Iサムエル記17:1-10 『 サムエル⑧~巨人に立ち向かう 』 2010/09/12 松田健太郎牧師

Iサムエル記 17:1~10
17:1 ペリシテ人は戦いのために軍隊を召集した。彼らはユダのソコに集まり、ソコとアゼカとの間にあるエフェス・ダミムに陣を敷いた。
17:2 サウルとイスラエル人は集まって、エラの谷に陣を敷き、ペリシテ人を迎え撃つため、戦いの備えをした。
17:3 ペリシテ人は向こう側の山の上に、イスラエル人はこちら側の山の上に、谷を隔てて相対した。
17:4 ときに、ペリシテ人の陣営から、ひとりの代表戦士が出て来た。その名はゴリヤテ、ガテの生まれで、その背の高さは六キュビト半。
17:5 頭には青銅のかぶとをかぶり、身にはうろことじのよろいを着けていた。よろいの重さは青銅で五千シェケル。
17:6 足には青銅のすね当てを着け、肩には青銅の投げ槍を背負っていた。
17:7 槍の柄は機織りの巻き棒のようであり、槍の穂先は、鉄で六百シェケル。盾持ちが彼の先を歩いていた。
17:8 ゴリヤテは立って、イスラエル人の陣に向かって叫んで言った。「おまえらは、なぜ、並んで出て来たのか。おれはペリシテ人だし、おまえらはサウルの奴隷ではないのか。ひとりを選んで、おれのところによこせ。
17:9 おれと勝負して勝ち、おれを打ち殺すなら、おれたちはおまえらの奴隷となる。もし、おれが勝って、そいつを殺せば、おまえらがおれたちの奴隷となり、おれたちに仕えるのだ。」
17:10 そのペリシテ人はまた言った。「きょうこそ、イスラエルの陣をなぶってやる。ひとりをよこせ。ひとつ勝負をしよう。」

わたし達の人生には、山があり、谷があります。
それは、わたし達がどんなに正しい生活を送っていようと、あるいはどんなに裕福な生活をしていようと関係がありません。
でもそれは、決して悪い事ばかりではなく、数々の試練を乗り越えていく事によって、わたし達は一回り大きく成長していくことができるのです。

しかし、時としてわたし達の人生には、とても乗り越える事なんてできそうにない大きな巨人が立ちはだかる事があります。
ある日突然、膨大な借金を抱える事によって、その巨人を目の当たりにする事があります。
ある日突然、大きな病気にかかる事によって、その巨人は現れるかもしれません。
あるいはその巨人は、皆さんの性格の問題のように、一生の課題として現れるかもしれません。
何にしても、その巨人は様々な形を変えて、わたし達の人生に立ちはだかります。
そして、わたし達が前に進み、神様が約束している祝福の道に突如として立ちはだかるのです。

もしかしたら今、皆さんの前にそのような巨人が立ちふさがっているかもしれません。
あるいは、現在はそのような大きな問題がなくても、これからそのような大きな問題に直面する事はあるでしょう。
そんな時に、わたし達はどうしたらいいのでしょうか?
今日は、有名なダビデとゴリヤテの戦いを通して、目の前に巨人が立ちはだかった時、わたし達は何を考え、どのようにしていったらよいのかを一緒に考えていきたいと思います。

① 立ちはだかる巨人
さて、先日のメッセージで未来の王となるための油注ぎを受けたダビデですが、彼の前には早くも、それを阻止するような大きな問題がたちふさがりました。
長年の間イスラエルの強敵として君臨し、前にもサウル王とヨナタン王子が辛うじて撃退したペリシテ人が、再び攻めのぼってきたのです。
ペリシテ人と言えば、青銅が主流だったこの時代に早くも鉄の武器を使っていた民族です。
それだけではなく、今回その先頭には6キュビト半ある巨人ゴリアテがいました。
6キュビト半と言えば、3メートルを超える大きさです。
そして先端だけで7kgもあるような槍を振りかざし、イスラエルに戦いを挑んだのです。

Iサムエル 17:8 ゴリヤテは立って、イスラエル人の陣に向かって叫んで言った。「おまえらは、なぜ、並んで出て来たのか。おれはペリシテ人だし、おまえらはサウルの奴隷ではないのか。ひとりを選んで、おれのところによこせ。
17:9 おれと勝負して勝ち、おれを打ち殺すなら、おれたちはおまえらの奴隷となる。もし、おれが勝って、そいつを殺せば、おまえらがおれたちの奴隷となり、おれたちに仕えるのだ。」

皆さんがもし、ブラット・ピット主演の『トロイ』という映画を観た事があれば、その一番最初に出てきた巨人を思い出していただければいいと思います。
映画の中では、超人のようなアキレスがその巨人をやっつけるのですが、現実の問題として、イスラエルにはアキレスのような超人的な戦士はいません。
それどころか、まともな武器と鎧を持つのはサウル王とヨナタン王子だけ。
後は青銅の農具を武器にして振り回すようなイスラエルには、もうどうする事のできません。

