Iサムエル記13:1-14 『サムエル⑤~神様の時を待つ』 2010/08/15 松田健太郎牧師

Iサムエル記 13:1~14
13:1 サウルは三十歳で王となり、十二年間イスラエルの王であった。
13:2 サウルはイスラエルから三千人を選んだ。二千人はサウルとともにミクマスとベテルの山地におり、千人はヨナタンとともにベニヤミンのギブアにいた。残りの民は、それぞれ自分の天幕に帰した。
13:3 ヨナタンはゲバにいたペリシテ人の守備隊長を打ち殺した。ペリシテ人はこれを聞いた。サウルは国中に角笛を吹き鳴らし、「ヘブル人よ。聞け。」と言わせた。
13:4 イスラエル人はみな、サウルがペリシテ人の守備隊長を打ち、イスラエルがペリシテ人の恨みを買った、ということを聞いた。こうして民はギルガルのサウルのもとに集合した。
13:5 ペリシテ人もイスラエル人と戦うために集まった。戦車三万、騎兵六千、それに海辺の砂のように多い民であった。彼らは上って来て、ベテ・アベンの東、ミクマスに陣を敷いた。
13:6 イスラエルの人々は、民がひどく圧迫されて、自分たちが危険なのを見た。そこで、ほら穴や、奥まった所、岩間、地下室、水ための中に隠れた。
13:7 またあるヘブル人はヨルダン川を渡って、ガドとギルアデの地へ行った。サウルはなおギルガルにとどまり、民はみな、震えながら彼に従っていた。
13:8 サウルは、サムエルが定めた日によって、七日間待ったが、サムエルはギルガルに来なかった。それで民は彼から離れて散って行こうとした。
13:9 そこでサウルは、「全焼のいけにえと和解のいけにえを私のところに持って来なさい。」と言った。こうして彼は全焼のいけにえをささげた。
13:10 ちょうど彼が全焼のいけにえをささげ終わったとき、サムエルがやって来た。サウルは彼を迎えに出てあいさつした。
13:11 サムエルは言った。「あなたは、なんということをしたのか。」サウルは答えた。「民が私から離れ去って行こうとし、また、あなたも定められた日にお見えにならず、ペリシテ人がミクマスに集まったのを見たからです。
13:12 今にもペリシテ人がギルガルの私のところに下って来ようとしているのに、私は、まだ主に嘆願していないと考え、思い切って全焼のいけにえをささげたのです。」
13:13 サムエルはサウルに言った。「あなたは愚かなことをしたものだ。あなたの神、主が命じた命令を守らなかった。主は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。
13:14 今は、あなたの王国は立たない。主はご自分の心にかなう人を求め、主はその人をご自分の民の君主に任命しておられる。あなたが、主の命じられたことを守らなかったからだ。」

サムエル記から、5回目のメッセージです。
前回までの話を思い出していただければと思います。
さばきつかさというリーダーによって導かれていたイスラエルは、サムエルの時代に「わたし達にも他の国と同じように王を与えて下さい。」と王を求めました。
それによってイスラエルには初めての王、サウルが選ばれたのでしたね。
サウルはイケメンで、背も高く、謙遜な心の持ち主で、神様からの特別な力も与えられ、王としては申し分のない人物であるはずでした。
しかし、サウルにはイスラエルの王として必要な決定的なものに欠けていたのです。
それは、信仰でした。

今日は、サウルに欠けていた信仰がどのようなものだったのかという事を共に考え、サウルの罪と失敗から多くの事を学びたいと思います。

① 神様の御心を第一とする
さて、サウルが王となってから1~2年の時が経っていました。
王としての役目も板についてきたように感じたサウルは、長い間イスラエルの敵として君臨していたペリシテ人に対して戦いを挑みます。

13:2 サウルはイスラエルから三千人を選んだ。二千人はサウルとともにミクマスとベテルの山地におり、千人はヨナタンとともにベニヤミンのギブアにいた。残りの民は、それぞれ自分の天幕に帰した。
13:3 ヨナタンはゲバにいたペリシテ人の守備隊長を打ち殺した。ペリシテ人はこれを聞いた。サウルは国中に角笛を吹き鳴らし、「ヘブル人よ。聞け。」と言わせた。

ペリシテ人というのは、サムソンの時代からずっと戦ってきていた国です。
強敵であるペリシテ人に立ち向かおうとするサウルは、勇ましくも見えてきます。
サウルはギルガルでペリシテ人を迎え撃とうと集結させました。

