十戒(7)姦淫しない(過去ブログより)

出エジプト 20:14 姦淫してはならない。
これも、イエス様は言いなおして、実際に行動に移すかどうかが問題ではない事を明記している。
マタイ 5:27 『姦淫してはならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。
5:28 しかし、わたしはあなたがたに言います。情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯したのです。
セックスが汚らわしいものだなんて勘違いはしないで欲しい。
セックスは、夫婦が愛を育み、絆を深め、生命の誕生に関わる素晴らしいものだ。
神様は僕達がセックスを楽しむ事を喜ばれる。
しかし、それは夫婦の間だけのものである事を忘れてはいけないんだ。
 
ひとりの男と、ひとりの女が結ばれてひとつとなる結婚。
それは別々となっていたふたりがひとりとなる事を意味している。
そこには、イエス様と僕たちの関係も象徴されている。
エペソ 5:31 「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」
5:32 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。
セックスの対象が、自分の妻や夫以外に向けられた時、セックスは本来の神聖さを失い、情欲となってしまう。
情欲は愛が堕落し、腐敗してしまった状態だ。
 
情欲は愛に似た部分もあるけれど、全く違うもの。
愛が相手を思いやる気持ちに溢れているのに対し、情欲は自己中心的で、相手を自分の満足のために利用する思いに根差している。
 
僕達が情欲をもって相手を見るようになると、僕たちは自分の妻や夫への愛も堕落し、自己中心的にしか見られなくなってしまう。
それが姦淫の恐ろしい部分だ。
 
ふたりの人がひとつとなる結婚というものは、今ではほとんど形だけと言っていいくらい意味のないものにされてしまった。
お互いの情欲によって二人が結ばれ、嫌いになったら分れる。
それは、僕たちに(特に子供たちに)愛というものを分らなくさせてしまうとともに、神様との関係にも少なからぬ影響を与えてきたのではないだろうか。
まとめ: 姦淫の罪を避けて、本当の愛を知ろう