クリスチャンとお金

最近、「牧師が地域の人たちとの接点を持つために小さな商売を始めようと提案したところ、信徒や教団から批判された」という話を耳にしました。その牧師は、地域に開かれた関係を築きたいという純粋な思いから始めたにもかかわらず、 「教会で商売をするのはよくない」「牧師がお金を扱うのは不適切だ」という声が上がったのだそうです。

この出来事を聞いたとき、改めて「クリスチャンとお金」というテーマについて考えさせられました。なぜ、私たちはお金に対してこれほど敏感で、時に嫌悪感すら抱くのでしょうか。そして、聖書は本当に「商売」や「経済活動」を否定しているのでしょうか。

1. お金は悪ではなく、偶像となるときに問題が生じる

聖書は、お金そのものを悪とは語りません。問題は、お金が神よりも大きな位置を占めてしまうときです。

金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは金銭を追い求めたために、信仰から迷い出て、多くの苦痛で自分を刺し貫きました。

第一テモテ6:10

つまり、

  • お金を神より上に置く

  • お金に人生の意味を求める

  • お金を自分の安全の源とする

これらが偶像化であり、問題の本質です。

お金は本来、 神が人間に委ねられた“管理すべき資源”であり、悪ではありません。

2. 経済は神が創造された「善なる秩序」の一部

創世記で神は人間に「地を治めよ」と命じられました。 これは、

  • 生産

  • 交換

  • 労働

  • 管理

  • 経済活動

を含む、広い意味での文化形成の命令です。

つまり、 経済は神の創造秩序の一部だということです。

クリスチャンが経済を嫌悪するのは、 聖書的というより、むしろ文化的・歴史的な影響が大きいと言えます。

3. 宮きよめは「商売禁止」の話ではない

お金に対する嫌悪の根拠として、 よく「宮きよめ」が引き合いに出されます。

宮きよめ(マタイ21:12–13、マルコ11:15–17、ルカ19:45–46)とは、イエスが神殿で商売をしていた人々を追い出した出来事です。当時の神殿では、いけにえ用の動物が高値で売られ、両替商が手数料を取り、祭司たちはその仕組みを黙認し、利益を得ていました。 イエスはその光景を見て、商人たちの台をひっくり返し、神殿から追い出しました。

良く誤解されますが、宮きよめの本質は“商売が悪い”という話ではありません。

宮きよめの本質は「神の家を祈りの家として保つこと」

つまり、神の臨在が中心となり、人が神に向かって心を開き、祈り・礼拝し・悔い改め・交わりが妨げられない状態を守ることを意味します。

このときイエスが怒られた理由は、

  • 神殿が祈りの場でなくなっていた

  • 神の臨在よりも利益が優先されていた

  • 宗教的権力者が搾取の仕組みを作っていた

  • 貧しい人は神の恵みが受けられないかのように扱われていた

という点でした。

つまり、問題は商売そのものではなく、神の家を利用した搾取と宗教的腐敗を問題にしていたのです。

現代の教会でビジネスをすることが即「宮きよめの対象」になるわけではありません。

4. なぜクリスチャンはお金を嫌悪しやすいのか?

① 禁欲主義的な伝統の影響

「霊的なものは清い」「物質は汚れている」という二元論(グノーシズム)が歴史的に教会へ入り込みました。

② “貧しさ=霊的”という誤解

初代教会の一部の文脈が誤って一般化され、「お金を持つことは霊的ではない」という印象が生まれました。

③ 教会内でのお金の扱いが難しい

献金・会計・透明性など、 お金が絡むとトラブルが起きやすいため、「触れない方が安全」という文化が形成されました。これも、問題なのは横領や搾取なのであって、お金そのものの問題ではありません。

5. 聖書が示す健全なお金の理解

聖書は、お金を次のように位置づけています。

 ① お金は神から委ねられた資源(管理の対象)

  • 良き管理者として用いる

  • 無駄遣いしない

  • 互いに助け合うために使う

 ② お金は隣人を助けるための手段

  • 貧しい人を助ける

  • 宣教を支える

  • 神の体のコミュニティを建て上げる

③ お金は神の国のために用いるべきもの

  • 自分のためだけでなく

  • 神の目的のために

  • 永遠の価値のために使う

6. お金を嫌悪するのではなく、整えて用いることが求められている

聖書的な姿勢は、 お金を避けることではなく、 お金を整え、神の目的に沿って用いること。

  • お金を恐れない

  • お金を偶像にしない

  • お金を神の国のために使う

  • お金を透明性をもって扱う

  • お金を隣人のために用いる

これが、聖書が示す健全な姿勢です。

7. 結び──伝統ではなく、神の目的に基づいた理解へ

現代の教会の礼拝や経済観は、 特定の時代や文化の中で形づくられてきた伝統であり、歴史の産物でもあります。 西洋の文化の中で育まれてきた礼拝の形や経済観を、 現代の日本でそのまま実践することに、どれほどの意味があるのか── その点には、やはり慎重であるべきだと感じます。

私たちはむしろ、 神が私たちに求め、命じてこられた“礼拝と生活の本質”を見抜き、 その品質を大切にしながら実践していく必要があるのではないでしょうか。

個人的には、地域の人たちと繋がりを持つためのビジネスが否定される一方で、教会堂や宗教組織の維持のために用いられることが聖とされるのは、人々の価値観を旧約時代に戻し、福音を損なう考え方だとさえ思います。

この記事が、 お金について改めて考え直し、 神の目的に基づいた健全な理解へと歩むための一助となることを願っています。

私たちは、神から委ねられたお金をどのように理解し、どのように用いているでしょうか。