キリスト教(宗教と福音)

目次

キリスト教には、ふたつの側面があることをご存知ですか?

それは、「宗教」としてのキリスト教という側面と、
イエス・キリストの教えたことに焦点を当てた「福音」としての側面です。

宗教としてのキリスト教

キリスト教という宗教は、紀元1世紀ごろ、イエスの弟子たちによってユダヤ教の一派として始まり、その教えはパレスチナから世界中に広がっていきました。
長い間、ローマ帝国による迫害を受け、隠れて広がっていきましたが、紀元313年コンスタンティヌス帝の時代に発令されたミラノ勅令によって信教の自由を認められ、後にはローマ帝国の国教として広がっていきます。

11世紀には東方・西方教会へと分裂し、16世紀にはカトリックからプロテスタントが分裂。
後に教義や教理、聖書解釈の不一致によって分裂を繰り返し、今では何万という分派が派生していると言われています。

*画像はWikipediaより転載

歴史的には、分裂を発端としてキリスト教徒同士が戦い、戦争を起こすという悲劇も起こりました。
少しずつ和解が進み、殺し合うということはほとんど起こらないものの、SNSなどのキリスト教のグループを見ていると、互いに議論し、言い争い、時には罵り合うということが起こっているのが現実です。

 

宗教の中で重んじられるのは、建物や儀式、礼典などかたちのあるものです。
それは、それぞれの時代や文化に応じて、キリストの教えや考えを反映したものであり、意味や目的を持って作られたものです。
だからこそ、人は命を懸けてそれを争い、自分たちの正しさを主張し、それを基準として相手を判断するのだろうと思います。

福音としてのキリスト教

もうひとつは、福音としてのキリスト教という見方です。
目に見えるかたちではなく、イエスさまが伝えようとしたことの意味や目的、神さまのこころという本質的な部分です。
宗教が、キリスト教の器・形だとするならば、福音はキリスト教のいのちの部分と言ってもいいかもしれません。

福音とは何かということをシンプルに言うならば、「神さまとの関係の回復」です。

それを、聖書では「罪の赦し」や、「新しい命」ということばで表しています。

宗教vs福音?

それでは、”かたち”と”いのち”のどちらが大切なのかと言われたら、どちらも大切なのです。
かたちだけでは、意味のない形式主義になってしまいますし、いのちだけでは人に伝えることもできないし、「かたちはないのだから、何でもいいじゃないか」ということになってしまいます。

大切なのは、「いのち」を「かたち」にするということなのです。
かたちは時間とともに意味を失い、かたちだけになってしまうので、常に見直し、いのちを表現してかたちを作っていく必要があります。
そこに、生きたキリスト教の姿はあるのだと思います。

ほとんどの人たちが注目するのは、福音ではなく宗教としてのキリスト教です。
キリスト教について書かれた本をどれだけ読んでも、いのちである福音を理解することはなかなかできません。

福音は、「生きた神さまとの関係」なので、情報や知識としてはなかなか表現できるものではありません。
「体験してみないとわからない」という部分が大きいのです。

まずは、話しかけてみることから始めてみませんか?

「神さま? あなたが本当にいるなら、あなたのことを知りたいです。知ることができるように助けてください。」

そんな祈りから始めてみてはどうでしょう?

できればこのサイトを通して、皆さんがキリスト教のいのちである福音を知り、理解し、自分のものとするための助けとなれますように。