ダニエル4:4-18 『 ダニエル4 改心するネブカデネザル 』 2014/06/01 松田健太郎牧師

ダニエル4:4~18
4:4 私、ネブカデネザルが私の家で気楽にしており、私の宮殿で栄えていたとき、
4:5 私は一つの夢を見たが、それが私を恐れさせた。私の寝床での様々な幻想と頭に浮かんだ幻が、私を脅かした。
4:6 それで、私は命令を下し、バビロンの知者をことごとく私の前に連れて来させて、その夢の解き明かしをさせようとした。
4:7 そこで、呪法師、呪文師、カルデヤ人、星占いたちが来たとき、私は彼らにその夢を告げたが、、彼らはその解き明かしを私に知らせることができなかった。
4:8 しかし最後に、ダニエルが私の前に来た。―彼の名は私の神の名にちなんでベルテシャツァルと呼ばれ、彼には聖なる神の霊があった。―私はその夢を彼に告げた。
4:9 「呪法師の長ベルテシャツァル。私は、聖なる神の霊があなたにあり、どんな秘密もあなたにはむずかしくないことを知っている。私の見た夢の幻はこうだ。その解き明かしをしてもらいたい。
4:10 私の寝床で頭に浮かんだ幻、私の見た幻はこうだ。見ると、地の中央に木があった。それは非常に高かった。
4:11 その木は生長して強くなり、その高さは天に届いて、地の果てのどこからもそれが見えた。
4:12 葉は美しく、実も豊かで、それにはすべてのものの食糧があった。その下では野の獣がいこい、その枝には空の鳥が住み、すべての肉なるものはそれによって養われた。
4:13 私が見た幻、寝床で頭に浮かんだ幻の中に、見ると、ひとりの見張りの者、聖なる者が天から降りて来た。
4:14 彼は大声で叫んで、こう言った。『その木を切り倒し、枝を切り払え。その葉を振り落とし、実を投げ散らせ。獣をその下から、鳥をその枝から追い払え。
4:15 ただし、その根株を地に残し、これに鉄と青銅の鎖をかけて、野の若草の中に置き、天の露にぬれさせて、地の草を獣と分け合うようにせよ。
4:16 その心を、人間の心から変えて、獣の心にそれを与え、七つの時をその上に過ごさせよ。
4:17 この宣言は見張りの者たちの布告によるもの、この決定は聖なる者たちの命令によるものだ。それは、いと高き方が人間の国を支配し、これをみこころにかなう者に与え、また人間の中の最もへりくだった者をその上に立てることを、生ける者が知るためである。』
4:18 私、ネブカデネザル王が見た夢とはこれだ。ベルテシャツァルよ。あなたはその解き明かしを述べよ。私の国の知者たちはだれも、その解き明かしを私に知らせることができない。しかし、あなたにはできる。あなたには、聖なる神の霊があるからだ。」

今日の聖書箇所は、ダニエル書の中でも少し特殊な箇所です。
というのは、これまでは客観的な視点からダニエルという預言者の事について話されてきたのに、この章から急に、ネブカデネザル王による独白が始まるからです。

4:1 ネブカデネザル王が、全土に住むすべての諸民、諸国、諸国語の者たちに書き送る。あなたがたに平安が豊かにあるように。
4:2 いと高き神が私に行われたしるしと奇蹟とを知らせることは、私の喜びとするところである。
4:3 そのしるしのなんと偉大なことよ。その奇蹟のなんと力強いことよ。その国は永遠にわたる国、その主権は代々限りなく続く。

ネブカデネザル王は、バビロン帝国の王様で、この当時この世界では最も力のある王様でした。
だから当然、ユダヤ人ではありません。
それどころか、紀元前598年にはエルサレムを陥落させ、ユダ王国を実質上滅ぼした張本人です。
そんな彼が、イスラエルの神様を崇め、褒め称える言葉から、この章が始まるのです。
ネブカデネザル王に、一体何が起こったのでしょうか?

