ローマ3:19-26 『神が義と認めて下さる』 2019/06/16 小林拓馬
2019年6月16日(日)メッセージ・原稿
聖書箇所:ローマ人への手紙
3:20~26
「
神が義と認めてくださる」
■聖書箇所
19:私たちは知っています。律法が言うことはみな、律法の下にある者たちに対して語
られているのです。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するため
なのです。
20:なぜなら、人はだれも、律法を行うことによっては神の前に義と認められないから
です。律法を通して生じるのは罪の意識です。
21:しかし今や、律法とは関わりなく、律法と預言者たちの書によって証しされて、神
の義が示されました。
22:すなわち、イエス・キリストを信じることによって、信じるすべての人に与えられ
る神の義です。そこに差別はありません。
23:すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、
24:神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められる
からです。
25:神はこの方を、信仰によって受けるべき、血による宥めのささげ物として公に示さ
れました。ご自分の義を明らかにされるためです。神は忍耐を もって、これまで犯されて
きた罪を見逃してこられたのです。
26:すなわち、ご自分が義であり、イエスを信じる者
を義と認める方であることを示す
ため、今この時に、ご自分の義を明らかにされたのです。
(ローマ人への手紙
3:20~26)
▼
▼HOOKHOOK ・この人は誰でしょう?(ホメイニ師)・この人は誰でしょう?(ホメイニ師)
・ホメイニさんは、イランの宗教上の最高指導者です。
・ホメイニさんは、イランの宗教上の最高指導者です。安倍総理は安倍総理は、、つい先日、日本の総つい先日、日本の総理大臣として初めて理大臣として初めてこの人と会談しました。この人と会談しました。
・実は安倍さんはこの前にイランの大統領とも会談しているんですが、イランにとっては
・実は安倍さんはこの前にイランの大統領とも会談しているんですが、イランにとっては大統領よりも、イスラム教の指導大統領よりも、イスラム教の指導者であるホメイニさんの方が偉いんですね。イ者であるホメイニさんの方が偉いんですね。イランといランという国は、う国は、宗教と政治が一体なので、その最高指導者のホメイニさんが一番偉いわけです。宗教と政治が一体なので、その最高指導者のホメイニさんが一番偉いわけです。
・さて、安倍
・さて、安倍さんはイランと日本の関係のためさんはイランと日本の関係のために会談したわけではないんです。じゃあ誰に会談したわけではないんです。じゃあ誰のためか。それは、アメリカのためです。のためか。それは、アメリカのためです。
・アメリカとイランは
・アメリカとイランは犬猿の仲。そんな2つの国の仲を仲裁するために、安倍さんは「仲犬猿の仲。そんな2つの国の仲を仲裁するために、安倍さんは「仲介者」としてイランに行ったわけですね介者」としてイランに行ったわけですね。。
・断絶している2つの存在の仲をとりもつのが「仲介者」です。
・断絶している2つの存在の仲をとりもつのが「仲介者」です。
・このモデルは、聖書の中でもたくさんあります。
・このモデルは、聖書の中でもたくさんあります。
・例えば、出エジプトの時代、神様はイスラエルの民やエジプトのファラオに直接語りか
・例えば、出エジプトの時代、神様はイスラエルの民やエジプトのファラオに直接語りかけませんでした。けませんでした。神様は、神様は、必ず「仲介者」であるモーセとアロンを通じて、民やファラオ必ず「仲介者」であるモーセとアロンを通じて、民やファラオに語っていたのです。に語っていたのです。
・では、私たちにとっての
・では、私たちにとっての「仲介者」とは誰でしょう。「仲介者」とは誰でしょう。
・
・今回は、今回は、私達の仲介者は私達の仲介者は誰なのか。そもそもなぜ仲介誰なのか。そもそもなぜ仲介者が必要なのか。それは私たちに者が必要なのか。それは私たちにとってどういう意味があるのか。こんな観点から3つのポイントでメッセージしたいと思とってどういう意味があるのか。こんな観点から3つのポイントでメッセージしたいと思います。います。
▼1:仲介者としてのイエス
▼1:仲介者としてのイエス
・私たちにとっての仲介者とは誰でしょう。
・私たちにとっての仲介者とは誰でしょう。
・仲介者を考える前に、ま
・仲介者を考える前に、まず私たちと敵対すず私たちと敵対する存在を考えなければなりません。る存在を考えなければなりません。
・みなさんは誰と敵対していますか?
