2005年クリスマス・イブ 『世界で最初のプレゼント』 2005/12/24 松田健太郎牧師

この出来事は、カナダのシャインツマンという新聞に載った実話だそうです。

クリスマスの夜のことでした。
ひとりの女の子が、冷たい北風が吹きぬける暗い道を歩いていきます。どこまでも続く、高いレンガの塀のそばの道を、女の子は小さなプレゼントを胸にいだいて、ブルブル震えながら歩いていきました。
実は、そのレンガの塀の内側は刑務所で、その子のお父さんが、殺人犯で捕まえられていたのです。
やがて、刑務所の門のところまできた女の子は、守衛のおじさんにいいました。
「おじさん。お父さんに会わせてください」
「だめだ。もうとっくに面会時間は過ぎている。明日来なさい」
「あのー、お父さんにクリスマスプレゼントを渡すだけなんです。ちょっとだけなんです、入れてください」
「だめだめ。刑務所の規則は厳しいんだ。明日来なさい」
「あしたは、もうクリスマスが終わってしまいます。お願いです。ちょっとだけ、お父さんに会わせてください」
「ダメと言ったらダメなんだ。今日はもうダメなんだ」
とうとう、女の子は泣き出してしまいました。
ちょうどそこへ、刑務所長が通りかかりました。可愛そうに思った所長は、優しく声をかけました。
「おじさんが、そのプレゼントをお父さんに渡してあげよう。今すぐ渡してあげるから、泣かないで帰りなさい。明日、お父さんに会いにいらっしゃい」
実は、そのお父さんは手の付けられない囚人でした。乱暴で、凶暴で、刑務所の規則など何も守らない囚人でした。
独房の中で、所長からプレゼントを受け取ったその男は、リボンをほどきました。中に、一枚の手紙が入っていました。
「大好きなお父さんへ。
お父さんが殺人犯だということが恥ずかしいといって、
お母さんは家を出てしまいました。
クリスマスに、お父さんにプレゼントを贈りたいと思いましたが、
お金がありません。
そこで、お父さんが優しくなでてくれた、
わたしの赤い巻き毛の髪を切りました。
これを今年のプレゼントにします。
お父さん、わたしはどんなにつらくても、さびしくっても、
お父さんが帰ってくるまでがんばります。
お父さんもがんばってください。
刑務所は寒いと思います。
お父さん、風邪をひかないで・・・」
読んでいく男の目に、どっと涙があふれました。男は、箱の中から、赤い巻き毛をつかみ出すと、その中に顔をうずめて泣きました。肩を震わせて泣きました。
その次の日、男は、まるで別人のようになっていました。
大きな刑務所の中で、もっとも模範的な囚人に生まれかわったのでした。

愛は人を変えます。この殺人犯は娘の愛によって生まれ変わりました。しかし残念なのは、もし、この殺人犯が初めから娘の愛を知っていたら、殺人は犯さなかったのではないかといことです。
現代は愛に飢えた時代と言われます。両親から十分な愛を受けていない子供たちが町には溢れています。男性は女性に愛されることを求め。女性は男性からの愛を期待します。互いに愛を求め合うのですから、うまくいくはずがありません。夫からの十分な愛を感じることができない妻は、愛を与えなければならないはずの子供から愛を求めてしまっているのが現代の問題となっています。
しかし、わたし達はすでに愛されているのだと聖書は言います。
聖書には、この世界を創造した神様が、わたし達に向ける愛情で満ち溢れていると書かれているのです。聖書のある箇所には、“あなたは、わたしの目には高価で尊い。わたしはあなたを愛する。”と書かれています。それは、わたし達一人一人に向けられた言葉なのです。
皆さんはこれまで人生の中で出会ってきた人のことをどれくらい覚えていますか?
幼稚園の頃仲良くしていたお友達の名前を全員、フルネームで言う事はできますか?
小学校一年生の時のクラスメートの名前を何人覚えていますか?
神様は、私たちひとりひとりの名をフルネームで覚えています。それどころか、私達ひとりひとりの髪の数まで知っているほどに、私たちを愛していると聖書には書かれているのです。
皆さんはご主人や奥さんの欠点をどれだけ見逃して、耐えることができますか?
神様はわたし達が、数え切れないほど同じ間違いを繰り返しても、それでも待ってくれます。