① これまでのネブカデネザル
これまでの経緯を振り返ってみましょう。
ある時、ネブカデネザルは一つの夢を見ます。
その夢があまりに印象に残ったので、その夢が暗示している事を調べさせようと王はバビロン帝国じゅうの賢者や呪術師に訊ねました。
しかし、その夢の内容と意味を答えられる者は誰もいませんでした。
そこに、王に仕えるために教育を受けていたユダヤ人、ダニエルが現われたのです。
ダニエルは見事その夢を解き明し、ネブカデネザル王はその知恵を与えたダニエルの神を讃えました。

それから数年後、ネブカデネザルは自分の権威の象徴として巨大な金の像を作り、帝国中の人々にそれを崇めさせました。
その像を崇めない者は、燃えさかる炉の中に投げ入れて殺してしまうと言うのです。
しかし、その命令に背くものがいました。
それはダニエルと同じ時に捕囚して王に仕えていた、シャデラク(ハナヌヤ)、メシャク(ミシャエル)、アベデ・ネゴ(アザルヤ)ら三人のユダヤ人です。
ネブカデネザルは、約束通りその三人を、燃える炉の中に入れるよう命じます。

三人の両腕を縛り、炉の中に投げ入れましたが、ネブカデネザルはその炉の中に驚くべき光景を目撃します。
ネブカデネザル王が炉の中に見たのは、両腕がほどかれ、炎の中を自由に歩き回っている4人の姿でした。
そして4人目の人物は、まるで神々の子のようにネブカデネザルの目には映ったのです。
シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴが炉の中から無事に出てくると、ネブカデネザルはこの三人が仕える神を崇めました。

このようにして、ネブカデネザルは2度に渡り、ユダヤ人の神である聖書の神様の御業を目の辺りにし、その御名を崇めたのです。
しかし、彼はそれによって悔い改める事はしませんでした。
その時だけは神の名を崇めたものの、彼はすぐに元に戻り、自分の力により頼んで生きるようになっってしまいます。
そんなネブカデネザル王に、3回目のチャンスが与えられたのが、4章で起こった出来事なのです。

② 3つ目のチャンス
ある時ネブカデネザルは、再び不思議な夢を見ました。
それが、先ほど読んでいただいた聖書箇所なわけです。
この夢は、以前見た夢と同じように、ネブカデネザルを恐れさせました。
そしてこの夢の意味を知りたくて、この夢を解き明かすことができる者を探します。

夢の解き明しと言えば、預言者ダニエルでしょう。
しかしネブカデネザルは、なぜかこの時、すぐにダニエルを呼びません。
全開の夢の解き明しの時、その忠告を聞かなかったことが後ろめたかったのかもしれません。
ネブカデネザルは、バビロン中の知者や呪術師を呼びますが、やはり誰もその夢の意味を解き明かせる者はいませんでした。
そして最後に、ダニエルがやってきて、この夢の意味を解き明かしたのです

まずは、夢の中に出てきた大きな木はネブカデネザル王を表していました。
夢の中の木のように、ネブカデネザルの主権は大きく、世界中に及びました。
しかし、神様はその木を切り倒してしまうように命じます。
王は人の中から追い出され、野の獣とともに住むことになり、それは七つの時が過ぎるまで続きます。
その時ネブカデネザルは、いと高き方が人間の国を支配し、その国を御心にかなう者にお与えになる事を知るようになると言うのです。
これは、彼に与えられた3つ目のチャンスであり、ネブカデネザル王が真の神様を知り、神様に立ち返るためのご計画でした。

果たして、この預言は実現することになります。
この事が起こってから1年後、ネブカデネザルは宮殿の屋上を歩いていて、このようにつぶやきました。
ダニエル4:30 王はこう言っていた。「この大バビロンは、私の権力によって、王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私が建てたものではないか。」

