ダニエル11:36-45 『 ダニエル12 最後の戦い 』 2014/08/10 松田健太郎牧師

ダニエル11:36~45
11:36 この王は、思いのままにふるまい、すべての神よりも自分を高め、大いなるものとし、神の神に向かってあきれ果てるようなことを語り、憤りが終わるまで栄える。定められていることが、なされるからである。
11:37 彼は、先祖の神々を心にかけず、女たちの慕うものも、どんな神々も心にかけない。すべてにまさって自分を大きいものとするからだ。
11:38 その代わりに、彼はとりでの神をあがめ、金、銀、宝石、宝物で、彼の先祖たちの知らなかった神をあがめる。
11:39 彼は外国の神の助けによって、城壁のあるとりでを取り、彼が認める者には、栄誉を増し加え、多くのものを治めさせ、代価として国土を分け与える。
11:40 終わりの時に、南の王が彼と戦いを交える。北の王は戦車、騎兵、および大船団を率いて、彼を襲撃し、国々に侵入し、押し流して越えて行く。
11:41 彼は麗しい国に攻め入り、多くの国々が倒れる。しかし、エドムとモアブ、またアモン人のおもだった人々は、彼の手から逃げる。
11:42 彼は国々に手を伸ばし、エジプトの国ものがれることはない。
11:43 彼は金銀の秘蔵物と、エジプトのすべての宝物を手に入れ、ルブ人とクシュ人が彼らにつき従う。
11:44 しかし、東と北からの知らせが彼を脅かす。彼は、多くのものを絶滅しようとして、激しく怒って出て行く。
11:45 彼は、海と聖なる麗しい山との間に、本営の天幕を張る。しかし、ついに彼の終わりが来て、彼を助ける者はひとりもない。

ダニエルが受けた黙示について、共に学んでいます。
最後の黙示は、イエス様に似た、もしかしたらイエス様かもしれない御使いによって、ダニエルに語られましたね。
今日は、その黙示の本筋となる部分です。

とは言っても、ここで語られている事のほとんどは、これまでダニエル書の中で何度も語られてきたことの繰り返しです。
つまり、これから起こる王国の事、そして終わりの時代に信仰を持つ人々を迫害する反キリストについて。
バビロン帝国のネブカデネザル王の夢を通して伝えられたのが初めでしたが、その後ダニエルは4回に渡って同じ事についての預言を受けました。
この事について記録を残し、人々に語る事が、ダニエルに与えられていた使命と言っても過言ではないでしょう。

本当は、ひとつひとつ御言葉を読み解きながら、その預言の正確さを確かめていくのもいいのかもしれませんが、内容的にはこれまで何度もお話ししてきた事と重なっています。
また、内容のほとんどは旧約聖書と新約聖書の間の時代(中間時代と呼びます。)の歴史ついて書かれているだけなので、歴史に興味がない方には面白くない話だと思います。
そこで、内容について大雑把に確認しながら、この黙示の中心的なメッセージについて一緒に考えていきたいと思います。

① アレクサンドロス大王
まず、11章の2~4節には、ペルシャ帝国を打ち破り、アレクサンドロス大王が現われる事について書かれています。
しかし、その王国は分裂し、アレクサンドロス大王の子供たちが後を継ぐという事もありません。

② 南と北の王との戦い
11章5節から20節までは、南のプトレマイオス朝エジプトと、北のセレウコス朝シリアの戦いについて書かれています。
この辺りの記述は、歴史上の出来事と重ねてみると、記述されている出来事が誰について書いているのかが簡単にわかるほど、正確に預言されているところです。
でも、これはすべて、次に出てくる人物にスポットライトが当てられるための布石でしかありません。
歴史が預言どおりに進んでいく事によって、次に出てくる人物の重要さが明らかにされるためなのです。

③ アンティオコス・エピファネス
神様が、黙示によってもっとも伝えたかった人物こそ、シリアの王となったアンティオコス・エピファネスです。
11章21節から35節までは、このアンティオコス・エピファネスについて書かれています。
この人物を描くために、どうしてこれほど大規模な黙示がされなければならなかったのでしょう。
それは、アンティオコス・エピファネスが反キリストの型だからです。

私たちは、このアンティオコス・エピファネスのような人物がもう一度地上に現れる時、この世界の終末が近い事を知る事ができるのです。
では、アンティオコス・エピファネスとはどういう人物だったのでしょうか?
ダニエル11:21 彼に代わって、ひとりの卑劣な者が起こる。彼には国の尊厳は与えられないが、彼は不意にやって来て、巧言を使って国を堅く握る。

アンティオコス・エピファネスは、卑劣と呼ぶのにふさわしい性質の人間でした。
しかし、言葉がたくみで、王位継承権はなかったにも関わらず、巧言によって王の位に就いてしまいます。
その後アンティオコスはエジプトに大軍を率いて攻撃をしかけます。
エジプトのプトレマイオス六世もそれに立ち向かいますが、部下のスパイ行為によって敗れ、シリアと講和を結ぶことになりました。
アンティオコスは、戦利品を携えてシリアに戻る途中で、エルサレムを攻撃し、神殿内の宝物を略奪して持ち帰ります。

アンティオコスは、その後ふたたびエジプトを攻撃しますが、今度はキティム(ローマ)の介入によって引き返さざるをえなくなってしまいます。
その腹いせに、アンティオコスはエルサレムのユダヤ人を迫害するのです。