・みなさんは誰と敵対していますか?
・会社の上司?
・会社の上司? 部下?部下? 親戚?親戚? お子さん?お子さん? まさか、お隣にいらっしゃる旦那様や奥まさか、お隣にいらっしゃる旦那様や奥様・・・?!様・・・?!
・そんな人間と人間の話をしているのではありません。今話し
・そんな人間と人間の話をしているのではありません。今話しているのは、「神様」と私達ているのは、「神様」と私達「人間」の関係です。「人間」の関係です。
・私達と神様の関係は、本来「断絶」しています。
・私達と神様の関係は、本来「断絶」しています。
・聖書に神様はどんな存在だと書かれていますか?
・聖書に神様はどんな存在だと書かれていますか? 「創造主なる神」「全能の神」(エル・「創造主なる神」「全能の神」(エル・シャダイ)シャダイ)「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」「怒る神」「ねたむ神」「罪を憎ん「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」「怒る神」「ねたむ神」「罪を憎んで罰せずにはで罰せずにはおかおかない神」「今いまし、昔いまし、後の来られる神」「義なる神」ない神」「今いまし、昔いまし、後の来られる神」「義なる神」
・
・一方、一方、私たち人間について、聖書はどう書いてあるでしょうか。私たち人間について、聖書はどう書いてあるでしょうか。「「義人はいない、一人も義人はいない、一人もいない」「善を行う者はいない」「彼らはいない」「善を行う者はいない」「彼らはその舌で欺く」「彼らは平和の道を知らなその舌で欺く」「彼らは平和の道を知らない」「彼い」「彼
らの目の前には、神に対する恐れがない」
らの目の前には、神に対する恐れがない」
・神様と人間は、本来交わる存在ではありま
・神様と人間は、本来交わる存在ではありません。旧約聖書の預言者は、神様を見て「死せん。旧約聖書の預言者は、神様を見て「死んでしまう」と思うほどでした。「私は恐れて震える」「マノア」「イザヤ」んでしまう」と思うほどでした。「私は恐れて震える」「マノア」「イザヤ」
・まさにアメリカとイランのような関係とは、比べ物にならないほどの「断絶」が神様と
・まさにアメリカとイランのような関係とは、比べ物にならないほどの「断絶」が神様と私たちの間にはあるのです。私たちの間にはあるのです。
・先ほどの聖書をもう一度読んでみましょう。
・先ほどの聖書をもう一度読んでみましょう。
19:私たちは知っています。律法が言うことはみな、律法の下にある者たちに対して語
19:私たちは知っています。律法が言うことはみな、律法の下にある者たちに対して語られているのです。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためられているのです。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためなのです。なのです。
20:なぜなら、人はだれも
20:なぜなら、人はだれも、律法を行うことによっては神の前に義と認められないから、律法を行うことによっては神の前に義と認められないからです。律法を通して生じるのは罪の意識です。です。律法を通して生じるのは罪の意識です。
・さて、そんな神様と私たちの間を仲立ちされる、「仲介者」がいます。
・さて、そんな神様と私たちの間を仲立ちされる、「仲介者」がいます。
・そうです、私たちの主、イエス・キリストです。
・そうです、私たちの主、イエス・キリストです。
・イエスについて、聖書
・イエスについて、聖書は何と書いてあるでしょうか。「救い主」「贖う方」「仲介者」「和は何と書いてあるでしょうか。「救い主」「贖う方」「仲介者」「和解解の使者」「平和の君」「宥めの供え物」の使者」「平和の君」「宥めの供え物」・・・などなど。・・・などなど。
・その中
・その中のひとつのひとつにはこんな言葉があります。にはこんな言葉があります。
