創世記20章 繰り返される失敗

ゲラルのアビメレク

さて、ソドムとゴモラが滅ぼされようとしている頃、アブラハムの方にも大変な状況が起こっていました。

 

ロトのように定住せず、まだ遊牧民としての生活を続けていたアブラハムは、住まいをネゲブに移していました。
そして、カデシュとシュルの間のゲラルという場所に滞在していました。

そこで、かつてエジプトで起こったのと同じ出来事が起こってしまいます。
アブラハムがサラを「私の妹です」と言ったために、ゲラルの王アビメレクに、サラが召し上げられてしまったのです。

ここで起こったこと自体は、ほとんどエジプトの時と同じ。
このことによってアビメレクに危機が迫り、自分が召し上げたのがアブラハムの妹ではなく、妻だったという事実を知り、危機を乗り越える。
アブラハムは、アビメレクに叱られるという流れです。

繰り返される過ち

しかし今回の失敗は、エジプトの時よりもより深刻な状況でした。

第一に、これは2回目の失敗だったということです。
まだ未熟だったエジプトの時代なら仕方がなかったかもしれませんが、数十年経った今、再び犯してしまったのです。
アブラハムに成長はないのか?
情けないと言えば、ひどく情けない状況です。

アブラハムは、ここでウソをついてしまった理由をこのように言っています。

創世記 20:11 アブラハムは答えた。「この地方には、神を恐れることが全くないので、人々が私の妻のゆえに私を殺すと思ったのです。

そして更に、こんな言い訳をしています。

創世記 20:12 また、本当に、あれは私の妹、私の父の娘です。でも、私の母の娘ではありません。それが私の妻になったのです。
20:13 神が私を父の家から、さすらいの旅に出されたとき、私は彼女に、『このようにして、あなたの真実の愛を私に尽くしてほしい。私たちが行くどこででも、私のことを、この人は私の兄です、と言ってほしい』と言ったのです。」

アブラハムの言い訳は、「別にウソは言っていない」ということです。
サラは異母兄妹なので、妹であるということ自体は本当のことでした。
でも、そんなの詭弁ですよね(笑)。
問題は、「自分の妻である」ということを言わなかったことです。
「嘘ではないけど、本当のことを言っていない」というこの状況は、まさに旅の初めからあったアブラハムの問題であり、20年以上経った今、まだ克服できていなかったのです。

僕たちもそういうことがありませんか?
神さまと出会う前ならまだしも、神さまから出会った後も、そしてそれから何年も経った後も、克服できていない弱点や問題があったりします。
気の弱さや、短さ、人間関係の築き方など、性格や性質に関係する弱さはずっとついて回ります。
でも、僕たちの問題は、その性格自体ではありません。
問題が起こった時に、それを神さまに尋ね、従い、委ねないことが問題なのです。

人類救済の危機

さらに深刻なのは、この出来事がサラを通して約束の子が与えられるということが言われた直後に起こった出来事であり、これは人類の救い主が生まれなくなる可能性があった状況だったということです。

一歩間違えれば、この時に生まれたのはアブラハムの子ではなく、アビメレクの子となっていました。
それは、約束の子ではありません。
その後、サラがアブラハムの子を産む機会がなくなれば、約束の子は与えられないことになり、それは契約の民であるイスラエルが存在しないということになり、果ては救い主が生まれないということになっていきます。

人類そのものの危機だったのです。

そんな重大なことに関わっているという自覚が、アブラハムにはなかったのでしょうね。

でも、実は僕たちも、他の人々にも影響を及ぼすような大きな決断が与えられているかもしれません。
僕たちは、自分の行動が子孫に影響を及ぼすという自覚を持っているでしょうか?
もっと身近で分かりやすい、子どもたちの人生に関わることでさえ、自覚できていないような気がします。

どんな時でも、神さまに聞き、神さまに従う確かな人生を歩んでいきたいですね。

あと、90歳のお婆ちゃんになっていたサラを召し抱えたいと言い出したアビメレクの趣味に関しては、触れないでおいてあげましょう(笑)。