アモン人ナハシュとの戦いに勝利して、サウルには自信があったんです。
国を護るために戦うのは当然の事であり、王の仕事としても何の問題もないように思えました。
しかし、そこには問題があったのです。
ここには、アモン人ナハシュとの戦いの時とは決定的に違う部分があります。
それは、前の戦いでは、神様がその戦いにサウルを遣わされていたという事。
しかし今回は、自分の思い付きによる戦いだったという事です。

“聖絶”と言って、イスラエルはヨシュア記の時代から、罪に染まったカナンを滅ぼすという大きなプロジェクトの中にありました。
しかし、これは全て神様の命じる中で行われてきた事です。
イスラエルは決して、自分達の思いでどこに攻め込み、誰を倒すかという事を決めてはこなかったはずなのです。
ところがサウルは、この重大な決断の中に神様の御心を求めるという事をしませんでした。
サウルは、人材としては王として申し分のない人物でしたが、サウルの心に神様はいなかった。
サウルは神様との深い交わりがない中で重大な決断をし、善かれと思って行動した事に、彼の大きな失敗があったのです。

かつて、預言者サムエルがサウルに油注ぎを与えた時、サムエルはこのように言ったのです。

Iサムエル 10:6 主の霊があなたの上に激しく下ると、あなたも彼らといっしょに預言して、あなたは新しい人に変えられます。
10:7 このしるしがあなたに起こったら、手当たりしだいに何でもしなさい。神があなたとともにおられるからです。

一見これは、何度もしていいと言っているように聞こえますが、決して自分勝手に行動しなさいという事ではありません。
重要なのは、 “神があなたとともにおられる”という事です。
サウルが神様から離れてしまうなら、御心からも離れてしまうのです。
それは、神様が望んでいる事ではありません。

イエス様も、わたし達に同じような事を言った事があります。

ヨハネ 15:7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。

マタイ 6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

大切なのは、わたし達がいつでも神様を心の真ん中に置いていて、神様の導きに耳を澄ましているかどうかという事です。
主の言葉がわたし達の内に留まっているなら、わたし達の思いは神様の御心と一致します。
それが神様の御心であれば、決断の結果どんな困難が訪れたとしても、わたし達は恐れる必要がないでしょう。
しかし、それがどんなに素晴らしい事に思えても、わたし達の決断が御心から離れているのであれば、それは決して良い結果を生みださないのです。

サウルもそうでしたが、わたし達は調子がいい時ほど、神様の事を忘れ、神様の御心を無視してしまいがちです。
サウルはここから、一気に転落への道へと進んでいく事になるのです。

② 神様の時を待つ
ところで、サウルはサムエルとの約束がありました。

Iサムエル 10:8 あなたは私より先にギルガルに下りなさい。私も全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげるために、あなたのところへ下って行きます。あなたは私が着くまで七日間、そこで待たなければなりません。私があなたのなすべき事を教えます。」

ギルガルで7日間待つ事。それが、サウルに課せられた約束でした。

一方、サウルが御心を無視して戦いを挑んだペリシテ人は、大変な敵だったのです。

13:5 ペリシテ人もイスラエル人と戦うために集まった。戦車三万、騎兵六千、それに海辺の砂のように多い民であった。彼らは上って来て、ベテ・アベンの東、ミクマスに陣を敷いた。
13:6 イスラエルの人々は、民がひどく圧迫されて、自分たちが危険なのを見た。そこで、ほら穴や、奥まった所、岩間、地下室、水ための中に隠れた。

敵は、ただ多かったというだけではありません。
彼らの強さの秘密は、鉄を精製できたことにありました。
ペリシテ人は、この地域では最も早く鉄の武器を使い始めた国だったのです。
そして、彼らは何度も攻めよせて、イスラエルの脅威となっていました。

それに比べてイスラエルは、青銅で作られたクワやカマを手にして、震えながらついてくる素人同然の3千人。
誰の目にも勝算はありませんでした。
イスラエルの兵士たちは、みんな恐れをなして震えあがってしまうのもムリありません。
そんな中で、サウルの中に焦りがつのってきたんですね。
焦りつつも、約束ですから、サウルは7日間待ちました。
しかし、7日間経っても、サムエルは来ないのです。