神は
神は唯一です。神と人との間の仲介者も唯一であり、それは人としてのキリスト・イエス唯一です。神と人との間の仲介者も唯一であり、それは人としてのキリスト・イエスです。です。
(テモテへの手紙第一
(テモテへの手紙第一 2:5)2:5)
・旧約聖書の時代、神と民が関係
・旧約聖書の時代、神と民が関係を持つためには、を持つためには、「いけにえ」が必要でした。神は罪に対「いけにえ」が必要でした。神は罪に対して怒る方なので、神の怒りをいけにえによってなだめる必要があったのです。そのため、して怒る方なので、神の怒りをいけにえによってなだめる必要があったのです。そのため、様々な規定様々な規定に基づいて、祭司に基づいて、祭司がいけにえをささげていました。がいけにえをささげていました。
・
・しかし、それは神様が示された、後の完成品の「影」「型」「模型」そして「伏線」でししかし、それは神様が示された、後の完成品の「影」「型」「模型」そして「伏線」でした。た。
・では完成品は何か。それは、私たちの主、イエス・キリストです。イエスが完全な「宥
・では完成品は何か。それは、私たちの主、イエス・キリストです。イエスが完全な「宥めの供え物」「いめの供え物」「いけにえ」「平和の使者けにえ」「平和の使者」「仲介者」となられました。」「仲介者」となられました。
・イエスは、神である方が人の姿となり、この地上に来られ、罪のない人生を歩まれ、福
・イエスは、神である方が人の姿となり、この地上に来られ、罪のない人生を歩まれ、福音を伝え、盲人を癒やし、病人を癒やし、奇跡を行い、そして、音を伝え、盲人を癒やし、病人を癒やし、奇跡を行い、そして、ただ一度、十字架の上でただ一度、十字架の上で死なれ、死なれ、葬られ、3日目によ葬られ、3日目によみがった。このことにより、イエスは神様と人との間に立つみがった。このことにより、イエスは神様と人との間に立つ
「仲介者」となられたのです。
「仲介者」となられたのです。
・安
・安倍さんの仲介は、もしか倍さんの仲介は、もしかしたら失敗かもしれません。しかし、イエスは完全な仲介者したら失敗かもしれません。しかし、イエスは完全な仲介者となられ、完全な救いを成し遂げたのです。となられ、完全な救いを成し遂げたのです。
・私たちは、このイエスを信じるだけで救われるのです。
・私たちは、このイエスを信じるだけで救われるのです。
<
<★1つ目のポイント。イエスは、私たちの★1つ目のポイント。イエスは、私たちの完全な仲介者です完全な仲介者です>>
★2つ目のポイントに入る前に、みなさんに考えてほしいことがあります。
★2つ目のポイントに入る前に、みなさんに考えてほしいことがあります。
★イエスが仲介者であり、私たちが信じる
★イエスが仲介者であり、私たちが信じるだけで救われる・・・というのはおそらくほとだけで救われる・・・というのはおそらくほとんどのみなさんがんどのみなさんが既にご存知のことと思います。既にご存知のことと思います。
★で
★では、お聞きしますが、は、お聞きしますが、なぜイエスを信じたら救われるのでしょうか?なぜイエスを信じたら救われるのでしょうか? 考えたこと考えたことははありますか?ありますか? なぜイエスを信じたら救われるのなぜイエスを信じたら救われるのか。ちょっと考えてみてください。か。ちょっと考えてみてください。
▼2:神が義と認めてくださる
▼2:神が義と認めてくださる
・
・では2つ目のポイントに参りましょう。では2つ目のポイントに参りましょう。
・どうでしょうか。なぜイエスを信じたら救われるのでしょうか?
・どうでしょうか。なぜイエスを信じたら救われるのでしょうか?
★
★私は大胆に申し上げますが、「私たちは私は大胆に申し上げますが、「私たちはイエスを信じたかイエスを信じたから救われる」のではありませら救われる」のではありません!!!ん!!! ええ?!ええ?! まじですか?!笑まじですか?!笑
・では、どういうことでしょうか?
