ルカ6:20-26 『 ルカ19 高原の説教I(本当の幸い) 』 2015/05/17 松田健太郎牧師

ルカの福音書6:20~26
6:20 イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話しだされた。「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものだから。
6:21 いま飢えている者は幸いです。やがてあなたがたは満ち足りるから。いま泣く者は幸いです。やがてあなたがたは笑うから。
6:22 人の子のため、人々があなたがたを憎むとき、あなたがたを除名し、辱め、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。
6:23 その日には喜びなさい、おどり上がって喜びなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。彼らの父祖たちも、預言者たちに同じことをしたのです。
6:24 しかし、あなたがた富む者は哀れです。慰めをすでに受けているから。
6:25 いま食べ飽きているあなたがたは哀れです。やがて飢えるようになるから。いま笑うあなたがたは哀れです。やがて悲しみ泣くようになるから。
6:26 みなの人がほめるとき、あなたがたは哀れです。彼らの父祖たちも、にせ預言者たちに同じことをしたのです。

 

ルカの福音書は、今回から3回くらいかけて『高原の説教』というシリーズに入ります。
これは、イエス様が高原にいた時にしたお話を集めたものです。
マタイの福音書では、『山上の説教(垂訓)』と呼ばれるものがありましたが、内容はそれにとても似ています。
何が違うのかというと、山上の説教が群衆に向けられたメッセージだったのに対して、この話を聞いていたのは弟子たちだという事です。
つまりこの話は、すでに信仰を持っていた人たち、イエス様について行こうとしていた人たちに向けて伝えられた言葉だったのです。
そのためでしょうか、内容的には山上の説教と似ているのに、それよりももっとはげしい事を言っているような気がします。
イエス様は弟子たちの目を見つめ、この話を始めましました。
イエス様がそれほど真剣に話したかった事とは、一体どんな事だったのでしょうか?

① 幸せを求める
今日のところで話されているのは、私たちの幸いについてです。
私達クリスチャンの幸せとはどのようなものでしょうか?
皆さんは今、幸せだと感じていますか?
もしそうなら、どうして幸せなのでしょう?
もし皆さんが幸せだと感じていないなら、どうしたら幸せになると思いますか?
幸せになるために、何が足りないのでしょう?

もう少しお金があれば、何かが手に入れば、ビジネスに成功すれば、人から褒められ、認められれば幸せでしょうか?
それとも、普通であれば幸せですか?
だとすれば、皆さんが思う普通とはどんなものでしょうか?
色んな形の幸せがあり、色々な条件があると思います。
それではイエス様は、幸いとはどのようなものだと言っているのでしょうか。

6:20 イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話しだされた。「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものだから。
6:21 いま飢えている者は幸いです。やがてあなたがたは満ち足りるから。いま泣く者は幸いです。やがてあなたがたは笑うから。
6:22 人の子のため、人々があなたがたを憎むとき、あなたがたを除名し、辱め、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。

ここには4つの幸いが書かれていますね。
「貧しい者、飢えている者、今泣く者、そして人々があなたを憎む時、あなた方は幸いだ。」これがイエス様の指し示す幸いのかたちです。
思わず、耳を疑いたくなるような言葉ですね。
私たちは、貧しいからこそ苦しんでいるんです。
飢えているから困っているんです。
幸せじゃないから泣いているんです。
誰かに憎まれるのは、幸せな事ではないんです。
驚きを越えて、バカバカしくなるほど、私たちが考える幸せとはあまりにかけ離れた、もっと言うなら正反対の言葉ではないでしょうか。

ポジティブシンキングというヤツですか?
苦しい状況も、見方や考え方を変えると、幸せになりますねという話でしょうか?
辛いという字に一を足すと幸せになるとか、そういう話なんでしょうか?

そうではないんですね。
お金があったら、飢えていなければ幸せだと思っているのは、どんな人たちでしょうか。
それは、お金を持っていない人たちですよね。
自分にはないと思っているから、それがあれば幸せになれるのではないかと思うわけです。
しかし、お金があっても、物や地位や、名誉があったとしても、人は決して幸せになりません。
なぜなら、人の心は貪欲ですから、私たちは決して満足することなく、もっともっとと求め続けるだけだからです。
魂の貧しさ、飢えや渇きが物質によって満たされることは、決してないのです。

② 哀れな生き方
イエス様はこのように続けています。

6:24 しかし、あなたがた富む者は哀れです。慰めをすでに受けているから。
6:25 いま食べ飽きているあなたがたは哀れです。やがて飢えるようになるから。いま笑うあなたがたは哀れです。やがて悲しみ泣くようになるから。
6:26 みなの人がほめるとき、あなたがたは哀れです。彼らの父祖たちも、にせ預言者たちに同じことをしたのです。

