ルカ15:11-24『子供たちを愛するために』2005/11/13 松田健太郎牧師

ルカ 15:11 またこう話された。「ある人に息子がふたりあった。
15:12 弟が父に、『おとうさん。私に財産の分け前を下さい。』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。
15:13 それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。
15:14 何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。 15:15 それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。
15:16 彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。
15:17 しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。
15:18 立って、父のところに行って、こう言おう。「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。
15:19 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』
15:20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。
15:21 息子は言った。『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』
15:22 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。
15:23 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。
15:24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。

今日は子供祝福式をするということで、ヨハネによる福音書のシリーズを少しお休みして、子供に関するお話をすることにしました。
ところが急な思い付きだった事と、ほかの事に時間をとられ過ぎてしまった事のために準備が十分にできず、とても説教とは呼べるような状態ではないままで今日お話しなければならないことをお許しください。
説教と言うよりは証しに近いものですから、そういう意味では気を楽にして効いていただければいいだろうとも思います。

今日はべスの個人的な用事で連れてくる事はできませんでしたが、子供の話題になるとどうしても娘のことに考えがいってしまいます。
1年と少し前に生まれたばかりの奈緒美ですが、この一年振り返って見ても、本当に多くの変化がありました。
寝かしたらそのままの状態で寝ていることしかできなかった子供が、やがて寝返りを打つようになり、ハイハイして、立ち上がり、歩くようになりました。今では走ってお父さんから逃げたり、音楽に合わせて踊るようにもなりました。
しぐさや表情もどんどん変わりますね。
心の中でもものすごい変化が起こっているのでしょう。泣く事しかできなかった赤ん坊が、怒ったり、笑う事を覚え、はっきりした言葉ではないけれどコミュニケーションをとり始めています。
生まれた頃と比べたら、全く別の生き物なのではないかと言うくらい、すでに変化があったと思います。
外で手を繋いで散歩をしていると、色々な方が声をかけてくださいます。
でも、「今が一番可愛い時ですよね~。」とか、「これからが大変ですよ~。」とか、何だか僕を不安にさせるような言葉ばかり聞くような気がします。
きっとそうなんでしょうね。
人が成長して大人になっていく過程というのは、本当に大変なものだと思います。
大人である私達には、肉体的に大きくなっていく様子しか見ることはできませんが、子供たちの心の中での成長がいかに大変かということは、僕たちが子供の頃、特に10代に入ってからの精神状態を考えたら、本当に大変な事なんだということが判りますよね。

自分が成長する過程で一番苦しんだのはどういう部分だったかと考えた時、僕にとっては自立するということが一番難しかったと思います。
自立と言うのは別に経済的な事をいうわけではなくて、精神的な部分での事です。
というのは、家は比較的厳しい家庭でしたから、色々なルールに従わなければならなかったんですね。家にいて、そのルールに従わなければならなかった時にはすごく嫌で、友達はもっと自由にさせてもらっているのに、どうして僕はこのように縛られなければならないのかといつも苦しんでいました。
しかし、やがて大学にいって親元から離れると、今まで僕を縛っていたルールから解放されて自由になりました。
しかしそうした時に、僕のたががはずれてしまったんですね。
その経験を通して、僕はそれまで自分が嫌っていたルールが、僕を守るためにあったということが判りました。
道徳的な事に関してもいくつか問題がありましたが、実際に一番僕が苦しめられたのは健康面だと思います。
食事のバランスは偏るし、食べる事すらしないこともしょっちゅうありました。夜はいつまでも遊び歩いていたので朝は起きる事ができず、授業に遅刻したり休んだりする事もたびたびでした。また、徹夜で友達と話をしていることも当たり前のようにありましたから、いつも寝不足か、昼夜が逆転している状態でした。そんな環境ですから、健康を崩してしまうのも当然ですね。
親元を離れた後も家庭の中にあったルールを守り続けていれば、健康を害する事はなかったかもしれませんが、それだけの問題ではありません。
それは家庭のルールだけでは収まりきらないものがたくさん大人の社会にあるからです。
それまでどちらかと言えば過保護に育てられてきた僕が、家庭の枠から外に出された時に感じたのは、今まで可愛がって来られてきた飼い猫が、突然海の真ん中に放り出されたような感覚でした。
自立の経験の中で他の経験をする人もいます。
ある友人は、親の支配からの自立のために反抗し、両親とけんかし、今でも仲直りできていない状態です。
ある友人は、家の中の居心地が良すぎるのか、親の支配があまりにも強かったのか、自立する事ができずに、今でも他の人との人間関係をうまく築く事ができないまま、両親と同居しているような人もいます。
人間にとって、自立するということはきっと自然な事なのでしょう。
誰もが色々な形で自立への道を経験するのですが、私達は時々、自立の意味を取り違えてしまうのです。
子供が、自立とは親から離れる事だと思って、両親との関係を修復できないほどに壊してしまったり、子供が自分から離れていく事を受け入れられない親は、あらゆる手段を尽くして子供を自分の元に留めようとしてしまいます。
正しい形で自立できれば、自立した後でも親しい親子関係を保っていく事ができます。
親から自立するということは、親と断絶するということではなくて、親に依存しなくても生きていけるようになることだと思います。

