創世記3章 人間の罪と救いの計画

目次

悪魔のウソ

3章では、悪魔の象徴として蛇が出てきます。
これは、単なる象徴だったのか、あるいは悪魔が蛇の姿を借りていたのか、どういう状況だったのかはよくわかりません。
でも、この蛇が悪魔だったのは確かなことです。

さて、悪魔は、人を神さまから引き離すことに命を懸けています。
映画やマンガのように、人を殺したりということではないんですね。

悪魔という存在は、とても魅力的で、口がうまい存在です。
ウソを見破ろうとしたり、議論で打ち負かせようとすればするほど引き込まれてしまう。
この時には、こんな言い方でエバを誘惑します。

創世記 3:1 さて蛇は、神である【主】が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」

実際に神さまが言っていたのはこうでした。

創世記 2:16 神である【主】は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい
2:17 しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。

悪魔は、神さまの言葉を歪め、僕たちの理解を混乱させます。
そして悪魔は、神さまが僕たちの敵であるかのように思いこませ、自分の元に引き寄せようとするのです。

そう考えてみると、この世界にはそういう言葉にあふれていることがわかります。
僕たちは、だまされないように気をつけなければなりませんね。
そのためには、神さまの言葉を注意深く聞き、その意図を理解しようとすることが大切だと思います。

罪の本質

罪という話しをすると、「何が罪で、何が罪ではないか」という話しになることが多いと思います。
でも、聖書の中で語られている「罪」とは何を意味しているのかをよく理解しなければ、見当違いな議論を重ねることになるでしょう。

罪の本質は、私たちが神さま以外のものに従って神さまに背き神さまから離れてしまったということです。

悪魔は、このように言いました。

創世記 3:4 すると、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
3:5 それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」

僕たちは、今もまさにこのように振る舞っています。
でもこれは、もちろん悪魔のウソです。
僕たちはまるで自分こそが善悪を理解しているかのように振る舞いますが、その善悪は人によって違うため、全く噛み合いません。
結果として互いに争いが起こり、傷つけあうのです。

善と悪の戦いではなく、互いの善が噛み合わないことによって戦争は起こります。
残念なのは、これが世の中で起こっているというだけでなく、クリスチャン同士の間にも普通に見られることです。
僕たちは赦された罪人に過ぎないのだということがよくわかる現象ですよね。

救いの計画

神さまから離れたことによって、僕たちは祝福の存在から、呪われた存在へと変わってしまいました。
それによってこの世界も影響を受け、壊れた世界になってしまったのです。

しかし、僕たちが呪われた存在となった後も、神さまの僕たちへの愛は変わりませんでした。
人が罪人になって、滅びる存在となったその瞬間から、神さまの救いの計画も始まったのです。

神さまは、人を誘惑した悪魔に対して、このように言っています。

創世記 3:15 わたしは敵意を、おまえと女の間に、
おまえの子孫と女の子孫の間に置く。
はおまえの頭を打ち、
おまえは彼のかかとを打つ。」

ここで語られている「女の子孫」、「彼」とは、やがて与えられることになる救い主のことを意味しています。
神さまは、やがて救い主を女の子孫として地上に送り、悪魔のたくらみを打ち砕くことを約束したのです。

もうひとつ、創世記3:21を読んでみましょう。

創世記 神である【主】は、アダムとその妻のために、皮の衣を作って彼らに着せられた。

ここに記されている「皮の衣」も、やがて与えられる救い主を表しています。
人は罪人になった時、罪人となった自らを恥じて、いちじくの葉で自分を隠そうとしました。
善い行いによって体裁を整え、自分には罪がないと思い込もうとしている姿がそこに表されています。

しかし、人が作ったものや、「善い行い」で罪を隠すことなんてできません。
神さまは、そんなアダムとエバのために自ら動物を殺し、彼らの罪の恥を覆ったのです。

この時に犠牲となった動物のように、神のひとり子イエスさまは、十字架でいのちを投げ出すことによって私たちの罪を贖ってくださいました。
私たちは、神さまが私たちの代わりに殺してくださったイエスさまのいのちによって、罪を覆われているのです。

新約聖書には、その事を述べている言葉があります。

ガラテヤ 3:27 バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。

聖書は、僕たち人間が神さまから離れて滅びるべき存在となった僕たちを、神さまが救うことについて書かれた神さまの言葉です。
ことの発端(創世記1~3章)、その結果(旧約聖書)、救いの実現(新約聖書)、そしてそれがどのように完結するか(黙示録)というところまで書かれています。

世界の成り立ちを知るためや、ルールブックという、本来の目的以外の読み方をしようとすると、聖書は途端によくわからないものになってしまいます。