・では、どういうことでしょうか? 聖書聖書箇所箇所をもう一度読んでみましょう。をもう一度読んでみましょう。
21:しかし今や、律法とは関わりなく、律法と預言者たちの書によって証しされて、
21:しかし今や、律法とは関わりなく、律法と預言者たちの書によって証しされて、神神の義の義が示されました。が示されました。
22:すなわち、イエス・キリストを信じることによって、信じるすべての人に与えられ
22:すなわち、イエス・キリストを信じることによって、信じるすべての人に与えられるる神の義神の義です。そこに差別はありません。です。そこに差別はありません。
23:すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、
23:すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、
24:神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、
24:神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められる価なしに義と認められるからですからです。。
25:神はこの方を、信仰によって受けるべき、血による宥めのささげ物として公に示さ
25:神はこの方を、信仰によって受けるべき、血による宥めのささげ物として公に示されました。れました。ご自分の義を明らかにされるためですご自分の義を明らかにされるためです。神は忍耐を。神は忍耐をもって、これまで犯されてもって、これまで犯されてきた罪を見逃してこられたのです。きた罪を見逃してこられたのです。
26:すなわち、
26:すなわち、ご自分が義であり、イエスを信じるご自分が義であり、イエスを信じる者者を義と認める方であることを示すを義と認める方であることを示すため、今この時に、ご自分の義を明らかにされたのです。ため、今この時に、ご自分の義を明らかにされたのです。
(ローマ人への手紙
(ローマ人への手紙 3:20~26)3:20~26)
・そうです。究極的には、イエスを信じたから救われるのではありません。
・そうです。究極的には、イエスを信じたから救われるのではありません。
★
★父なる父なる神が義と認めてくださったから神が義と認めてくださったからこそこそ、救われるのです。、救われるのです。父なる父なる神が義と認めてく神が義と認めてくださったからこそ、ださったからこそ、本来ありえなか本来ありえなかった神様との関係を持つこった神様との関係を持つことができるのです。これにとができるのです。これによって、父なる神と、共によって、父なる神と、共に歩むことができるのです。歩むことができるのです。
・仮に、神様が人を「義」と認めるために、他の方法をとっていたら、他の方法になって
・仮に、神様が人を「義」と認めるために、他の方法をとっていたら、他の方法になっていたでしょう。例えば、神様が、「コーヒーを飲めば救われる」「腕いたでしょう。例えば、神様が、「コーヒーを飲めば救われる」「腕立て30回したら救わ立て30回したら救われる」「滝に50回打たれたら救われれる」「滝に50回打たれたら救われる」と決めたら、そうすれば救われるのです。る」と決めたら、そうすれば救われるのです。
・しかし、神様はそのような「行い」によって義と認める方法をとりませんでした。
・しかし、神様はそのような「行い」によって義と認める方法をとりませんでした。
・神様が「義と認める」基準は、何なのでしょうか。実は旧約聖書にヒントが隠されてい
・神様が「義と認める」基準は、何なのでしょうか。実は旧約聖書にヒントが隠されていました。ました。聖書にこう書いてあります。聖書にこう書いてあります。
アブラムは主を信じた。それで、それが彼の義と認め
アブラムは主を信じた。それで、それが彼の義と認められた。られた。
(創世記
(創世記 15:6)15:6)
・これ
・これは、神様がアブラム、のちにアブラハムという名前は、神様がアブラム、のちにアブラハムという名前になりになりますが、神様が彼と契約ますが、神様が彼と契約を結んだ場面です。「あなたを増やし、大いなる民とする」「全ての民族はあなたによってを結んだ場面です。「あなたを増やし、大いなる民とする」「全ての民族はあなたによって祝祝福される」これが神様の契福される」これが神様の契約、約束でした。アブラハムはこの約束を信じたのです。約、約束でした。アブラハムはこの約束を信じたのです。
・神様は、約束を信じたアブラハムを「義」と認めました。
・神様は、約束を信じたアブラハムを「義」と認めました。
★
★「神様の約束を信じる」ことが、神様が「義と認める」基準です。「神様の約束を信じる」ことが、神様が「義と認める」基準です。
・このシーンについて、新約聖書ではたくさんの解説がされています。
・このシーンについて、新約聖書ではたくさんの解説がされています。
20:
20:(アブラハムは)(アブラハムは)不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく、かえって信仰が不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく、かえって信仰が強められて、強められて、
21:神に栄光を帰し、神には約束したことを実行する力がある、と確信していました。
