『 LOVE ONE ANOTHER 』2011/12/25 松田健太郎牧師
よく言う事ですが、日本では、クリスマスは家族と恋人たちのお祭りのように扱われています。
クリスマスイブには、お父さんは仕事を早く終えてクリスマスケーキを買って帰ります。
恋人たちはクリスマスに親密さを増し、多くのカップルがこの時にプロポーズをするのだそうです。
それを眺めつつ、わたし達教会は「違うだろ~」と思っていたりするわけですが、でも彼らが正しい事もあるんです。
それは、彼らが“愛”というものに向かって行こうとしているという事です。
一方でわたし達教会は、「イエス様の誕生を…」とか言いながら、いつまでも何が正しいか、何が間違っているかという事に一生懸命になって、“愛”を忘れてしまったりします。
でも、イエス様わたし達に一番求めていたのは何ですか?
“罪を犯さない事”ですか?
それとも、“正しい教義を知っている事”でしょうか?
どれも大切な事だとは思いますが、一番大切な事ではありません。
イエス様が最も大切なこととしてわたし達に教えていたのは、愛することです。
ヨハネ 13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
13:35 もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」マタイ 22:36 「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」
22:37 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
22:38 これがたいせつな第一の戒めです。
22:39 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
もしわたし達の間に愛がないなら、他の事がどれだけ完璧にできたとしても意味がありません。
どんなに聖書の知識を持っていたとしても、どんなにたくさんの人達に伝道していたとしても、どんなに素晴らしい賛美を歌い、どんなにたくさんの献金をしていたとしても、そこに愛がないなら、そんなものは何の役にも立たないと聖書は教えているのです。
今回のクリスマス祝会は、テーマを決めて、そのテーマに基づいて行おうと決めていました。
そしてテーマとして躊躇なく選んだのは、この“Love one another”“互いに愛し合う”という事だったんです。
クリスマスのテーマとしては、これがもっともふさわしいものであるように思ったからです。
しかし、一言で“互いを愛し合う”と言っても、なかなか難しいのがわたし達でもありますね。
それでは、愛とはどういうものなのでしょうか?
Iコリント13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
13:6 不正を喜ばずに真理を喜びます。
13:7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
13:8 愛は決して絶えることがありません。
みなさん、愛とは寛容である事です。
私たちはみな失敗をしますが、何度でも赦し、その人の成長を待つ心、それが寛容です。
物事に熱心であればあるほど、価値観の違う人に対して寛容さを失いがちではないでしょうか。
しかし、愛は人を寛容にさせるのです。
愛は親切であることです。
それは相手に嫌われないための優しさではなく、相手の事を心から思う事で初めて可能になる真心です。
そして、愛のある人は人をねたみません。
それは、自分が何かを得る以上に、相手の幸せを望むからです。
だから自慢をしたり、高慢になる事もありません。
愛は自己中心ではありません。
だから礼儀をわきまえ、自分の利益を求める事をせず、短気になって怒ったりせず、人のした悪をいつまでも心に留めることをしません。
かといって、人の不正をそのままにしておくことを望まず、真理を喜びます。
そして結果を焦ることなく、どれだけ失敗を重ねても相手を赦し、しかし成長していく事を期待して助けます。
愛は、冷めたり飽きてしまうようなものではなく、永遠に続いていくものです。
さて、これが愛ですと言われた時、皆さんの中にこの様な愛が自分の中にはあると言う事ができるでしょうか?
実際には、自分の身近な人に対してさえこの様に接する事ができていない。
というよりも、身近な人たちに対してこそ、この様に接する事ができない自分に気がついたりするのではないでしょうか。
私たちが愛を身につけることができないのは、私たちが愛とは何かを知らないからです。
私たちの中には、そのままでは愛がありませんが、私たちが神様の愛を知ってそれを体験する時、愛とは何かという事を初めて知ります。
私たちは神様に愛される事によって、人から愛を求めるのではなく、人を愛する事ができるようになるのです。
ですから、私たちはまず、神様の愛を知って受け取る必要があるのです。
そしてそれと同時に、私たちもまた神様に従って人を愛していく事が大切です。
私たちは愛そうとする努力をしなければ、愛される事がどれだけすばらしい事かという事を理解できないからです。
聖書にはこの様に書かれています。
Iヨハネ 4:7 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。
4:8 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。
4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
わたし達は愛されています。
わたし達も、そうして愛して下さっている神様を愛し、その愛によって周りの人達にも愛のおすそ分けをしませんか?
愛に溢れたクリスマスとなりますように。