それを見た兵たちの間に、ざわつきが起り始めました。
「我々の上に神様の助けはないのではないか?」イスラエルの兵たちは恐れが増し、そこからひとりふたりと脱走し始めたのです。
そこで慌てたのはサウルです。
そしてみんなを安心させるために、自分自身で全焼のいけにえを捧げる事にしました。
しかし、そのいけにえを捧げ終わったその時の事でした。
そこにサムエルが現れたのです。

神様は、決して遅れる事のないお方です。
しかし、それは神様のタイミングによるのです。
サムエルは7日間の約束には遅れたのかもしれません。
でも、ペリシテとの戦いに神様が遅れる事はありませんでした。

神様は、遅れない。
そして早すぎる事もありません。
それはどういう事かと言うと、神様のタイミングは往々にして、ギリギリだという事です。
わたし達を、ギリギリの時まで待たせるのです。

なぜギリギリなんですか?
電車だって5分ごとに来る時代。ラーメンだって3分でできる時代です。
もっと早くしてくれたっていいじゃないですか?
なぜならそれは、忍耐というものを通して、わたし達の信仰は鍛えられるからです。
聖書にはこのように書かれています。

ヤコブ 1:3 信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
1:4 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。

ヘブル 10:36 あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。

ローマ 5:3b 患難が忍耐を生み出し、5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。

わたし達をより成熟した人間とするために、神様はわたし達の忍耐を試し、事あるごとに鍛えて下さっています。
このような試練を通して、わたし達はよりキリストに似た者へと成長していくわけですね。
これこそが、わたし達のゴールであり、神様が求めている事なのです。

この試練の中にあって、わたし達は焦ってしまうのです。
待ち切れずに、イライラしてしまうのが、わたし達の弱い信仰です。
しかし、それでも神様に信頼して約束を待ち続ける時、わたし達はそこに神様の御業を目にする事ができます。
かつて、臆病者だったギデオンがたった300人で13万5千人の軍勢を打ち破ったように。
神様が戦って下さる戦いには、決して敗北がありません。

どうか、しびれを切らして自分の力に頼るのではなく、主の時を待って下さい。
たとえ絶望的な状況に立たされても、忍耐をもって、信仰をもって主の時を待ちましょう。
たとえ、わずかしか仲間がいなくても・・・。
たとえ、手にした武器がクワやカマしかなかったとしても・・・。

これはわたし達の戦いではなく、主の戦いです。
そして主は、決して遅れる事のない方だからです。

③ 今はチャンスを逃しても
しかしサウルは、神様の時を待つ事ができず、自分で生贄を捧げてしまいました。
それは、ただ待てなかったというだけではなく、祭司がいけにえを捧げなければならないという律法を犯し、神様ではなく自分の都合によって礼拝を捧げるという神様に対する大きな侮辱でした。
それは、神様の怒りを買うに十分な出来事だったのです。

13:13 サムエルはサウルに言った。「あなたは愚かなことをしたものだ。あなたの神、主が命じた命令を守らなかった。主は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。
13:14 今は、あなたの王国は立たない。主はご自分の心にかなう人を求め、主はその人をご自分の民の君主に任命しておられる。あなたが、主の命じられたことを守らなかったからだ。」

もし、サムエルが来るまでサウルが待っていたら、そこに神様への信仰があったなら、サウルはより深い人物へと成長し、神様はサウルの王国を永遠に確立されていたはずでした。
そのチャンスを、サウルは与えられていたのです。
しかし、そのチャンスをサウルは逃しました。

でもですね、神様は憐れむぶかく、情け深い神です。
怒るのに遅く、恵みとまことに富んでおられる方なのです。
この時、サムエルは『今は、あなたの王国は経たない。』と言っています。
という事は、この時点ではまだ、サウルにはチャンスがあったのです。
サウルがここで悔い改めて、神様に立ち返り、信仰をもって行動を起こせば、サウルが立派な王として言い伝えられる歴史が、そこに誕生したでしょう。

わたし達はどうでしょうか?
もしかしたら、わたし達は今まで神様の時を待つ信仰を持っていなかったかもしれません。
神様が与えられた試練の中にあって、御心を求めず、自分勝手な生き方をしてきたかもしれません。
それは神様の怒りを買うのに十分であり、それによって幸せとは言えない人生を送ってきたかもしれません。
でも、今ならまだ、チャンスがあるのです。
どうか、サウルが歩んだ道を行くのではなく、今こそ神様に立ち返り、信仰の道を歩んで下さい。

ローマ 1:17 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。

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