創世記1章 天地創造

天地創造

創世記1章は、天地の創造について記述されています。
これをどう理解するかに関しては、いろいろありますよね。
この理解に関して分かれるところは、世界は本当に6日間で創造されたのかどうかという話しではないでしょうか。

僕個人の考えとしては、「その辺りはどうでもいい」ということです。
なぜならば、世界がどのように創造されたかということは、聖書の中心となるメッセージではないからです。

そのように言うと、怒りだす人もいるかもしれません。
「聖書に書かれていることはすべて真理であり、文字通りに解釈されなければならない」と考える人たちがいるからです。

僕は別に、その人たちの信仰を否定するつもりも全くありません。
そうかもしれないし、そうであったら素敵だとも思います。
でも、世界が6日間で創造されたわけではなかったとしても、僕の信仰は全く揺らぐことはありません。
「世界がどのように創造されたか」ということは、重要なことではないからです。

大切なのは、「世界は、神さまによって創造された」ということです。
これは、絶対に譲ることできません。
でも、「どのようにして創造されたか」という部分に関しては、当時の人たちにわかりやすく、受け取りやすいように書かれているのではないかと、僕は想像しています。

良かった世界

さて、天地創造の中で大切な第2のことは、この世界を創造した神さまは、「それを良しと見られた」ということです。

「神はそれを見て良しとされた。」という言葉は、1章の中で6回出てきます。
全地全能の神さまの目に適うものなのですから、この世界は本当に素晴らしいものだったのです。

そして人間が創造されたとき、神さまは最後にこれまでとは違う感想を述べています。
「それは、はなはだ良かった」と言ったのです。

神さまが創造したこの世界は、本当に素晴らしい世界でした。
何の文句の付け所もない、完璧な世界だったのだと思います。

「今はどうして最高の世界ではないのか」ということに関しては、3章のところでお話ししますが、このことだけは覚えておいてください。
私たちが目指して行くのは、このときに創造された世界であり、このときに創造されたままの私たちです。
これが「神の国」「天国」のあるべき姿であり、私たちは新しいものを作りだすのではなく、ここにある原型に近づいていくことが求められています。

全知全能の神さまが創造したものに敵うもの、代わるものはないからです。

神に似せられた人間

この章で大切なもう一つのことは、私たち人類についての記述です。

創世記 1:26 神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」

ここで「われわれ」と書かれているのは、神さまのことです。

神さまが「われわれ」という複数形で表されているのは、聖書の中でも創世記の1~3章の間だけです。
これに関しても様々な解釈がされていますが、ここでは「三位一体」である神さまの性質が強調されているからではないかと僕は思っています。

三位一体である神さまは、その存在そのものの中に愛の関係があり、断つことができない絆で結びあわされています。
神に似た者として創造された私たち人間もまた、関係性を持つ存在として創造され、三位一体の神さまの関係の中に招かれているのです。