21:神に栄光を帰し、神には約束したことを実行する力がある、と確信していました。
22:だからこそ、
22:だからこそ、「彼には、それが義と認められた」「彼には、それが義と認められた」のです。のです。
23:しかし、「彼には、それが義と認められた」と書かれたのは、ただ彼のためだけでな
23:しかし、「彼には、それが義と認められた」と書かれたのは、ただ彼のためだけでなく、く、
24:
24:私たちのためでもあります。すなわち、私たちの主イエスを死者私たちのためでもあります。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえの中からよみがえらせた方を信じる私たちも、義と認められるのです。らせた方を信じる私たちも、義と認められるのです。
25:主イエスは、私たちの背きの罪のゆえにしに渡され、私たちが義と認められるため
25:主イエスは、私たちの背きの罪のゆえにしに渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられましに、よみがえられました。た。
(ローマ人への手紙
(ローマ人への手紙 4:20~25)4:20~25)
8:聖書は、
8:聖書は、神が異邦人を信仰によって神が異邦人を信仰によって義とお認めになることを前から知っていたので、義とお認めになることを前から知っていたので、アブラハムに対してアブラハムに対して「すべての異邦人が、あなたによって祝福される」と、前もって福音「すべての異邦人が、あなたによって祝福される」と、前もって福音を告げました。を告げました。
9:ですから、
9:ですから、信仰によって生きる人々が、信仰の人アブラハムとともに祝福を受けるの信仰によって生きる人々が、信仰の人アブラハムとともに祝福を受けるのです。です。
(ガラテヤ人への手紙
(ガラテヤ人への手紙 3:8~9)3:8~9)
・旧約聖書の時代では、アブラハムの約束はイスラエルの民が引き継いでいるものでした。
・旧約聖書の時代では、アブラハムの約束はイスラエルの民が引き継いでいるものでした。
・そ
・それは一義的には正しいですし、イスラエルの民は今でも約束を引き継いでいます。れは一義的には正しいですし、イスラエルの民は今でも約束を引き継いでいます。
・
・しかし、今読んだ聖書の言葉のように、アブラしかし、今読んだ聖書の言葉のように、アブラハムを通して、イエスをいう仲介者を信ハムを通して、イエスをいう仲介者を信じ、信頼し生きる者たちは、じ、信頼し生きる者たちは、「義と認められる」のです。「義と認められる」のです。これが神様の新しい約束です。これが神様の新しい約束です。
15:
15:キリストは新しい契約のキリストは新しい契約の仲介者です。仲介者です。それは、初それは、初めの契約のときの違反から贖い出めの契約のときの違反から贖い出すための死が実現して、召された者たちが、約束された永遠の資産を受け継ぐためです。すための死が実現して、召された者たちが、約束された永遠の資産を受け継ぐためです。
(ヘブル人への手紙
(ヘブル人への手紙 9:15)9:15)
・私たち人間は、仲介者であるイエスを信じるこ
・私たち人間は、仲介者であるイエスを信じることによって、全能の主、神様に、「義と認とによって、全能の主、神様に、「義と認められている」のです。められている」のです。
★「神様が
★「神様が私たち人間を私たち人間を義と認める義と認める一方的な一方的な約束をした」約束をした」私たちが救われる理由は、ただ私たちが救われる理由は、ただこの一点です。この一点です。
・
・この問題は、「イエスが生この問題は、「イエスが生まれる前の人は救われるのか?」という素朴な疑問の答えになまれる前の人は救われるのか?」という素朴な疑問の答えになります。なぜなら、救いの基準はイエスを信じるかどうかではなく、「神が義と認めるかどります。なぜなら、救いの基準はイエスを信じるかどうかではなく、「神が義と認めるかどうか」だからです。うか」だからです。
・今の私たちは、イエスを通してしか救われません。それは神様がそう決めたからです。
・今の私たちは、イエスを通してしか救われません。それは神様がそう決めたからです。しかし、アブラハムはどうですか。しかし、アブラハムはどうですか。エノクはどうですか。エノクはどうですか。モーセはどうですか。モーセはどうですか。ダビデはダビデはどうですか。エリヤはどうですか。彼らは決して完全な人間ではありませんでした。しかどうですか。エリヤはどうですか。彼らは決して完全な人間ではありませんでした。しかし、たし、ただ彼らは神様に信頼したかだ彼らは神様に信頼したからこそ、義と認められたのではないでしょうか。らこそ、義と認められたのではないでしょうか。
5:しかし、働きがない人であっても、
5:しかし、働きがない人であっても、不敬虔な者を義と認める方を信じる人には、その不敬虔な者を義と認める方を信じる人には、その信仰が義と認められます。信仰が義と認められます。
6:同じようにダビデ
6:同じようにダビデも、行いと関わりなく、神が義とお認めになる人の幸いを、このよも、行いと関わりなく、神が義とお認めになる人の幸いを、このように行っています。うに行っています。
7:「幸いなことよ、不法を赦され、罪をおおわれた人たち。
7:「幸いなことよ、不法を赦され、罪をおおわれた人たち。
8:幸いなことよ、主が罪をお認めにならない人」
