『 Messy Church ⑦ 悪を思わず、真理を喜ぶ教会 』 2017/10/21 松田健太郎牧師

Iコリント 13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
13:6 不正を喜ばずに真理を喜びます。
13:7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

教会とは、わたし達イエス様を救い主として信じる人々の集まりです。
それは単に集まりではなく、家族としてひとつとなる集まりであり、生ける神様の体を構成する集まりです。
しかし、わたし達がそのような深い関係を築いて行くためには、表面的な人間関係ではなく、お互いの弱さや醜さも露わにされていく必要があります。
わたし達が、自分自身を包み隠さなくても大丈夫な教会、それこそ、わたし達が目指すMessy Churchです。

でも、そのような関係は、決して簡単に築き上げることができるものではありません。
わたし達の弱さや醜さが明らかになるという事は、必ず人間関係の問題も起るからです。
だからわたし達は、互いに赦しあい、愛し合う信頼関係を築いて行く必要があります。
それは、愛のないわたし達には大変な道のりである事は言うまでもありません。
わたし達がMessy なChurchであり続けるために、今日も引き続き、わたし達を互いに結び合う愛について学んでいきたいと思います。

これまでわたし達は、愛について6つの事について学んできました。
1:愛とは、正しい事よりも相手の成長を待つ事を優先する寛容さをもつ事。
2:愛とは、積極的なやさしさを発揮する親切をもつ事。
3:愛とは、人と比較する事をやめて、ありのままの相手を見る事。
4:愛とは、親しくても礼儀をわきまえる事。
5:愛とは、見返りを求めない事。
6:愛とは、キレて我を忘れてしまわない事。
今日は、その続きお話ししていきたいと思います。

① 愛は悪を思わない
わたし達が人を愛する時、わたし達はその人の悪い部分をわざわざ見つけ出すという事をしません。
この様に言われていますね。
Iコリント 13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、

例えば好きな人がいた時、わたし達はその人の良い部分を見て、その人が好きになるのではないでしょうか?
逆に、嫌いな人は、その人の悪い所に目が向いて、その人の事を嫌いになります。
ここで言われている愛のあり方は、人の悪い部分に目を留めるのではなく、わたし達は互いに、良い部分を見て行きましょうという事です。

「いや、しかしその人の悪い部分を示して、正してあげる事も愛じゃないか。」と思われる方もいらっしゃるでしょう。
それは確かにその通りかもしれません。
でも、もしそれをするなら、その人の良い部分を、悪い所の10倍は伝えてからにした方が良いでしょう。
そうでなければ、伝えた相手も、わたし達の忠告を聞こうという気持ちにはならないからです。

良い部分を、そんなに見つける事ができないというなら、わたし達はその人の悪い部分を正してあげる事ができるほど、その人の事を十分に知ってはいないという事です。
相手の事を知りもしないのに忠告してあげるというのは、大きなお世話であるだけではなく、迷惑にしかなりません。
それは、わたし達が自分の思いで苦情を言っているだけであって、愛から来ているものではないのです。
聖書はこう言います。

ピリピ 2:3 何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。

人の欠点を見つける事は、それ程難しい事ではありません。
わたし達はみんな欠点をもっているのですから、放っておいても、ある程度の付き合いがあれば、人の悪い所なんていくらでも見えてきます。

一方で、人の良い部分というものは、そう簡単には目につかないものです。
罪の性質を持っているわたし達の心は、お互いの欠点に注がれてしまっているからです。
だからわたし達は、人の良い部分を見つける目を良く養う必要があります。

人の悪い部分を愛する事は難しくても、その人の良い部分を愛する事は簡単だからです。
人の悪を思わない事が、わたし達の愛の力をさらに大きなものとしていくのです。

② 愛は真理を喜ぶ
愛のリスト8番目は、不正を喜ばずに真理を喜ぶという事です。
これまでわたし達は、「愛は寛容であり、親切である」という事を学んできました。
しかしわたし達は、このような優しさだけの愛に偏り過ぎてしまうと、問題が起る事もあるのです。

教会という所には、時としてお金を求めてやってくる人達がいます。
貧しくて困っているというのですが、かわいそうに思ってお金を貸したりして助けようとしていると、そのお金はお酒や、ドラッグや、ギャンブルにつぎ込まれている事がわかって驚かされたりします。
わたし達が“愛そう”とする想いを利用する人達も、実は決して少なくないのがこの世界なのです。