この時、こんな恐ろしい状況の中で、ゴリヤテと戦う事をダビデに決心させたのは、ダビデの心に湧き起こった怒りでした。
「神の国イスラエルに向かって、何という不遜な態度。神様の御名が、あんな男に良いように罵られていいはずがない。」
心の内に燃え上がるものを感じて、ダビデはゴリヤテを自分に倒させてほしいと、サウル王に申し述べました。

英語で“Divine Discontent(聖なる不満)”という言葉があるのですが、神様はわたし達の心に起る不満や怒りという感情を用いて、わたし達を導く事があります。
「どうして教会はもっとこういう事をしないのだろう。」とか、「なんであの人はこんな事に気がつかないんだろう。」という怒りや不満を皆さんがもし抱いているとしたら、それは神様が皆さんを用いようとしているのかもしれません。

わたし達は、怒りという感情を、悪いものだと決めつけて抑え込んでしまう傾向があります。
もちろん、多くの怒りは間違った所から出てくるものですが、全てがそうではありません。
どうもわたし達日本人のクリスチャンは、草食系の人が圧倒的に多いような気がします
平和主義的なのは悪い事ではないのですが、その代わり情熱に欠けるんですね。
「仕方がないよ」と言って、すぐにあきらめてしまうのです。
でも、わたし達の心に湧きおこる感情の高まりは、時としてわたし達を動かす大きな力なとなるのです。

ウィリアム・ウィルバーフォースの心に怒りが起り、そのために戦ったから、イギリスの奴隷が解放されたのです。
マルティン・ルーサー・キング・ジュニアの心に聖なる不満が起り、そのために情熱的に戦ったから、アメリカの黒人は市民権を得る事ができたのです。
わたし達が生きるこの世界には、まだまだ解決されなければならない問題がたくさんあります。
貧困、飢餓、人身売買、DV、ハラストメント、医療の問題、環境問題、政治的問題・・・。
わたし達は平和の中にある時ではなく、大きな巨人を目の当たりにした時にこそ、そのような心の動きが起るものです。
神様は、その大きな問題を通して、わたし達を用いようとしているのかもしれないのです。
神様が皆さんを用いようとしている事は、どのような事でしょうか?
まずは、わたし達が自分自身の心の動きを観察してみる事も、わたし達に与えられている使命を確認するチャンスなのかもしれません。

② 試練は確かな信仰のために
さて、わたし達が大きな問題に直面した時、わたし達が前に進む事を躊躇させる一番のものは、わたし達の心に起る恐れではないでしょうか?
ダビデは一介の羊飼いでしかなく、紅顔の美少年と言われるほど、幼くてか弱い少年でした。
そんなダビデが、みんなが恐れる巨人ゴリヤテに戦いを挑んだのです。
一体、どこからそんな自信や勇気が湧いて出たのでしょう。

ダビデは、自分は強いから、ゴリヤテなんてやっつける事ができると思って戦いを挑んだわけではありません。
また、子供だから何も分からず、無謀に戦いを挑んだのでもありません。
ダビデは「お前にはムリだ」と説得を試みるサウル王に、自分が戦う根拠をこう話しています。

Iサムエル 17:34 ダビデはサウルに言った。「しもべは、父のために羊の群れを飼っています。獅子や、熊が来て、群れの羊を取って行くと、17:35 私はそのあとを追って出て、それを殺し、その口から羊を救い出します。それが私に襲いかかるときは、そのひげをつかんで打ち殺しています。17:36 このしもべは、獅子でも、熊でも打ち殺しました。あの割礼を受けていないペリシテ人も、これらの獣の一匹のようになるでしょう。生ける神の陣をなぶったのですから。」
17:37 ついで、ダビデは言った。「獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった主は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」

ダビデの中にあった自信は、自分の実力に対する自信ではなく、これまで自分を守ってくださっていた神様に対する自信です。
これまで神様が守って下さったという経験があるから、神様は今回も守って下さるという信仰をもって、ダビデはゴリヤテと戦う事ができたのです。

以前、ちょっとした問題に直面した時に動じない僕を見て、「けんたろさんは、どうしてそんなに強い信仰を持っていられるのですか?」と聞かれた事があります。
僕自身が、それほど強い信仰を持てているとは思っていないのですが、それでも少しくらいの問題に動じないでいられるのは僕が6年前に大きな試練を経験しているからだと思います。

