創世記40章 献酌官と料理官の夢
牢獄での出会い
奴隷から囚人へ。
どう考えても絶望的な事態となっていく中、ヨセフは牢獄でふたりの人物と出会いました。
二人の人物とはエジプト王ファラオの献酌官(いわゆる毒見役)と、料理官です。
その時ふたりは奇妙な夢を見たのですが、その夢の意味がわからず、不安に苛まれてイライラしていました。
さあ、ここでまたもやチャンスがやってくるわけです。
ヨセフには、神様から与えられた夢を解き明かす力があったからです。
ヨセフはそのふたりに声をかけます。
「夢を解き明かす事は神様がなさることではありませんか。それを私に話してください。」
献酌官が見た夢とは、こんな夢でした。
創世記 40:9 献酌官長はヨセフに自分の夢を話した。「夢の中で、私の前に一本のぶどうの木があった。
40:10 そのぶどうの木には三本のつるがあった。それは、芽を出すと、すぐ花が咲き、房が熟してぶどうの実になった。
40:11 私の手にはファラオの杯があったので、私はそのぶどうを摘んで、ファラオの杯の中に搾って入れ、その杯をファラオの手に献げた。」
ヨセフはそれが良い夢である事を解き明かしました。
必ず疑いが晴れて三日後に出獄できるから、その時には自分の事を覚えていて、無実の罪で投獄されている自分のために釈明して欲しいとヨセフは頼んだのです。
献酌官の夢が自分の夢と似たものであり、いい夢である事を知った料理官は、自分も良いことを言ってもらえるに違いないと思ってヨセフに夢を打ち明けました。
料理間の夢はこんなものでした。
創世記 40:16 料理官長は、解き明かしが良かったのを見て、ヨセフに言った。「私の夢の中では、頭の上に枝編みのかごが三つあった。
40:17 一番上のかごには、ファラオのために、ある料理官が作ったあらゆる食べ物が入っていたが、鳥が私の頭の上のかごの中から、それを食べてしまった。」
しかし、その夢の解き明かしは献酌官のものとは逆で、三日後にパロに裁かれて処刑されるというものでした。
かくして三日後、献酌官はヨセフの解き明かしの通りに釈放され、調理官は処刑されてしまいました。
こんな風に、夢を解き明かすということがあるんですね。
皆さんにそのような賜物が与えられているかどうかわかりませんが、一度神さまに尋ねてみたらいいのではないかと思います。
夢を通して語りかけてくださるように、そしてその夢を解き明かせますように…。
神さまの計画のとき
献酌官は恩赦にあずかって出獄したのですが、ヨセフに掛けられていた嫌疑は晴らされることがありませんでした。
献酌官はヨセフのために釈明するどころか、ヨセフのことなどすっかり忘れてしまったのです。
いつまで待てばいいのか分からない状態で待たされることほど辛いことはありません。
明日こそ迎えが来るに違いない、そう思って待っても、待っても、迎えは来ない。
絶望的とも言える時間が過ぎていったことでしょう。
しかし、いつまで経っても迎えは来ず、ヨセフが釈放されることはありませんでした。
ヨセフの事を忘れ、二年間もほったらかしにするなんて、献酌官もひどい奴だと思われるかもしれません。
しかし、これはこれでよかったのです。
これもすべて神さまの計画のうちなのです。
献酌官がもし、出獄した時にヨセフの釈明をしていたら、ヨセフは釈放されてそれなりに良い暮らしができたかもしれませんが、おそらくそれはそれだけの事で終わっていたでしょう。
あるいはヨセフが牢獄で何年も過ごす事によって、内面的に変えられる必要があったのです。
僕たちも今、誰かに忘れ去れている事があるかもしれません。
それは、それでいいじゃないですか。
神さまのタイミングが、いつでも最善だからです。
僕たちが、神さまのタイムテーブルを信じて、神さまの時を待つなら、その先にはヨセフがこれから目にしていくような素晴らしい計画が用意されているでしょう。