民数記35:9-15(33:1-36:13) 民数記22 『逃れの町』 2026/07/05 けんたろ

民数記35:9-15(33:1-36:13)
35:9 【主】はモーセに告げられた。
35:10 「イスラエルの子らに告げ、彼らに言え。ヨルダン川を渡ってカナンの地に入るとき、
35:11 あなたがたは町々を定めて、自分たちのために逃れの町とし、誤って人を打ち殺してしまった殺人者がそこに逃れることができるようにしなければならない。
35:12 この町々は、復讐する者からあなたがたが逃れる場所となる。殺人者が、さばきのために会衆の前に立たないうちに死ぬことのないようにするためである。
35:13 あなたがたが与えるべき町は六つの逃れの町で、それらは、あなたがたのためのものである。
35:14 このヨルダンの川向こうに三つの町を、カナンの地に三つの町を与えて、逃れの町としなければならない。
35:15 イスラエルの子ら、または彼らの間に在住している寄留者のために、これら六つの町は逃れの場所となる。すべて誤って人を打ち殺してしまった者が、そこに逃れるためである。

ついに民数記の最終回となります。
まぁ、今回のところというか、最後の10章分くらいはずっとこれまでのまとめという感じでしたね。
イスラエルの民が最終的に整えられるための準備のためでした。
今回はその締めくくりです。
荒野の40年を終えようとしている民に対して、神さまは「ここまで導いてきた」という確かな証しと、「これから進むべき道」を静かに示しておられます。
そしてその中心に置かれているのが、民数記35章の「逃れの町」です。
今日は、この逃れの町に焦点を当てながら、神さまの心を一緒に受け取っていきたいと思います。

① 旅路の振り返りと約束の具体性(民数記33〜34章)

民数記33章には、エジプトを出てからここまでの旅路が、一つひとつ丁寧に記録されています。
これは、単なる歴史の記録ではなく、神さまがどれほど忠実に民を導いてこられたかを、心に刻みつけるための振り返りです。
荒野の道のりは決して楽ではありませんでした。
しかし、そのすべての場所に神さまの導きがありました。
振り返るとき、私たちは「神さまがここまで導いてくださった」という事実をもう一度受け取ることができたのです。

次に民数記34章では、約束の地の境界線が具体的に示されます。
神さまの約束は、抽象的なものではなく、地図に描けるほど具体的です。
北はレバノンの山々、南はツィンの荒野、西は地中海、東はヨルダン川。
神さまは「あなたがたが受け取る地はここだ」と、はっきりと境界を示されました。
約束が具体的であるということは、私たちの歩みにとっても大きな励ましになります。
神さまの導きはぼんやりしたものではなく、私たちが実際に歩むことのできる“具体的な道”として示されるからです。

② 逃れの町 ― 神の正義とあわれみが出会う場所(民数記35章)

そして、民数記35章で語られるのが「逃れの町」です。
ここに、神さまの心が最も深く現れています。

逃れの町は、過失によって人を死なせてしまった者が逃げ込む場所でした。
古代社会では“血の復讐”が一般的で、家族が殺されたらその家族が報復するという連鎖が起こっていました。
しかし神さまは、その連鎖が共同体を壊してしまうことをよくご存じでした。
だからこそ、逃れの町を設けて、守られるべき命を守る道を備えられたのです。

神は罪を軽く扱われません。
故意の殺人は逃れの町に入っても守られませんでした。
しかし、過失による罪に対しては、神は「逃げ込む場所」を備えられました。
これは、神が正義とあわれみの両方を持っておられる方であることを示しています。

逃れの町は、神のあわれみの避難所でした。
過ちを犯した者が、責められるのではなく、守られる場所。
神は、私たちが過ちを犯したとき、逃げ込む場所を備えてくださる方です。
それは、神が「あなたを責めるためではなく、守るためにここにいる」と語っておられるような制度でした。

そして、逃れの町の最も深いポイントは、大祭司の死によって解放されるということです。

民数記 35:25 会衆は、その殺人者を血の復讐をする者の手から救い出し、彼を、逃げ込んだその逃れの町に帰してやらなければならない。彼は、聖なる油を注がれた大祭司が死ぬまで、そこにいなければならない。

逃れの町に逃げ込んだ人は、大祭司が死ぬと自由に帰ることができました。
なぜ大祭司の死が、罪の結果からの解放になるのでしょうか。
それは、大祭司が民の罪を背負う存在だからです。
大祭司の死は、民の罪の区切りとして機能しました。

この構造は、イエス・キリストの十字架の“影”です。
大祭司の死が過失の罪からの解放をもたらしたように、
キリストの死は、すべての罪からの解放をもたらします。
逃れの町は、キリストの十字架による赦しを先取りする制度だったのです。

逃れの町は、キリストのもとに逃げ込む者が守られるという福音の影です。
新約では、逃げ込む場所は町ではなく、イエス・キリストご自身になります。
「わたしのもとに来なさい」
「わたしのうちにとどまりなさい」
「わたしはあなたの避け所」
逃れの町は、キリストの赦しと守りを指し示す、美しい影だったのです。

③ 約束の継承(民数記36章)

民数記の最後の章では、ツェロフハデの娘たちの相続がもう一度確認されます。
神さまの約束は、受け取って終わりではなく、次の世代へと渡していくものです。
逃れの町が示す“赦しの心”もまた、次の世代へと受け継がれていくべきものです。

民数記はここで終わりますが、神さまの導きは終わりません。
むしろここから、申命記へと続く新しい歩みが始まっていきます。
そしてその先には、ヨシュア記で描かれる“約束の地への踏み出し”が待っています。

神は、私たちが過ちを犯したときに逃げ込む場所を備え、
赦しと守りの中で歩むように招いておられます。
どうか私たちも、神さまが備えてくださったその“逃れの町”、
すなわちキリストのもとに身を寄せながら、
次のステージへと進んでいきたいと思います。