『2017年キャンドルサービス』 2017/12/24 松田健太郎牧師
メリークリスマス!
今日はクリスマス・イブですね。
先日テレビを観ていたら、クリスチャンでもない自分たちがクリスマスを祝うのはおかしいということで、仏像を拝観するために寺に行ったら、お坊さんたちがクリスマスパーティをしていたという笑い話をしていました。
多くの日本人にとって宗教なんてそんなものですよね。
一般的に、日本人は無宗教の人が多く、宗教は怖いというイメージを持っている人が多いと言われます。
最近では特に、宗教と言うとISとか、自爆テロみたいなイメージもありますよね。
多くの日本人は、人が宗教のために死ぬなんておかしい。
だからそんな思想を抱かせる宗教は危ないものだと思っているようです。
みんな同じような服を着て、色んな規律を守り、自爆テロのような過激な事さえしてしまうような人たちには、どのような価値観があり、どのような心理によってそのような行動をとるのでしょうか?
そこには、神様に受け入れられたい、愛されたいという思いがあるのです。
何かを“する”ことによって、神様に認めてもらえる、愛してもらえる。
それによって天国に行く事ができるようになったり、あの世でご褒美がもらえると思うから、どんな大変なことでもしようと思うわけですね。
しかし、実を言うとこのような真理は、宗教なんていらない、神様なんていないと言っている人たちの中にもたくさん見られることなのです。
多くの人たちは会社に認められたい、受け入れられたいと思って、みんな同じような服装をし、身を粉にして働き、ついには過労死してしまったりもするわけですね。
受けられようとする対象は、他のものかもしれません。
学校かもしれないし、友達からかもしれない。
異性かもしれませんし、社会全体の中で認められたいと思っているかもしれません。
見える、見えないというような違いはあるにしても、そこに働いている心理は、実は根っこが同じところにあるという事なのです。
日本人を始め、現代人の多くは既存の宗教というものから離れ、無宗教、無神論の人が増えているかもしれません。
でも実は、自分は宗教も神も信じないと思っている人たちも、何か別のものを神としていて、宗教的に規律を守り、受け入れられ、認められようとしているのではないでしょうか。
神様ではないものを神とする事を、聖書では『偶像崇拝』と呼んでいます。
しかし意思もなく、実態もないものを神として、その神から受け入れられるために人が作った規律を守り、その奴隷となるのは、何と悲しい状況でしょうか?
でもこれは、神様を知らない人たちだけの問題ではないのです。
聖書の中では、神様を知っているはずのイスラエルの人々も、すぐに偶像崇拝に走ってしまう様子が描かれています。
そして今でも、多くのクリスチャンが偶像を作り、偶像に仕えようとしてしまっています。
そこには、自分に都合がよく、自分が欲しいものを第一としたいという思いが働いているからです。
私たちはお金や権威、権力、影響力、こどもや異性、政治的思想や神学、教会や牧師、どんなものでも偶像にしてしまう性質を持っています。
しかし、神様ではないものを神として受け入れらようと必死になり、それによってたとえ成功したように見えたとしても、そこにあるのは虚しさだけなのです。
でも神様は、私たちが受け入れられ、愛してもらうために何か規律を守ったり、宗教的な行事をしなければならないというような方ではありません。
どこか高く遠いところから私たちを見降ろして、『私を喜ばしてみなさい』というような方ではないのです。
その事を、神様は身をもって示すために、私たちと同じ人間として地上に生まれました。
そして、私たちが味わわなければならない人生の苦しみや、労働する事の大変さ、罪への誘惑、人から裏切られ、嫌われ、のけ者にされることの悲しさや孤独を味わって下さったのです。
その事を覚えて、神様への感謝を捧げるのが、クリスマスの目的ですね。
でも、それだけではありません。
聖書には、このように書かれています。
ロマ 5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
神様は、私たちがとても認められるような状態ではない時にさえ、神様は私たちを愛し、そんな私たちのために命を投げ出して下さったのです。
私たちが何かをする事によって神様から認められ、受け入れられ、愛されるのではなく、神様はすでに、その命を投げ出すほどに私たちを受け入れ、愛して下さっています。
皆さんはその事を信じられますか?
認めてもらうために何かをする必要はない。
もうすでに、これ以上にないほどに認められているのだという事を信じるでしょうか?
私たちがそれを心から信じる時、私たちの心は本当の意味で自由になります。
私たちを縛るものは、もう何もないからです。
そして神様の愛で満たされて、いつでも平安の中で過ごすことができるのです。
そんな体験をしてみたいと思いませんか?
それを受け取るための条件はありません。
誰でも、それを受け取ることができます。
でも、それを信じて受け取るのでなければ、その喜びを体験する事も出来ないのです。
今日それを受け取る日にしませんか?
皆さんが、クリスマスの喜びを目いっぱい味わう日となりますように。