした岩の上に家を建てるようとイエス様は言いました。
それと同じように、私達は決して変わらず、いなくなることのない神様と、その御言葉を拠りどころとするべきではないでしょうか。

② 目を離さない
2番目のポイントは、一度拠りどころを見つけたら、そこから目を離さないという事です。
東方の博士達が輝く星を目にした時、彼らは決してそこから目を離しませんでした。
「あ、こっちの星もきれいだな。」「あの星の方が、素晴らしいかもしれない。」と目移りしていたら、彼らは決して御子イエス様の元にたどり着く事はできなかったでしょう。
ところが私達は、信仰生活の中でそれをやってしまいがちなのです。

私達の生きるこの世界は、誘惑で満ちています。
2000年前は、東方の博士が目にした星は何よりも明るく輝いていました。
しかし現代は、ネオン街の向こう側にかすかに光る星を見出すかのように、神様だけに目を留めておく事が難しくなっています。

もっと楽しい事、もっと価値があると思える事、もっと素晴らしいように見える事が世の中にはいっぱいあるからです。
それだけではなく、この社会で生きていくための必要だと思える事も、時に私達の脚を引っ張る事があります。
周りの人たちの視線であったり、会社の評価であったり、時には自分の家族が、私達の目を輝きからそらせてしまうのです。

もちろん、この世のものを全て捨て去るべきだと言っているのではありません。
しかし、最も大切なものが何なのかという事は、いつも心の中に留めておくべきなのです 。
周りで何かが起こるたびにその事に目を取られていたのでは、結局その度に振り回される事になって、やがて一番大切な星がどこにあったのかを見失ってしまうでしょう。

どんな時でも、どれだけ状況が変わっても、最も大切なものは決して変わりません。
私たちにとって最も大切なものは、天のお父様との繋がりです。
私達は永遠の愛で愛して下さる神様を信じて、そのつながりを大切にしましょう。
周りのものがどれだけ大切に思えるときでも、もっと華やかなものを目にしたとしても決して惑わされず、いつでも神様から目を離さないでいただきたいのです。

③ 星の下へ
今日最後のポイントは、御子に会いに行くという事、つまり実行に移すという事です。
東方の博士が不思議な星を見つけた時、「どうもあっちの方で、ユダヤの王が生まれたらしいよ。」「へぇ~そうなんだ。よし、俺達も頑張ろうぜ。」という事で終わっていたら、それはただの他人事に過ぎないわけです。
博士達はそこに王が生まれる事を知った時、自ら贈り物を手にして崇めに行きました。
それは、王を王として認め、王として扱うということです。
いや、それ以上のことだったでしょう。
その時御子は、単にユダヤの王ということに留まらず、この東方の博士の王ともなったのですから。

クリスチャン人口1%未満などと言われる日本ですが、駅前に行けばクリスマス・ツリーが飾られ、どのお店でもクリスマス一色に飾られています。
デパートに行けば賛美歌を始めとするクリスマス・ソングが流されています。
一見、日本中の人々がクリスチャンになってしまったかのような印象さえ受けるかもしれません。
しかし、ほとんどの人々はお祭り騒ぎが好きなだけで、キリストは関係ありません。
ほとんどの人にとって、王とは自分の事であり、自分自身が自分の神なのです。

私達にとって御子に会いに行くというのは、御子を王として認め、従うという事です。
それは、私たち自身が支配してた自分の王座を降り、神様に支配していただくと言う事でもあります。

幸いな事ですが、私達の神様は専制君主的に私たちを支配し、パワーと恐怖でコントロールするような方ではありません。
私たちに豊かな愛と恵みを注いで下さるお方です。
私達が神様の愛と恵みの支配の中に入る時、私達はこの世の出来事に振り回されて悩む事もなく、揺らぐ事のない魂を手にする事ができます。

皆さんは、神様の永遠に変わる事のない愛を、心の拠り所として持っているでしょうか?
そこから目を離すことなく神様の恵みに近づき、それを自分のものとする事ができているでしょうか?

2000年前、東方の博士達が輝く星に導かれてたどり着いた先で待っていたのは、ひとりのみどり児でした。
弱々しく、飼い葉おけに寝かされて眠る無邪気な様子からは、その子こそ人々を救いへと導く世界の王、神のひとり子、救い主、イエス・キリストであるなどと誰にも想像することはできなかったことでしょう。
しかし博士達は星の指し示す御子イエスの前にひざまずき、それぞれが持ってきた贈り物、黄金、乳香、没薬を捧げたのです。

皆さんがクリスマスツリーのてっぺんに星を見る時、その星が指し示しているのはキリストなのだということを思い出して下さい。
皆さんが、今年も素晴らしいクリスマスを過ごされますように・・・。

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