8:幸いなことよ、主が罪をお認めにならない人」
(ローマ人への手紙
(ローマ人への手紙 4:4~8)4:4~8)
・救いは神様の主権です。どんなに仕事で成績が悪くても、社長が昇進させると決めたら
・救いは神様の主権です。どんなに仕事で成績が悪くても、社長が昇進させると決めたらその人は昇進その人は昇進します。どんなに悪い政治します。どんなに悪い政治家でも、国民が投票すれば当家でも、国民が投票すれば当選します。アメリカ選します。アメリカとイランがどんなに仲が悪くても、ホメイニ師が「アメリカと仲良くする」といったら一とイランがどんなに仲が悪くても、ホメイニ師が「アメリカと仲良くする」といったら一瞬のうち瞬のうちにそうなるのです。にそうなるのです。
・私がいいたいのは、「
・私がいいたいのは、「主権者が全てを決定する」主権者が全てを決定する」ということです。ということです。そして、「主権は神にそして、「主権は神にある」のです。ある」のです。その人が「義」でその人が「義」であるかどうかは、主あるかどうかは、主権者たる神様が決めるのです。私た権者たる神様が決めるのです。私たちに神様の裁決に口を出す権利はありません。ただ、神様だけが義と認めるか、そうでなちに神様の裁決に口を出す権利はありません。ただ、神様だけが義と認めるか、そうでないかの決定権を持っています。いかの決定権を持っています。
・だから、「イエスの前の人たちはどうなったか」を私たちが考えるのが、そもそ
・だから、「イエスの前の人たちはどうなったか」を私たちが考えるのが、そもそもお門違もお門違いといういということです。救いの基準は唯一つ、「神様が義と認めたかどうか」です。ことです。救いの基準は唯一つ、「神様が義と認めたかどうか」です。
<★2つ目のポイント。ただ「神様が義と認めたから救われる」>
<★2つ目のポイント。ただ「神様が義と認めたから救われる」>
▼3:もはや自分を罪に定めなくていい
▼3:もはや自分を罪に定めなくていい
・では、「神様が義と認めた」のであれば、それは私たちに
・では、「神様が義と認めた」のであれば、それは私たちにとって、とって、どういう意味があるどういう意味があるののでしょうか。でしょうか。
・
・今日強調したいのは、ひとつだけです。今日強調したいのは、ひとつだけです。
★
★私たちはもはや自分を責めなくていいのです。私たちはもはや自分を責めなくていいのです。
・
・私たちは、弱い自分を見るときに、なんてダメなんだ。なぜ私は弱いんだと落ち込むこ私たちは、弱い自分を見るときに、なんてダメなんだ。なぜ私は弱いんだと落ち込むことがあります。とがあります。
・しかし、聖書にはこう書いてあります。
・しかし、聖書にはこう書いてあります。
31:では、これらのことについ
31:では、これらのことについて、どのように言えるでしょうか。神が私たちの味方でて、どのように言えるでしょうか。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。あるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
32:
32:私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、ど私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょううして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。か。
33:
33:だれが、神に選ばれた者だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。
34:
34:だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえらだれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしれた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくていてくださるのです。ださるのです。
(ローマ人への手紙
(ローマ人への手紙 8:31~34)8:31~34)
・そうです。もはや私たちを罪
・そうです。もはや私たちを罪に定めるものはありません。私たに定めるものはありません。私たち自身さえも、もはや私ち自身さえも、もはや私たちを罪に訴えることはできません。なぜなら、主権者たる神様が私たちを「義」と認めたちを罪に訴えることはできません。なぜなら、主権者たる神様が私たちを「義」と認めてくださっているからです。てくださっているからです。
・私たちは、
・私たちは、この神様の約束を固く信じようではありませんか!この神様の約束を固く信じようではありませんか! もう自分を責めるのはもう自分を責めるのはやめようではありませんか!!やめようではありませんか!! もう、他の人にどう思われるか気にするのはやめようでもう、他の人にどう思われるか気にするのはやめようではありませんかはありませんか!!!!!! 神様の約束に信頼し、大胆に神様に近づき、心を変えていただき、神様の約束に信頼し、大胆に神様に近づき、心を変えていただき、楽しんで、喜びにあふれて生きようではありませんか!!!!楽しんで、喜びにあふれて生きようではありませんか!!!!
