使徒19:23-31 『 使徒㉛~この世と調子を合わせない 』 2013/04/14 松田健太郎牧師

使徒19:23~31
19:23 そのころ、この道のことから、ただならぬ騒動が持ち上がった。
19:24 それというのは、デメテリオという銀細工人がいて、銀でアルテミス神殿の模型を作り、職人たちにかなりの収入を得させていたが、
19:25 彼が、その職人たちや、同業の者たちをも集めて、こう言ったからである。「皆さん。ご承知のように、私たちが繁盛しているのは、この仕事のおかげです。
19:26 ところが、皆さんが見てもいるし聞いてもいるように、あのパウロが、手で作った物など神ではないと言って、エペソばかりか、ほとんどアジヤ全体にわたって、大ぜいの人々を説き伏せ、迷わせているのです。
19:27 これでは、私たちのこの仕事も信用を失う危険があるばかりか、大女神アルテミスの神殿も顧みられなくなり、全アジヤ、全世界の拝むこの大女神のご威光も地に落ちてしまいそうです。」
19:28 そう聞いて、彼らは大いに怒り、「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ。」と叫び始めた。
19:29 そして、町中が大騒ぎになり、人々はパウロの同行者であるマケドニヤ人ガイオとアリスタルコを捕え、一団となって劇場へなだれ込んだ。
19:30 パウロは、その集団の中にはいって行こうとしたが、弟子たちがそうさせなかった。
19:31 アジヤ州の高官で、パウロの友人である人たちも、彼に使いを送って、劇場に入らないように頼んだ。

さて、パウロによるエペソへの2年間の滞在も今日の所で終わることとなります。
先週も少しお話ししましたが、エペソという町にはアルテミスという女神を祀った神殿がありました。
このアルテミスの神殿は、古代における7不思議のひとつとして数えられる建造物です。
ちなみに、古代7不思議というのは“ツタンカーメンの謎”のように『ありえないような不思議なもの』という意味ではなくて、見事な景観で必見のものという意味なのだそうです。
今は廃墟となって見る影もありませんが、当時は空にも届くかと思われるような立派な塔が建って、美しい建物だったようです。
今の東京で言えばスカイツリーのようなもので、エペソにはこの神殿を見るために観光客がたくさん押し掛けていました。
エペソは、その観光によって経済的にも潤っている町だったのです。

偶像崇拝の本質からして、多くの偶像に関して同じ事が言えますが、アルテミスは豊穣と繁栄の女神として人々から崇められていました。
つまり、セックスと金が崇められている町でもあったのです。

このエペソの町にリバイバルが起ったという話を先週はしました。
しかしこのリバイバルは、新たな波紋を生む事になったのです。
エペソには何が起ったのでしょうか?

① 偶像を求めない
リバイバルというのは、多くの人々が信仰を持って教会に押し寄せるというイメージが大きく取り上げられます。
でも、リバイバルの本質は人が増える事ではなくて、人々と神様の関係が正しくされる事によって起こるという事です。
リバイバルは、ノンクリスチャンがクリスチャンになるというだけの話ではなくて、クリスチャンが変化する事でもあるという事です。
エペソのリバイバルのキーワードとなる言葉があります。
パウロは手紙の中でこの様に書いています。

ローマ 12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

エペソのリバイバルによって、人々は自分の中にある罪を明らかにし、魔術をしていた人達は魔術の本を集めて燃やしてしまいました。
魔術や偶像崇拝はこの町では当たり前のものであり、もてはやされているものでもありました。
でも、人々がこの世と調子を合わせるのを止め、心から神様を求めた時、エペソにはリバイバルが起ったのです。

わたし達は世捨て人になれば良いというのではありません。
でも、世の中の価値観を探り、それを求めてばかりいると、何が本当に正しいのかという事を見失ってしまいます。
魔術書は、現代で言えば占いや風水、スピリチュアル系の本かもしれませんね。
偶像に象徴されている、性的な乱れや必要以上にお金を求めようとする事も、この国では当たり前の事とされています。
しかし、この世と調子を合わせるのではなく、神様の御心を本当に求めた時、リバイバルはわたし達から始まるのです。

