ヨシュア記13:1-7 『⑫ 残っている地』 2019/09/15 松田健太郎牧師

ヨシュア記 13:1-7
13:1 ヨシュアは年を重ねて老人になっていた。【主】は彼に告げられた。「あなたは年を重ね、老人になった。しかし、占領すべき地は非常にたくさん残っている。
13:2 残っている地は次のとおりである。ペリシテ人の全地域、ゲシュル人の全土。
13:3 エジプトの東のシホルから、北は、カナン人のものと見なされているエクロンの国境まで、すなわち、ペリシテ人の五人の領主が支配する、ガザ人、アシュドデ人、アシュケロン人、ガテ人、エクロン人の地と、南のアビム人の地。
13:4 カナン人の全土とシドン人のメアラ、アモリ人の国境のアフェクまでの地。
13:5 ゲバル人の地と、ヘルモン山のふもとのバアル・ガドからレボ・ハマテまでの、レバノンの日の昇る方の全域。
13:6 レバノンからミスレフォテ・マイムまでの山地の全住民、すなわちすべてのシドン人。わたしは彼らをイスラエルの子らの前から追い払う。わたしがあなたに命じたとおり、あなたはその地をイスラエルに相続地としてくじで分けよ。
13:7 今、この地を九部族とマナセの半部族に相続地として割り当てよ。」

前回、ヨシュアたちの戦いが終わり、その地に戦争が止みました。
それは神さまの戦いだったので、一気に進んでいきました。
しかし、イスラエルの戦いは、これで全てではなかったのです。

13:1 ヨシュアは年を重ねて老人になっていた。【主】は彼に告げられた。「あなたは年を重ね、老人になった。しかし、占領すべき地は非常にたくさん残っている。

と書かれていますね。
ヨシュアがリーダーとなった戦いは終わりましたが、イスラエルにとっての戦いが終わったわけではありませんでした。
戦いは、次の世代へと引き継がれたのです。

ヨシュアはもう年を取り過ぎていましたから、指揮ができないのも仕方がないですね。
でもこれからは、放浪の中での戦いではなく、住処があり、食べ物などを補給できる本拠地ができるということです。
地理的には8割方が占領できた状態でしたから、あともう一歩という所のはずです。
しかし、実際にはここからが大変でした。
聖絶するはずだった人々の抵抗も激しく、またヨシュア以降は指導者にも恵まれず、イスラエルは長い間苦しむことになります。

① 残っている地
さて、ヨシュア記の中で私たちが学んできたのは、単にイスラエルの歴史の中の出来事と言うだけでなく、この出来事を神の国の拡大になぞらえて、私たち自身の出来事として受け取るということでした。

そう考えてみると、私たちの中にも神さまの支配の中にない、残された地がいくつも存在しているのではないでしょうか?
私たちがイエスさまと出会い、イエスさまを救い主として受け入れたとき、私たちの中には大きな変化が起こりました。

救いを受け取り、永遠の命を手にした私たちの多くは、神さまの力を受けて心が変わっていくのを経験したのではないかと思います。
たくさんのクリスチャンが、死への恐れを克服し、罪の支配から離れ、どんな時でも希望や喜びを手にすることができる心を手にしたのではないでしょうか?
それは、イエスさまと共に生きるときに私たちが体験する、新しい命に生きることの喜びです。

それでも、全てが神さまの支配に入ったわけではなかったりします。
皆さんの中にも、そのような「残された地」があるのではないでしょうか?

ある人は、「商売に関してだけはクリスチャンではいられない」と感じるようです。
イエスさまを救い主としていながらも、お金に関しては平安がなく、金儲けのためにはどんなウソでもつき、汚れたこともします。
でも、それは本当に神さまが求めていることでしょうか?

