詩篇33:1-22 『 展望なきところにある希望 』 2012/01/01 松田健太郎牧師
詩篇33:1~22
33:1 正しい者たち。主にあって、喜び歌え。賛美は心の直ぐな人たちにふさわしい。
33:2 立琴をもって主に感謝せよ。十弦の琴をもって、ほめ歌を歌え。
33:3 新しい歌を主に向かって歌え。喜びの叫びとともに、巧みに弦をかき鳴らせ。
33:4 まことに、主のことばは正しく、そのわざはことごとく真実である。
33:5 主は正義と公正を愛される。地は主の恵みに満ちている。
33:6 主のことばによって、天は造られた。天の万象もすべて、御口のいぶきによって。
33:7 主は海の水をせきのように集め、深い水を倉に収められる。
33:8 全地よ。主を恐れよ。世界に住む者よ。みな、主の前におののけ。
33:9 まことに、主が仰せられると、そのようになり、主が命じられると、それは堅く立つ。
33:10 主は国々のはかりごとを無効にし、国々の民の計画をむなしくされる。
33:11 主のはかりごとはとこしえに立ち、御心の計画は代々に至る。
33:12 幸いなことよ。主をおのれの神とする、その国は。神が、ご自身のものとしてお選びになった、その民は。
33:13 主は天から目を注ぎ、人の子らを残らずご覧になる。
33:14 御住まいの所から地に住むすべての者に目を注がれる。
33:15 主は、彼らの心をそれぞれみな造り、彼らのわざのすべてを読み取る方。
33:16 王は軍勢の多いことによっては救われない。勇者は力の強いことによっては救い出されない。
33:17 軍馬も勝利の頼みにはならない。その大きな力も救いにならない。
33:18 見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。
33:19 彼らのたましいを死から救い出し、ききんのときにも彼らを生きながらえさせるために。
33:20 私たちのたましいは主を待ち望む。主は、われらの助け、われらの盾。
33:21 まことに私たちの心は主を喜ぶ。私たちは、聖なる御名に信頼している。
33:22 主よ。あなたの恵みが私たちの上にありますように。私たちがあなたを待ち望んだときに。
あけましておめでとうございます!
クロスロード・インターナショナル葛西教会の初詣にようこそ!
去年は日本にとって大変な一年でした。
でも今年は、全てを一新して素晴らしい年となるように心から祈ります。
皆さんは、今年の目標などを立てましたか?
以前はこの教会でも皆さんの抱負などのために祈った事がありました。
一年の目標を立てる事は、それはそれで良い事だと思います。
でも、今年はあえてそれとは逆の方向で考えてみようと思うのです。
それは、僕が昨年であった多くの人達が抱えていた絶望が原因になっています。
多くの人達が抱える絶望的な思いは、自分の未来の展望が崩れた時に起るというのが、昨年僕が経験した事だからです。
まぁそれが一年の抱負とは直接関係がないのですが、自分の考えや目標に焦点を当てるのではなく、神様の声に耳澄ませる事を優先的に、それを一年の目標にするべきではないかと思ったのです。
わたし達は色々な事を計画します。
そして、その計画の中に展望があるから、安心して暮らす事ができるのです。
でも、わたし達の人生は必ずしもその計画通りにはいきません。
職場が突然なくなる事もあります。
配偶者が突然病気になる事もあります。
大きな災害が起って、全ての持ち物を失う事もあるのです。
僕が知る限り、ほとんどの人達が抱える悩みは、「人生が思い通りにならない」という事に根差しています。
皆さんの悩みも、実はそのような事が根っこにあったりはしないでしょうか?
でも、わたし達が覚えておく必要があるのは、“人生は基本的にはわたし達の思い通りにはならない”という事です。
なぜなら、わたし達は神様ではないからですね。
考えてみれば当たり前の事ですよね。
でも、わたし達全ての人が持っている罪の根っこにあるものは、「自分が神の様になる。」という事ですから、神様のような全能感を求める性質を、わたし達は持っているのです。
聖書にはこの様に書かれています。
33:8 全地よ。主を恐れよ。世界に住む者よ。みな、主の前におののけ。
33:9 まことに、主が仰せられると、そのようになり、主が命じられると、それは堅く立つ。
33:10 主は国々のはかりごとを無効にし、国々の民の計画をむなしくされる。
33:11 主のはかりごとはとこしえに立ち、御心の計画は代々に至る。
わたし達が何かを成し遂げるためには、計画を立ててそれを実行していく必要があります。
でも、わたし達が間違ってはならないのは、その計画はわたし達にとっての安心とはならないという事です。
計画とは、わたし達が物事を成し遂げるために必要な物ではあっても、わたし達の土台とはならないからです。
わたし達が自分の土台として、本当に信頼する事ができるのは何でしょうか?