しかし私達人類は、そのような神様の愛にも関わらず、罪の牢獄に入ってしまったのです。
その結果、私達は神様と完全に断絶してしまったのだというのが、私達が聖書を通して知る事が出来る最初のことです。
罪とは何か、神との断絶とはどういうことをいうのか、意味のわからない方も沢山いらっしゃるだろうと思います。今日は時間がないので詳しい事はお話できませんが、1月中旬からの礼拝でお話していきたいと思っている事ですから、興味のある方はぜひその時を楽しみにしてください。
今ひとことで、少しだけお話しするなら、私達人類が自分を神にするという行為を通して、神様の存在を無視し、結果として神様から完全に離れてしまったんだという事です。
聖書では、それを“罪”という言葉で伝えています。
存在を無視されるというほど辛い仕打ちはありません。
それはイジメを受けたことがある人なら誰でも良く分かっている事です。
私達は、自分を創ってくれた神様に対して、そのような仕打ちをしているんです。それを罪といわないで何というんでしょうか?
罪の結果は滅びだと聖書は言っています。でも、自分で創造主から離れて、自分の存在自体が滅びていくのは僕らの自業自得じゃないですか? 力の源から離れていくんだから仕方がない事です。
しかし、神様はそのままで放っておかなかったんです。
神様の存在を見る事も、感じる事もできなくなってしまった私達のために、神様は人間としての形を持っている、イエス様を送ってくださいました。
イエス様は神様ご自身であり、父なる創造者としての神の、子供としての役割をもった存在です。
そのイエス様を、神様は途切れてしまった関係をもう一度結ぶために、私達に送ってくれたのです。
新約聖書にはこのように書かれています。「神は、実に、そのひとり子をお与えになられるほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」ヨハネ3章16節
そのひとり子こそ、イエス・キリストです。
午前の部に出られた方にはもうわかるでしょうが、私達に与えられたというのは、そのために十字架と復活があったということです。
わたし達が愛して止まないイエス様は、神様が与えてくださった、歴史上一番最初のクリスマス・プレゼントだったのです。

この話をすると、必ずこういう人がいるんです。
信じないと救われないのか。神様というのはなんともケチなんだなぁと言うんです。
でも、親がクリスマス・プレゼントを用意して、子供にあげるでしょう?
「お母さん、僕がこのプレゼントを受け取らない限りくれないの?ケチだなぁ。」って言いますか?
おかしいでしょう?
神様から、人類との橋渡しのためにイエス様が与えられたのであれば、それが真実であるということを信じるということが、その救いを受け取るという事です。
驚くべきは、神様からの特別なプレゼントを受け取るために条件がないということです。
そのプレゼントを受け取るために、私達は善人や、聖人である必要はありません。
例えあなたが特別強い信仰心を持っていなくても、頭が良くても悪くても、顔が良くても悪くても、お金持ちでも一文無しでも、信じるなら救いが与えられます。

殺人犯は、娘からのクリスマス・プレゼントを受け取った時、彼の人生の意味が変わりました。
私達も、神様からの愛を受け取る時に、人生の意味が変わります。
それは自分が中心で、愛されるためには常に努力していなければならない。どれだけ努力しても、その努力が報われるとは限らない不安定な人生から、いつも、どんな時でも私を愛して下さる方がいるという平安の中にある人生です。
もう信仰を持っている皆さん、私達の持っている信仰というものが、どれほど大切なものだったか、知っていましたか? 信仰を持っているのに、どこかで自分を神とするような行動を取ってはいませんか?
また、まだ信仰を持っていない皆さん、あなたの手にそのプレゼントがあるのだということを、あなたは知っていたでしょうか?
今がそのプレゼントを受け取る時です。
今日その心の扉を開いて、信じる事から始めて見てはどうでしょうか?

天のお父様、
クリスマスの楽しいひと時を与えて下さってありがとうございます。
今日ここに集えた方も、来られなかった方もいますが、あなたが変わらぬ愛で、大きな祝福を与えて下さいますようにお願いいたします。
私達が人生において、イエス様を信じ、あなたの愛を受け取る事ができた事、本当にありがとうございます。私達がこれから、より深くあなたとの正しい関係を築いていく事ができるように導き、お守りください。
また、今日あなたを信じることができた人がいますからありがとうございます。
今はその方の心の内に秘められていますが、御心であれば他の方にそのことを告白する事ができる勇気をお与えください。すでにその方はあなたの救いの内にあると信じますが、そのことを願うのは、私達がその事を共に喜びたいからです。
また、今迷っている方がいますからありがとうございます。
今は注意深く、真実を探っている状態ですが、これからさらにあなたの事を知っていき、あなたの愛をより深く知る事が出来るようにお守りください。
また、今は全く信じることができない方もいらっしゃいますからありがとうございます。
私達がその事を喜ぶのは、あなたが私達に、拒否する自由をも与えて下さっているからです。
その方がいつか、あなたの愛を真実だと知り、受け入れる事が出来るようにお導き下さい。

全てのことに感謝して、この祈りをイエス・キリストの御名によって御前におささげします。
アーメン。

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