② 目先の利益を求めない
さて、パウロ達が福音を述べ伝えていたのは、エペソだけではありません。
エペソだけではなく周りの町でも福音を述べ伝えていました。
町の中でも、また他の町の人々の中にもリバイバルが起りがアルテミスからも離れると、神殿の観光によって利益を得ていた人達は経済的打撃を大きく受ける事になります。
アルテミス神殿の模型を作っていた銀職人のデメテリオという人はこの事に怒り、人々を集めて騒動を起こしました。

この時に起った騒動は、アルテミスの神殿の事が話題となっているため宗教間で起った信仰上の問題のように見えますが、実はそうではありません。
これは利害関係の事で怒った人達によって、起こされた騒動なのです。

これと同じような騒動が他にもありました。
パウロが以前、マケドニヤに行った時に、奴隷占い師に取りついた悪霊を追い出した時、怒ったその占い師の主人たちによって牢獄に入れられた事がありました。
これも一見、信仰上の問題に見せかけた、利害関係の問題です。

イエス様もまた、ある村でレギオンと呼ばれるたくさんの悪霊を追い出した時、追い出された悪霊が豚の中に入って、豚は身を投げて死んでしまうという出来事がありました。
その時、村人はイエス様を村から追い出してしまいますが、その出来事の根底にあるのも結局は利害関係なのです。

この世の価値観というものは、目先の利益を何よりも大切なものとして考えます。
確かに生活というものもかかっていたかもしれませんが、要は霊的な真理というものよりもお金が大切だと考える価値観なのです。
わたし達が、自分の生活や目先の利益というものを第一とする価値観の中にあったら、わたし達はクリスチャンとして生きる事ができません。
そして、イエス様はこう言われるのです。

マタイ 6:31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
6:32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

③ この世の解決法を求めない
さて、騒動の方はと言えば、どんどんエスカレートしていって、多くの人々が集まり、大きな暴動となっていきました。
彼らは『偉大なのはエペソ人のアルテミスだ。』と叫んで、パウロの仲間であるガイオとアリスタルコを捕えて劇場へなだれこんでいってしまったのです。(19:28~29)

パウロは二人の事を心配したでしょう。
この暴動の中で、リンチを受けるかもしれない。
殺されてしまうかもしれない。
パウロは劇場に入っていって、何とかその暴動を止めようとしたのです。
しかし、弟子たちはパウロを止めました。

19:30 パウロは、その集団の中にはいって行こうとしたが、弟子たちがそうさせなかった。

なぜなのでしょう?
もちろん、彼らのリーダーであるパウロを護りたかったという事もあるでしょう。
しかしそれだけではありません。
それは、この暴動の中に入って行った所でこの暴動は決しておさまらず、事を荒立てる事にしかならない事を元々エペソにいた弟子たちはわかっていたからです。

事実、この騒ぎの中でユダヤ人達の代表は、「われわれはパウロとは関係がない」という事を言おうとしましたが、もっと大きな騒ぎに巻き込まれてしまう結果になりました。

使徒 19:33 ユダヤ人たちがアレキサンデルという者を前に押し出したので、群衆の中のある人たちが彼を促すと、彼は手を振って、会衆に弁明しようとした。
19:34 しかし、彼がユダヤ人だとわかると、みなの者がいっせいに声をあげ、「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ。」と二時間ばかりも叫び続けた。

しかしこの大騒ぎは、その後に出てきた全く関係のない役人によって、あっさり鎮められる事になります。
この世と調子を合わせて、真っ向から闘っても、決して良い結果は生み出さないのです。

わたし達の周りには、様々な妨害や攻撃もあります。
無神論の人達や、多宗教の人達、色んな人達によってわたし達の信仰は否定されたり、バカにされたり、時には大きな迫害になる事もあるかもしれません。
そんな時にわたし達は、同じような方法や手段で、力によって対抗しようとしたりするなら、争いになって互いを傷つけあう事にしかならないのではないでしょうか?

ローマ人への手紙の中に書かれている『この世と調子を合わせてはならない』という言葉は、この世の価値観と同じ土俵で戦ってはならないという事を意味する言葉です。
わたし達の戦いは、武器をとる戦いではなく、議論よる争いでもなく、いつも霊的な戦いである事をわたし達は忘れてはなりません。
その霊的な戦いの中に必要なのは、祈りであり、御言葉であり、信仰です。
そしてわたし達のために戦い、勝利して下さるのはイエス様なのです。

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