・しかし、もちろんこの地上にいる間は、自分の中
・しかし、もちろんこの地上にいる間は、自分の中にある肉の思い、にある肉の思い、自分の中にある罪と自分の中にある罪とも戦わなければいけませんしも戦わなければいけませんし、自分、自分の弱さを見るたびに、その戦いはあるでしょう。の弱さを見るたびに、その戦いはあるでしょう。
・
・それは、実は自然なことなのです。それは、実は自然なことなのです。あのあのパウロでさえ、こう言っています。パウロでさえ、こう言っています。
23:私のからだには異なる律法があって、それが私の心の律法に対して戦いを挑み、私
23:私のからだには異なる律法があって、それが私の心の律法に対して戦いを挑み、私を、からだにある罪の律法のうちにとりこにしていることがわかるのです。を、からだにある罪の律法のうちにとりこにしていることがわかるのです。
24:私は本当にみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれる
24:私は本当にみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。のでしょうか。
25:私たちの主イエス・キリストを通して、神に感謝します。こうして、この私は、心
25:私たちの主イエス・キリストを通して、神に感謝します。こうして、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。
(ローマ人への手紙
(ローマ人への手紙 7:227:22~25)~25)
・使徒パウロでさえも、神様の救いを受け取りながら、完全に理解しながら、
・使徒パウロでさえも、神様の救いを受け取りながら、完全に理解しながら、なお自分のなお自分の中の罪の原理に苦し中の罪の原理に苦しんでいたのです。パウロは言いましたんでいたのです。パウロは言いました。「私は自分のしていることがわ。「私は自分のしていることがわかりません」「私はしたいと思う善ではなく、したくない悪を行っているのです」と。かりません」「私はしたいと思う善ではなく、したくない悪を行っているのです」と。
・ですから、私たちは、神様に頼る必要があります。ですから、こうして共に集まり、
・ですから、私たちは、神様に頼る必要があります。ですから、こうして共に集まり、神神様にもう一度心の向きを様にもう一度心の向きを変えるように、お互いに励まし合う必要があります。変えるように、お互いに励まし合う必要があります。聖書を読み、聖書を読み、祈り、賛美をし、神様の思いに自分の思いを「同期」させていく必要があるのです。祈り、賛美をし、神様の思いに自分の思いを「同期」させていく必要があるのです。
・自
・自分自身を変え分自身を変えることは容易ではありません。しかし、神ることは容易ではありません。しかし、神様は私たちを聖霊様の力によ様は私たちを聖霊様の力によって、変えてくださいます。って、変えてくださいます。
・究極的には、神様ご自身が既にイエスの命を捨ててまで、私たちを「義と認めてくださ
・究極的には、神様ご自身が既にイエスの命を捨ててまで、私たちを「義と認めてくださっている」のです。なっている」のです。なぜ、私たちが、その約束に信頼せず、ぜ、私たちが、その約束に信頼せず、「こんなんじゃダメだ」「私は「こんなんじゃダメだ」「私はダメな人間だ」と思う必要がありましょうか。神様に信頼しダメな人間だ」と思う必要がありましょうか。神様に信頼し、この素晴らしい福音を喜ん、この素晴らしい福音を喜んで、いきいきと喜びにあふれて生きようではありませんか!で、いきいきと喜びにあふれて生きようではありませんか!
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▼まとめまとめ
・私たちと神様は断絶されていました。
・私たちと神様は断絶されていました。
・しかし、イエスさまが「仲介者」となってくださいました。
・しかし、イエスさまが「仲介者」となってくださいました。
・それゆえ
・それゆえ、私たちは「義と認められました」、私たちは「義と認められました」
・自分が
・自分が何をしたか、どう生きるかではありません。既に神様があなたを義と認めてくだ何をしたか、どう生きるかではありません。既に神様があなたを義と認めてくださっています。さっています。
・
・だから、くよくよだから、くよくよ生きるのはもうやめましょう。大胆に神に近づき生きるのはもうやめましょう。大胆に神に近づき、神の声を聞きつつ、、神の声を聞きつつ、聖霊に身聖霊に身を委ねて生きていこうではありませんか。を委ねて生きていこうではありませんか。
・最後にもう一度、聖書の言葉を読みたいと思います。
・最後にもう一度、聖書の言葉を読みたいと思います。
33:
33:だれが、神に選ばれた者だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。
(ローマ
(ローマ人への手紙人への手紙 8:33)8:33)