6年ほど前、僕の父が働いていた会社が突然倒産してしまったんです。
その時に住んでいたマンションは、父の会社の社長の持ち物だったので、僕達もそこからすぐに退去しなければならなくなりました。
その時、僕は神学生であり、他にも色々な経済的な必要があって、大きな出費がかさんでいた時でもあったのです。
全ての支払いが一気に押し寄せて、僕たちはどう考えてもそれを支払う事ができないという状況に追い込まれました。
「どうしよう。」と言って頭を抱えている正にその時に、まるで追い打ちをかけるように、ベスが妊娠している事がわかったのです。
僕たちはその時、全ての事を神様にゆだねる決心をしました。
結婚して8年間与えられなかった子供が授かった事は、どう考えても祝福であり、この出来事の中心に神様がおられる事を信じたからです。

結果として、奇跡的な事が次々に起って、経済的な問題はすべて解決されました。
わたし達は、頭を悩ませていた全ての問題が、悉く祝福に変わっていくのを目撃しました。
試練の中で、僕たちは神様の御業を見る事ができたのです。
この試練を、神様への信頼を通して乗り越える事ができたという経験があるので、今ちょっとやそっとの問題が起っても、僕は動じることなく、神様に信頼し続ける事ができるのです。

それは、ダビデが羊飼いとして仕える中で、ライオンやクマを撃退したのと同じ体験です。
ライオンやクマが襲ってきた時、ダビデはそこから逃げず、神様に信頼して対応したので、ライオンやクマを撃退する事ができたのです。
僕たちはその試練を経験しているからこそ、次に問題が起きた時もギリギリのところで、「あの時わたし達を助けて下さった神様が、今回も必ずこの問題から救いだして下さるはずだ。」と信じる事ができるのです。

皆さんの人生にも、同じ機会が与えられているはずです。
それはライオンやクマより、もっと小さな所から始まっています。
それを、自分の力や努力ではなく、神様への信仰によって乗り越える時、わたし達は神様への信頼を、より強いものとする事ができるのです。
聖書にはこの様に書かれています。

Iコリント 10:13 あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。

この様にして、わたし達に試練が与えられるのは、その中に神様が共にいて下さる事を、わたし達が経験するためです。
そして、次にもっと大きな問題に直面しても、それが恐ろしい巨人のような問題だったとしても、『主が戦って下さるから大丈夫だ。』という確信をもって、前に進む事ができるのです。

羊がライオンに襲われた時、もしもダビデが神様に信頼せず、羊を見捨てて逃げていたらどうなったでしょうか?
おそらく、その経験は巨人との戦いには繋がらなかったはずです。
主に守られたという経験がないので、ダビデは完全に恐れに囚われてしまっていたかもしれません。
だからこそ、わたし達は日々の生活の中の小さな事から、いつでも神様に従い、委ねる必要があるのです。

③ 神様の選び
イスラエルのこの危機を乗り越えるために神様が選んだのは、時の王サウルではなく、前回の戦いで活躍したヨナタン王子でもなく、まだ一介の羊飼いでしかなかった少年ダビデでした。
この時ダビデは、イスラエル軍の一兵士ですらなかったのです。
兵士としてサウル王に仕えていたのは、ダビデの兄たちでした。
兄達は父エッサイの期待を背負って、活躍するためにサウル王の元に仕えていたのです。
ダビデはその兄達にお弁当を届けに来て、この場面に遭遇してしまったというだけです。

ひとりの少年羊飼いダビデは、地面からなめらかな石をいくつか拾うと、それを石投げ機に乗せて、ゴリヤテめがけて勢いよく投げつけました。
その石はまっすぐゴリヤテの眉間に突き刺さり、ゴリヤテのその重い体は、一瞬の内に崩れ落ちたのです。

この話は、“勇敢で力強いスーパーヒーロー・ダビデ”の話ではありません。
ただの羊飼いの少年の上に神様が力を注ぐ時、どんな事が起りえるかという事をわたし達に教えてくれる話しです。

神様が天の御国のために用いるのは、牧師とか、宣教師とか何か肩書きを持った人だけではありません。
あるいは、何か目立つ奉仕をしていたり、何かのミニストリーに関わっている人だけを用いるのでもありません。
更に言えば、立派な社会立場についていたり、大きな影響力を持っている人たちだけを用いるのでもありません。
皆さんが今、自分自身の存在がどれだけ小さい存在だと感じていたとしても、若すぎるとか、年をとり過ぎていると思っていたとしても、神様はわたし達を神の器として、神様の働きのために用いる事ができます。

皆さんの前に巨人が立ちふさがる時、わたし達は絶体絶命のピンチに陥ったのではありません。
その時こそ、わたし達が神様間の御業を目にするチャンスなのです。
そしてその戦いは、さらに大きな次の巨人との戦いの糧となるでしょう。
今こそ信仰の石投げ機を手に取り、祈りの石を装てんして、投げつける時です。

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