また、明らかな罪の中にいる人達もいます。
だれかと不倫の関係にある。
実は密かに盗みをしている。
そのような人に対して、わたし達はどのように接すればいいのかという事は、とてもデリケートで、時に難しい事ではないかと思います。

わたし達は、優しさだけに偏り過ぎると、そのような人達をそのままにして、愛だけを伝えて行きたい気分になります。
わたし達は嫌われたくないですから、そのような罪には目をつぶっていた方が楽だったりもします。

しかし、罪には必ず痛みが伴います。
それは罪の中にある本人を傷つけ、周りの人達を傷つけるものです。
そのような罪をそのままにしておくのが、本当の愛であると言えるのでしょうか?

これはとても難しい問題です。
単に罪を指摘しただけでは、その人にうまく伝わらないという事もあるからです。
わたし達は責められているように感じると、返って頑なになってしまう事もあります。
そうして自分の罪を認める事ができなくなったり、「みんなやっているじゃないか」と開き直ってしまう事も少なくありません。
愛を持って優しく、しかし傷や痛みをもたらす“罪”から離れるように促す事がわたし達に求められています。
そのバランスが大切であり、とても難しい部分でもあるのです。

③ 異邦人か取税人のように愛する
人の罪を戒める時に、どうしたらいいかという事について、イエス様はこの様な話をしています。

マタイ 18:15 また、もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。
18:16 もし聞き入れないなら、ほかにひとりかふたりをいっしょに連れて行きなさい。ふたりか三人の証人の口によって、すべての事実が確認されるためです。
18:17 それでもなお、言うことを聞き入れようとしないなら、教会に告げなさい。教会の言うことさえも聞こうとしないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。

この御言葉の最後、「彼を異邦人か取税人のように扱いなさい」という言葉をどのように理解するかによって、この言葉の意味は大きく変わります。
皆さんはどのように考えるでしょうか?

伝統的には、この言葉によって人々は教会から破門され、追い出され、教会から切り離されてきました。
問題が金銭のやりとりや、傷害事件、あるいはレイプのように被害者が伴うような事であるなら、そのような対応もやむを得ない事だろうと思います。
しかしそれでも、教会は加害者となった人へも何らかの霊的援助をするべきだと僕は思います。

「異邦人か取税人のように扱う」とはどういう意味でしょうか?
イエス様が、異邦人や取税人に対してどう接したかという事を考えてみてください。
イエス様は、異邦人を切り離して追い出すような事をしませんでした。
売国奴と呼ばれた取税人に対しても、イエス様は愛を示しました。
何よりもこの福音書を書いたマタイ自信がもともと取税人だったのです。

「異邦人か取税人のように扱う」とは、「信仰を持っていない求道者に対して諭すように、丁寧に教えてあげる事」ではないかと、僕は思うのです。
信仰をわきまえて、主の弟子として自覚を持つ人ほど厳しく、しかし知らない人に対しては忍耐強く、ひとつひとつ教えて行く必要があります 。

「愛において不正ではなく真理を喜ぶ」という事は、不正な者を追い出して真理を追究するという事では決してありません。
それは、その場だけの平和を求めて不正を許すのではなく、本当の幸せをもたらす真理を伝える事こそが本当の愛だと教えている言葉なのです。

わたし達が心から人を愛するためには、相手から嫌われる覚悟もなければなりません。
相手にどう思われるかという恐れより、相手の本当の幸せを求める事に愛があるからです。
でも、そのような愛で人を愛する事は、わたし達にはとても難しい事でしょう。
わたし達自身が愛される事に飢え、渇いているのですから。

だからわたし達は、まず神様の永遠の愛で愛されている事を知る必要があるのです。
不完全な人からの愛を求めるのを止め、神様の完全な愛で満たされていく時、わたし達は愛されるための愛ではなく、本当の愛で隣人を愛する事ができるようになっていきます。
そうするとやがて、わたし達は人からも愛されている自分を見いだすのです。

この愛のシリーズは、あともう一回続きます。
本当は今日のお話でそこまでいってしまいたかったのですが、内容があまりにも濃すぎてそこまで行く事ができませんでした。
でも、このまま終わってしまっては、「愛する事って難しい。大変だなぁ」という話で終わってしまうのです。
来週が愛のシリーズのまとめとして一番大切な部分ですので、最後までぜひ聴いて下さいね。

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