ここに描かれているのは、富を得る事によって幸せになろうとし、食べ飽きて、今笑い、人に褒められようとする人たちの価値観です。
そのようなものによって幸せを得ようとする人たちは、哀れであり、災いだとイエス様は言っているのです。
主を信じると言いながら、神様により頼むのではなく、富によって、物質で満たされることによって喜びを得ようとするなら、その人の心は貪欲のままです。
その人は、今しばらくの間は満たされ、笑っていられるかもしれません。
でもやがて、貪欲にもっと求めるようになり、魂の飢え渇きはますます大きくなっていきます。

私たち日本人は、かついて世界でトップクラスの経済力を持っていた時代がありました。
しかし、その頃から自殺率は上がり、多くの人たちが自分の人生は不幸だと感じていました。
今や日本はその経済力も失われ、不幸だと感じる人たちの数は増えるばかりです。
年間自殺者数は3万人となり、うつ病を始めとした精神疾患に苦しむ人や、社会を離脱した引きこもりの数は増える一方です。

外の世界から見れば、未だに経済大国であり、最高のテクノロジーを持ち、犯罪が少なく、衛生的でサービスも素晴らしいあこがれの国です。
しかしその環境は、この国に住む人たちを決して幸せにはしていない現実を私たちは目の当たりにしているではありませんか。
これは、私たちが富や物質、目先の満足や他の人々の評価に価値を置いて積み上げてきた事の結果なのです。

普通の人たちでさえ、このような状況を認識しているのですから、信仰を持った私たちはなおさら、このような価値観に縛られているべきではありません。
私たちは、神様から受けた永遠のいのちの中で生きているのだからこそ、今だけ笑う事や、目先の満足、わずかな間の安定、この世の安心を求めるのではなく、神様から与えられる本当の平安を求めていけるといいなぁと思うのです。

そのために、今は貧しさを体験するかもしれません。
今は飢え渇き、イエス様を求めたために迫害を受けて、涙する事もあるかもしれません。
しかし、主がともにいて下さるなら、私たちはその先にある本当の幸せを待ち望むこともできるのではないでしょうか?

③ 貧しさを知ることこそ幸せへの道
それでは、私たちはどのようにしてこの価値観から抜け出す事ができるのでしょうか?
それこそ、この時イエス様が弟子たちに伝えたかった事でした。
もう一度、今日の箇所の最初の言葉に戻りましょう。

6:20 イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話しだされた。「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものだから。
6:21 いま飢えている者は幸いです。やがてあなたがたは満ち足りるから。いま泣く者は幸いです。やがてあなたがたは笑うから。
6:22 人の子のため、人々があなたがたを憎むとき、あなたがたを除名し、辱め、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。

ここで言われている、貧しい者という言葉は、単に経済的な貧しさを表す言葉ではなく、心の低さ、心のむなしさという内面的な貧しさも表している言葉です。
山上の説教の時に様に、「心の」貧しい者という言葉ではありませんが、実は同じ事を意味しているのです。
そしてここで言われている飢えとは、単にお腹がすいている事ではなく、魂が飢え渇いた状態の事です。
私たちに必要なのは、自分の貧しさ、乏しさ、弱さを認め、可能性のなさをとことん知る事です。
自分の内に可能性を見出している限り、私たちが頼るのは結局自分の力なのではないでしょうか?
しかし自分に心から絶望した時、私たちは初めて、本当の意味で神様により頼み、神様とともに歩み、神様に従って生きていくしかないことに気づくのです。

自分に絶望した私たちは、涙するでしょう。
とことん泣いたらいいのです。
でもそれは、涙だけでは終わらない。
なぜならば、私たちは神様が共にいる事の喜びを体験する事になるからです。
絶望の涙を通して、私たちはいつでも、絶える事のない喜びを手にする事ができるのです。

魂の飢え渇きを満たす事ができるのは、イエス様だけです。
でも、私たちがイエス様を求めるためには、私たちの本当の問題が何であるのかを理解する必要があるでしょう。
私たちが幸せになれないのは、経済的な問題や、物質的なもの、表面的な喜びや、人からの評価ではありません。
本当の問題が、心の貧しさと、魂の飢え渇きにある事が分かった時、私たちは心から神様を求め、そこにある本当の幸せを手にする事ができるのです。

もう一度、先ほどの質問をしたいと思います。
皆さんは今、幸せでしょうか?
それは、どんな幸せでしょうか?
皆さんが今幸せでないなら、本当の幸せを手にするチャンスがあります。
表面的な、この世の価値観に妥協した幸せでなく、本当の幸い、永遠の幸せを手にする事ができますように。

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