民数記14:1-12(民数記14:1-15:41) 民数記11『約束の地が教えていること』2026/03/14 けんたろ

民数記14:1-12(民数記14:1-15:41)
14:1 すると、全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。
14:2 イスラエルの子らはみな、モーセとアロンに不平を言った。全会衆は彼らに言った。「われわれはエジプトの地で死んでいたらよかった。あるいは、この荒野で死んでいたらよかったのだ。
14:3 なぜ【主】は、われわれをこの地に導いて来て、剣に倒れるようにされるのか。妻や子どもは、かすめ奪われてしまう。エジプトに帰るほうが、われわれにとって良くはないか。」
14:4 そして互いに言った。「さあ、われわれは、かしらを一人立ててエジプトに帰ろう。」
14:5 そこで、モーセとアロンは、イスラエルの会衆の集会全体の前でひれ伏した。
14:6 すると、その地を偵察して来た者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフンネの子カレブが、自分たちの衣を引き裂き、
14:7 イスラエルの全会衆に向かって次のように言った。「私たちが巡り歩いて偵察した地は、すばらしく、良い地だった。
14:8 もし【主】が私たちを喜んでおられるなら、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さる。あの地は乳と蜜が流れる地だ。
14:9 ただ、【主】に背いてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちの餌食となる。彼らの守りは、すでに彼らから取り去られている。【主】が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」
14:10 しかし全会衆は、二人を石で打ち殺そうと言い出した。すると、【主】の栄光が会見の天幕からすべてのイスラエルの子らに現れた。
14:11 【主】はモーセに言われた。「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じようとしないのか。
14:12 わたしは彼らを疫病で打ち、ゆずりの地を剝奪する。しかし、わたしはあなたを彼らよりも強く大いなる国民にする。」

前回は民数記の13章からお話をしました。
イスラエルは、神さまに導かれて約束の地カナンに斥侯を送りましたが、そこは乳と蜜の川が流れる地であると同時に、高い城壁で護られ、巨人のようなアマレク人たちがいる地でした。
ヨシュアとカレブはすぐにでも約束の地に入ることを提案しましたが、残りの10人は恐れを抱いていたという話でしたね。
彼らは、神が「与える」と約束したことよりも、目に見える巨人に対する恐れを信じた。
そのことが問題だったのです。
14章は、その報告を聞いた民たちの反応から始まります。

① 神の導きに逆らう

斥侯たちの報告を聞いたイスラエルの人々は、大声を上げて夜の間泣き明かし、エジプトに帰ろうと言い始めました。

14:2 イスラエルの子らはみな、モーセとアロンに不平を言った。全会衆は彼らに言った。「われわれはエジプトの地で死んでいたらよかった。あるいは、この荒野で死んでいたらよかったのだ。
14:3 なぜ【主】は、われわれをこの地に導いて来て、剣に倒れるようにされるのか。妻や子どもは、かすめ奪われてしまう。エジプトに帰るほうが、われわれにとって良くはないか。」
14:4 そして互いに言った。「さあ、われわれは、かしらを一人立ててエジプトに帰ろう。」

この反応に対して、神さまはイスラエルを滅ぼしてしまおうと思うほど、大きな怒りを露わにしました。
神さまがそこまで怒ったのはなぜでしょう?
それは、これが単なる愚痴ではなく、神さまの導きを拒否することであり、全てを否定に他ならないからです。

彼らはさらに、神さまに従おうとしていたヨシュアとカレブを殺そうとしました。
神さまの側に立つ者に敵対する道を選んだのです。

② モーセの執り成し

神さまはこのように言われました。

14:22 わたしの栄光と、わたしがエジプトとこの荒野で行ったしるしとを見ながら、十度もこのようにわたしを試み、わたしの声に聞き従わなかった者たちは、だれ一人、

イスラエルは、エジプトの十の災いや、海が割れ、マナが降り、雲と火の柱の導きを受け、シナイ山では神さまの臨在を体験しました。
それにもかかわらず、神さまを信頼せず、全てがなかったことのように元の道に帰ろうとしたのです。

ここでもし、モーセが彼らのために執りなすことがなかったら、彼らは滅ぼされていたでしょう。
神さまはモーセの執り成しによってイスラエルを滅ぼすことはせず、別のかたちで裁きを下します。

14:22 わたしの栄光と、わたしがエジプトとこの荒野で行ったしるしとを見ながら、十度もこのようにわたしを試み、わたしの声に聞き従わなかった者たちは、だれ一人、
14:23 わたしが彼らの父祖たちに誓った地を見ることはない。わたしを侮った者たちは、だれ一人、それを見ることはない。

それは、神さまに信頼を置かなかった人々が誰一人としてカナンに入ることはできないという裁きです。
私たちは、イスラエルは荒野を40年間さまようことになったということを言いますが、それは、この時に不満を漏らした人々がいなくなるまでカナンの地に入ることができなかったという話です。
そして、彼らが死に絶えるまで40年の月日が必要だったと言うことなのです。

③ 神の国とは

さて、神さまに背いた人々が約束の地に入れなかったというこの出来事は、私たちにとってどのようなことを意味しているでしょう?
前回も少し話しましたが、約束の地はいわゆる天国を表しているのではありません。
ここに表されているのは、神の国です。
そして、この出来事は神の国がどのようなものかということをよく表しています。
神の国に生きることは、神さまの言葉と導きに従って生きる先に見えてくるものです。
だから、この出来事のすぐ後の15章では、これまでに神さまが教えてきたことの復讐として、約束の地に入ってから行う必要のあることについて記されているわけです。

肝心なのは、「イスラエルは神様に背いたので、罰として約束の地に入れてもらえなかった」というのではなく、神さまの言葉や導きに従わないなら、そこには神の国はないということです。

この辺りの感覚を間違えると、「あの人はいい人なのにどうして神の国に入れないのですか?」という疑問が生まれてきてしまいます。
いい人であるかどうかという問題ではないのです。
また、悪いことをしないかどうかという話でもありません。
「神さまに聞き従う先に神の国はあり、そうしない限り神の国には入れない。」
そういう話なのです。

私たちクリスチャンも神の国に入ることができますが、そのために物理的にカナンの地に行く必要はありません。
日々、神さまに聞き従う中で、ある時私たちは神の国に生きている自分に気が付きます。
そこには戦いもありますし、試練や苦難もありますが、乳と蜜が流れる豊かな地です。
そこには神の力があり、義があり、恵みがあり、愛があります。
そしてそこには安息があり、平安があります。
神の国は、神さまが王として私たちとともにおられる場所なのです。