聖書はこの様に言っています。
33:12 幸いなことよ。主をおのれの神とする、その国は。神が、ご自身のものとしてお選びになった、その民は。
33:13 主は天から目を注ぎ、人の子らを残らずご覧になる。
33:14 御住まいの所から地に住むすべての者に目を注がれる。
33:15 主は、彼らの心をそれぞれみな造り、彼らのわざのすべてを読み取る方。
全地を創った神様に繋がり、神様に信頼するなら、わたし達は決して揺らぐ事のないものを土台とする事ができると、聖書は教えてくれているのです。
なぜなら全知全能の神が、わたし達を愛し、わたし達と共にいて下さるからです。
そうは言っても、クリスチャンになっても問題は起るわけです。
「神様を信じてたって、イエス様を信じていたって問題は起るじゃないですか! どうして神様が愛してくれているなんて言えるのですか? どうして神様を信じて委ねていればいいなんて言葉を信じる事ができるでしょう。」
そう思われる方も少なくはありません。
確かに色んな問題は起るんです。
しかし、その問題にも意味があり、わたし達が神様に信頼して歩んでいるなら、問題は問題のままでは終わらない事を、わたし達は知るのです。
創世記のヨセフの話を思い出して下さい。
ヨセフは両親から愛されて過ごしましたが、嫉妬した兄たちによってエジプトへ奴隷として売られてしまいました。
エジプトでまじめに働いて、召使いとして成功を治めても、今度は主人の妻によって牢獄に捕えられてしまいました。
彼はそこで何年もの間、囚人として過ごさなければならなかったのです。
彼の人生の数年だけにスポットライトを当ててみるなら、彼の人生は何の展望も持つ事ができない悲惨な人生でしょう。
でも、話しはそこでは終わらなかったのです。
彼はやがてエジプトの大臣となり、彼を陥れた兄弟達の命を救う事になります。
それは全て、神様に自分の人生を委ね、神様だけを信頼して歩んできたヨセフに起った事です。
聖書は教えています。
ローマ8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
わたし達の計画は得てしてマトが外れているので、むしろ神様の計画を台無しにしてしまったり、状況をより悪くしてしまったりしてしまいがちですが、そうであったとしても、わたし達が神様に立ち返って信頼するなら、神様は全ての事を覆して、そこから益となるものを起こして下さる事ができるお方です。
でもそれが、わたし達の思いとは全然違う事もあるという事も覚えておいて欲しいのです。
「こんなに求めているのに得られない。」
それは、もしかしたらわたし達にとって、本当は得なくてもいいものだったり、得る事がわたし達にマイナスになる可能性のなるものだという事もあるのです。
イエス様の元に来たお金持ちの青年は、全てのものを貧しい人に与えてからついてきなさいと言われて、すごすごと帰って行きました。
その時イエス様が言ったのは、「金持ちが天の御国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がやさしい。」という事でした。
お金持ちであることが悪いのではありません。
神様よりも、お金を大事にしてしまう事が問題なのです。
わたし達が、神様以上に何か別の事を求めてしまっているなら、神様はそれを与えないという事もあるでしょう。
求めているものが得られないわたし達に展望は見いだせませんが、神様はそれよりももっと素晴らしい計画があるのです。
それは、わたし達の中で偶像を捨て去ることができた時に、初めてわかるものかもしれません。
詩篇の作者はこの様に続けています。
33:16 王は軍勢の多いことによっては救われない。勇者は力の強いことによっては救い出されない。
33:17 軍馬も勝利の頼みにはならない。その大きな力も救いにならない。
33:18 見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。
33:19 彼らのたましいを死から救い出し、ききんのときにも彼らを生きながらえさせるために。
わたし達は神様よりも、目に見えるもの、“今わたしが欲しいもの”に目が行ってしまう傾向があるんです。
しかし、それはわたし達を救わない。
目に見えるもの、形のあるものによってわたし達は幸せにはならない。
しかし、目に見えない神様に希望を見いだして心から信頼する時、わたし達は理屈では説明する事ができないような安心と、希望を見いだす事ができるのです。
2012年がスタートしました。
2012年は、もしかしたらわたし達の計画や展望を横においてでも、神様がわたし達に何を求め、何を計画しているかという事に耳をすませ、それに従う事に力を傾けてみてはいかがでしょうか?
主の恵みが、わたしたち共にありますように。
祈りましょう。