ある人は、自分が神さまに愛され、赦されていることを知っていながら、他の人を赦せないという事があるようです。
父や母との関係、あるいは過去の友人や会社の上司、同僚との関係の中で傷つき、その恨みをずっと引きずってしまうのです。

皆さんの中の「残された地」は何でしょうか?
確かに、その部分を解決するのは簡単なことではありません。
助けを求めても、神さまが介入して下さらないように感じることもあります。
また、この部分だけは神さまに口を出してもらいたくないということもあるかもしれません。
しかし、私たちは全てを神さまに捧げる必要があります。
「この部分だけは残されていてもいい」と言える場所は、どこにもないのです。
どれだけ大変で、時間がかかったとしても、私たちは神さまと共に前に進み、その地をも支配していく必要があるのです。

② 神の国の拡大
これまでヨシュア記を学んでくる中で、ヨシュアたちによるイスラエルの侵攻を、「私たちの中の神の支配の拡大」また、「世界に福音が伝わっていくという意味での神の国の拡大」という二つの視点から見てきました。

そこで今度は、福音の広がりという視点から、残された地について考えてみましょう。
この日本で、残された地とはどこでしょう?
そこら中が残された地ですね。
ヨシュア記の中で言うならば、まだアイとの戦いに苦戦しているくらいの状態でしかありません。
戦いは、まだまだこれからという状況なのです。

これからが戦いの本番ですよ。
どこかに落ち着いている場合ではないんです。
そして、これから大進撃(リバイバル)が始まるのです。

じゃあ、それはいつ起こるのですか?
そして、どうしてそのような大進撃が、今まで起こってこなかったのでしょうか?
それは、神さまがなさることですから、私たちには判らない部分もあります。
でもこのことに関しては、私たちの責任もあるのではないかと思うのです。

ヨシュア以降、イスラエルによる聖絶が止まってしまったのはなぜでしょうか?
それは、彼らが自分たちの土地や生活のことばかり考えるようになってしまったからではないかと思います。
神さまから与えられていた使命を忘れ、なんだか落ち着いてしまった。
するとあっという間に周りの影響を受けて、彼らは偶像崇拝に走るようにまでなってしまったのです。

日本の宣教にも同じようなことが起こっているのかもしれません。
牧師の集まりの中で時々感じるのは、多くの人たちが教団や教派など、自分のグループのことにしか関心を持たず、それが福音宣教だと思い込んでいることです。
あるいは教会堂を建て、それを立派にしたり大きくすることばかり考えるようになり、世界に広がることを忘れてしまっているようにも感じます。
私たちは、自分がすでに持っている土地を見るのではなく、残っている地がまだまだたくさんあることを考える必要があるのです。

③ 拡大のために必要なこと
では、私たちがもっと広がって行くためにはどうする必要があるのでしょうか?
とにかくガムシャラに、ガンガン伝道でしょうか?
そこにも無理があることを、私たちは知っています。
それは、周りの人たちに辺なプレッシャーを与えて、むしろ神さまから遠ざけることもありますし、成果もほとんど出ないまま、自分自身も疲れ果てることになってしまうからです。

大切なのは、私たちの内側と外側の両方に、神の国が広がって行くことです。
私たち自身が、心の内にある罪や神さまを締め出してきた領域を明け渡し、神さまの愛と喜びに満たされていく必要があります。
それと同時に、私たちはその喜びを外に表し、他の人たちに広げて行く必要があるのです。
そのバランスが取れると、私たちの内側と外側が相互作用しながら成長していくことができます。

内側の成長が外側に広がり、外に広がって行く経験によって内側が成長するのです。
神の国は、私たちの内側だけのものではなく、外側だけのものでもないということです。
神の国は、私たちが神さまに従う所に起こります。
そこに、神さまの素晴らしい計画が実現し、神の国は広がって行くのです。

私たちの中で、また私たちの周りで、神さまに従い切れていない、残っている地はどこでしょう?
神の国が、私たちの内に、外に、これからもどんどん広がりますように。

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