アンティオコスは自らをエピファネス(神の顕現)と名乗るような人物ですから、それ以外のものを崇めるユダヤ人たちを許す事ができなかったのでしょう。

ダニエル11:30 キティムの船が彼に立ち向かって来るので、彼は落胆して引き返し、聖なる契約にいきりたち、ほしいままにふるまう。彼は帰って行って、その聖なる契約を捨てた者たちを重く取り立てるようになる。
11:31 彼の軍勢は立ち上がり、聖所ととりでを汚し、常供のささげ物を取り除き、荒らす忌むべきものを据える。

31節の『荒らす忌むべきもの』は、イエス様の話や、黙示録にも出てきます。
終わりの時に反キリストがエルサレムの神殿に立てる偶像を表しています。
ギリシャ(ヘレニズム)の文化に傾倒していたアンティオコスは、ゼウス像をエルサレムの神殿に立てさせ、祭壇の上で汚れた動物とされている豚を生贄として捧げたのでした。
ユダは何年もの間、このアンティオコス・エピファネスの支配の中で、ゼウスを拝み、豚肉を食べる事を強要され、割礼を施した母親は子とともに殺害されました。
これが、反キリストの型と呼ばれる、アンティオコス・エピファネスが行った事なのです。

ちなみにこれはダニエル書の中では書かれていない事ですが、数年後、マッタティアの子ユダ・マカベアが反乱を起こし、エルサレムを奪還してユダヤの独立を導きます。
12月25日に起こったこのユダの独立を祝うのが、ユダヤ人の間でハヌカと呼ばれているお祭りなのです。

④ 神に反逆する者
さて、アンティオコス・エピファネスの描写は35節までで終わり、36から39節までは、後の世に出てくる反キリストへと話題が移ります。
イエス様の事について預言する時に、初臨と再臨が同じところに書かれているように、型としてのアンティオコス・エピファネスと、反キリストが同じ所に書かれているのです。

終わりの時代になって反キリストが現われた時、アンティオコス・エピファネスが巧言で人々を騙したように、多くの人たちが彼の言葉に騙されてしまいます。
しかも終わりの時代に現れる反キリストは、奇跡の力も持っていますから、多くの人たちがそれを見て信じてしまうのです。

しかし、反キリストは神様を崇めません。
どの神よりも自分を高いものとし、すべてのものを支配しようとするのです。

ダニエル 11:36 この王は、思いのままにふるまい、すべての神よりも自分を高め、大いなるものとし、神の神に向かってあきれ果てるようなことを語り、憤りが終わるまで栄える。定められていることが、なされるからである。

でも、それと同時に“とりでの神をあがめる”とも書かれています。

ダニエル 11:38 その代わりに、彼はとりでの神をあがめ、金、銀、宝石、宝物で、彼の先祖たちの知らなかった神をあがめる。

とりでの神をあがめるというのは、軍事的な力をあがめるという事であり、金銀宝石という物質的な富を愛するという事です。
そう考えると、こういう価値観の人たちはたくさんいるように思えます。
以前にもお話ししましたが、「彼こそ反キリストではないか」と言われる人たちが、歴史の中には何人も現れました。
また、『自分は復活したキリストだ』と名乗る偽キリストも、韓国だけで50人くらいいると言われています。
終わりの時代に現れる反キリストはまだ誰かわかりませんが、反キリストの霊は2000年前からすでに活発に活動して、人々を動かしているのです。
ヨハネは、手紙の中でこのように言っています。

Iヨハネ2:18 小さい者たちよ。今は終わりの時です。あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。それによって、今が終わりの時であることがわかります。

⑤ 最後の戦い
そしてついに、最後の戦いが起こります。
11章40節から45節までは、終わりの時代に起こる最後の戦いについて描かれています。

ダニエル 11:40 終わりの時に、南の王が彼と戦いを交える。北の王は戦車、騎兵、および大船団を率いて、彼を襲撃し、国々に侵入し、押し流して越えて行く。

イスラエルを中心とした、世界を巻き込む大戦争です。
南と北からの軍隊が、反キリストの元に押し寄せ攻撃します。
反キリストの軍勢は、それを迎撃しつつ麗しい国つまりイスラエルへと攻め入り、多くの国が倒れると書かれています。(41節)

そしてついに、決戦の時が来るのです。
黙示録の中では、イスラエルのハルマゲドン(メギドの丘)という場所でこの戦いが起こると言われています。
これはすべて、実際の軍隊による戦争かもしれませんが、それ以上に霊的な戦いである事を忘れてはなりません。
目に見える世界で起こっている戦いの裏にある、霊的な戦いが全てを決定します。
そして、この戦いは勝利で終わる事が保障されているのです。

ダニエル 11:45 彼は、海と聖なる麗しい山との間に、本営の天幕を張る。しかし、ついに彼の終わりが来て、彼を助ける者はひとりもない。

アンティオコス・エピファネスは、荒らす忌むべきものを神殿に据えた後間もなく、戦争中に病気で死んでしまいました。
アンティオコスは、国々と聖なる神殿を荒らし、汚しましたが、神様に定められた時があったのです。
それと同じように、これから現れる反キリストも、アンティオコス・エピファネスには引けを取らないとんでもない破壊行為を行うでしょうが、必ず勝利と共に終わりの時が来ることを、私たちは希望として覚える事ができるのです。
来週は、いよいよダニエル書の最後。
私たちに与えられているもうひとつの大きな希望について、ともに考えていきたいと思います。

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