これから読むお話は、アメリカの話ですから、皆さんにはあまりリアリティーが感じられないかもしれません。ですが今、日本でも起こり始めていることですし、私たちの子供が大人になる頃には当たり前のようなことかもしれません。
ショッキングな話かもしれませんが、起こりえることとして、皆さんに聞いていただこうと思います。

ミシガン州トラバース・シティのすぐ上にあるサクランボ園で少女は成長した。両親はいささか旧弊で、彼女の鼻につけたリングや聞いている音楽、スカートの長さに過剰な反応を示した。娘を外出禁止にしたことが幾度かあり、そうすると彼女の心は激しく湧き立った。「大っ嫌いよ!」口論の後、父親が部屋のドアをノックすると彼女は叫んだ。その夜、彼女は頭の中で何十回も練習してきた計画を実行に移した。逃げ出したのである。
デトロイトには以前、教会の青年グループと一緒にバスでタイガースの試合を見に一度だけ行ったことがあった。トラバース・シティの新聞はデトロイト中心部のギャング、麻薬、暴力について恐ろしく詳細に報じていたため、両親が自分をデトロイトで捜す事はまずないと結論した。カリフォルニアやフロリダなら考えられない事もないが、デトロイトは大丈夫だ。
デトロイトで二日目、彼女はみたこともない大きな車を運転している男性に出会う。彼は彼女を車に乗せ、昼食を買い、彼女の泊まる場所を手配する。彼は今までにないような良い気分になる丸薬を彼女に与える。自分はずっと正しかったのだ、と彼女は思った。両親は私をあらゆる楽しい事から遠ざけていたのだ。
すてきな生活は一ヶ月続き二ヶ月続き、一年に及んだ。大きな車を持った男――彼女は「ボス」と呼んでいる――は彼女に、男の好きなことをいくつか教える。彼女は未成年なので、男達は割増料金を払う。彼女はペントハウスに住み、いつでも好きなときにルームサービスが頼める。故郷の人のことを考える事もあるが、彼らの生活はあまりにも退屈で野暮ったく、自分がそこで育ったなんて信じられないくらいだ。牛乳パックの後ろ側に印刷された自分の写真には「この子を見ませんでしたか」という見出しがついていて、それを見ると少しこわくなる。しかし今の彼女は髪はブロンドで、化粧をし、ボディー・ピアスをしているから、誰からも子供と間違えられる事はない。その上、友達はほとんどが家出人だから、デトロイトには密告する人などいない。
一年後、病気の最初の徴候が顔色の悪さとなって現れると、ボスは急に意地悪くなり、彼女を驚かせた。「今どき無駄な時間を過ごしちゃいられないんだ。」彼が腹立たしそうにそう言うと、彼女はあっというまに一文なしで路上に放り出されていた。それでも一晩に何人か客をとったが、あまり多く払ってもらえなかった。そうして得た金は全部自分の習慣を続けるために使われた。冬になって北風が吹きつけると、彼女はいつのまにか大きなデパートの外にある鉄格子にからだをつけて眠っていた。「眠っている」という言葉は正しくない――十代の少女は夜のデトロイトの繁華街で警戒心をゆるめることなどできないものだ。彼女の目の周りには黒いくまができていた。咳もひどくなっていた。
ある夜彼女は目を覚ましたまま横になって足音を聞いていたが、突然自分の人生の何もかもが違った風に見えた。自分は一人前の女性ではない感じがした。寒くて恐ろしい街で迷子になった小さな女の子のような感じがした。彼女はしくしく泣きだした。ポケットはからっぽでおなかもすいていた。緊急の治療が必要だった。彼女は足をからだの下にしっかりと引き寄せ、コートの上から新聞紙にくるまって震えていた。何かが突然記憶の連接部を呼び覚まし、心の中にイメージが広がった。トラバース・シティーの五月、百万本もの桜がいっせいに花を開く。ペットのゴールデン・レトリバーがテニス・ボールを追いかけて、花をつけた何列もの桜の木の間を走っていく。
「神様、どうして私はあそこを離れたんでしょう。」ひとり言を言うと痛みが心を突き刺した。「家の犬だって、今の私よりはましな食事をしているんだわ。」むせび泣いていると、たちまち何より家に帰りたがっている自分に気がついた。
電話を続けて三回かけたが、三回とも留守番電話につながった。最初の二回はメッセージを残さずに電話を切ったが、三回目にはこう言った。「パパ、ママ、私です。家へ帰ろうかと思っています。そちらへ向かうバスにこれから乗ります。明日の夜中に着くと思います。もしもパパたちが見えなかったら、ええと、バスを降りずにカナダへ行くつもりです。」
デトロイトとトラバース・シティの間の停留所全部にバスが止まるとだいたい七時間かかるのだが、その間に自分の計画の欠陥がわかった。両親が待ちの外に出ていてメッセージを聞いていなかったらどうするのだ。もう一日かそこら、両親と話ができるまで待つべきだったのではないか。家にいたとしても、両親は彼女はずっと前に死んだものと思っていたかもしれない。両親がショックから立ち直る時間をいくらか与えるべきだったのでhないか。
彼女の考えはこうした思い煩いと、父親に言おうと準備している言葉の間を行ったり来たりしていた。「パパ、ごめんなさい。私が間違っていました。パパのせいじゃないわ、みんな私が悪いの。パパ、赦してくれる?」この言葉を何回も繰り返したが、練習なのにのどがこわばった。もう何年も人に謝ったことがなかったのだ。
バスはベイ・シティからライトをつけて走っていた。何千ものタイヤ、そしてアスファルトの蒸気にこすられてすり減った車道を、小さな雪片が叩く。鹿が道を横切り、バスは急カーブを切る。あっちにもこっちにも大型の広告版がある。トラバース・シティまでの距離を知らせる標識だ。「おお、神さま。」
エア・ブレーキのしゅーっという抵抗音を響かせてバスがついに駅にすべり込むと、運転手はマイクに向かってはじけるような声でアナウンスする。「皆さん、十五分間ですよ。十五分だけここに停車します。」人生を決定する十五分。彼女はコンパクトの鏡で顔を調べ、髪の毛をなでつけ、歯についた口紅をなめて落とした。指先についたタバコのしみを見て、両親はこれに気づくだろうかと思った。ここに来ていたらの話だが。
彼女は何が待ち受けているか知らずにターミナルに入った。心の準備をするために頭の中で一千もの場面を演じてきたのだが、一つも役に立たなかった。ミシガン州トラバース・シティのコンクリート壁とビニール椅子をしつらえたバス・ターミナルには、総数四十人の兄弟姉妹、大おばさんにおじさんにいとこ、おまけに祖母や曾祖母までが立っていた。みんなまぬけな格好のパーティハットをかぶり、笛をピーピー吹き鳴らしている。そしてコンピューターで作った「お帰りなさい!」の横断幕が、ターミナルの壁の端から端までかけられている。
温かく迎える人々の中から父親が現れた。彼女は目の中でゆらゆらしている熱い水銀のような涙の向こう側を見つめ、覚えてきたスピーチを始めた。「パパ、ごめんなさい。私・・・・。 」
父親は彼女を押しとどめた。「しっ。そんなこと言っている暇はないんだよ。謝っている時間なんてないんだ。パーティに遅れてしまうよ。家でおまえのためにパーティを開くところなんだ。」
フィリップ・ヤンシー『だれも知らなかった恵み』より