今繁栄の極みの中にあるこの大バビロン帝国、これは“私の権力”によって、“私の威光を輝かすために”、“私が建たもの”ではないか、と言うわけです。
これが、ネブカデネザル王の本音であり、本質ですね。
今ある栄光の全ては、自分が築き上げたものであり、全てが自分の栄光なのだという傲慢さが、このネブカデネザルの中にはあったのです。

その言葉がまだ口にあるうちに、天から神様の声が響き、ネブカデネザルはまるで獣になってしまったかのように正気を失い、野に住み、草を食べて生活するようになってしまいました。


ヤコブ書の中に、このような言葉があります。

ヤコブ4:6c 「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」

それまで繁栄と巨大な権力のの限りを尽くしていたネブカデネザル王が、まるで動物と同じような生活をする事になりました。
彼の権威は、天から地に落とされたのです。

7つの時の間、彼は獣のようになりました。
7つの時の間というのは、ある翻訳では7年とも訳されています。
それが実際にどれだけの期間だったのかはわかりませんが、その間彼は、国民の前で動物のようにふるまうという失態を見られることになったのです。

素っ裸になり、地を四つん這いになって歩き、草を食べ、垂れ流す。
臭く、汚く、髪はガビガビになって、見るもみじめな姿となりました。
しかしその期間が過ぎた時、ネブカデネザルの元に理性が戻ったのです。

ダニエル4:34 その期間が終わったとき、私、ネブカデネザルは目を上げて天を見た。すると私に理性が戻って来た。それで、私はいと高き方をほめたたえ、永遠に生きる方を賛美し、ほめたたえた。その主権は永遠の主権。その国は代々限りなく続く。

私たちも、神様に背き、神様に逆らい、高慢になって自分の道を歩もうとする時、このような苦難の時を経験することがあります。
全てを失い、無様な姿をさらし、辛く、苦しい時を通ります。
でもそれは、神様に愛されているしるしでもあるのだと思うのです。

高慢な心を持った人が、全てこのような経験をするわけではありません。
この世にいる間、表面的には最後まで繁栄の中で、高ぶったままで死んでいく人だっています。
次回はそういう人について学ぶ事になりますが、神様の懲らしめを受けない事は、もっと悲しく、恐ろしいことなのです。

ネブカデネザルが経験することになった獣のようになるという主からの懲らしめは、本人にとっては辛い経験だったことと思います。
しかし、これは自分の間違いに気が付いて方向転換するための大切な機会だったのです。

7つの時が過ぎてネブカデネザルが正気を取り戻し、神様を見上げる事ができた時、彼の人生はそれまでの人生とは変わったものとなっていました。

ダニエル4:36 私が理性を取り戻したとき、私の王国の光栄のために、私の威光も輝きも私に戻って来た。私の顧問も貴人たちも私を迎えたので、私は王位を確立し、以前にもまして大いなる者となった。
4:37 今、私、ネブカデネザルは、天の王を賛美し、あがめ、ほめたたえる。そのみわざはことごとく真実であり、その道は正義である。また、高ぶって歩む者をへりくだった者とされる。

これって、すごい事だと思いませんか?
異国の、異教が信じられ、ユダヤ人たちは洗脳的再教育を行われたようなそんな国で、その権威の権化であるネブカデネザルが信仰を持ったのです。

ダニエルの物語は、日本と言う異教の地で働く私たちに希望と勇気を与え、学ぶところがたくさんある話だという事を、このシリーズの最初からお話していますよね。
私たちにも、同じ事が起こるかもしれないって思いませんか?
この国で、私たちが仕えている会社の社長や、学校の先生や、あるいは国のリーダーたちが、私たちを通してなされる神様の御業に触れ、神様へと立ち返っていくのです。
それが起こるかもしれないと考えたら、ワクワクしてきませんか?

私たちの周りにいる、ネブカデネザルのために祈りましょう。
また、私たち自身がネブカデネザルのように高慢になることなく、いつでも主を見上げる事ができるように祈る時を持ちましょう。

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