途中で気がついたかたもいらっしゃると思いますが、今の話は先ほど読んでいただいた聖書箇所の現代版の話です。
聖書の中に描かれた話ということではなく、少しでも自分自身のこととして感じていただきたくて、シチュエーションとして置き換えやすい現代版を紹介してみました。
感動はするけれどリアリティのない話だとは思いませんか? 現実ならこんなエンディングにはなりません。
それなのに、この話が私達にある種の感動を与えるのは、私達がその様に受け入れてもらいたいと思っているからです。
そして私達が、神様にそのように扱われているからです。
私達人間も、自立する事を神様から離れる事だと勘違いして、神様との断絶を選んでしまいました。
それぞれの生活の中で苦しみ、絶望し、満たされない思いをもって、生きてきましたが、人生のどこかでキリストと出会い、神様が私たちの父だということを受け入れました。
その時に神様は、私たちを責める事はしませんでした。
そればかりではない。私達が救われたその日、その時、神様は喜び踊り、天使は勝利のために叫んで天国が揺れたのです。

私達が子供をどう育てるか以前に、まず私達が子供です。
私たちの両親が私たちを愛してくれ、私たちを創造した、天のお父様である神様が私たちを愛してくれています。
私達は人生の先輩として、子供たちに伝えなければならない事、教えなければならないことがたくさんあります。その一方で、人間としては同じ神様にある神の子として、ともに歩んでいくということも必要ではないでしょうか。

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