63日目 民数記21~22章:荒野の勝利と青銅の蛇、そしてバラムとの対決の始まり

荒野の旅も終盤に近づいてきました。
しかしイスラエルの民はなお不平を言い、神の導きを疑います。
それでも神は裁きの中に救いを備え、敵の前ではご自身の民を守り続けられます。
民数記21~22章には、人の弱さと神の変わらない守りが鮮やかに描かれています。
聖書全体の中での位置づけ
民数記18~20章では、祭司制度の確認やメリバの水の出来事を通して、神の聖さと人間の弱さが示されました。
21~22章では、イスラエルが約束の地へさらに近づく中で、神が敵から守り導かれる姿が描かれます。
特に青銅の蛇の出来事は、新約聖書においてイエス・キリストの十字架を指し示す重要な預言的出来事となっています。
民数記21章:青銅の蛇と荒野の勝利 ── 見上げて生きる信仰
旅の途中で民は再び神とモーセに不平を言います。
そこで神は燃える蛇を送られ、多くの人がかまれてしまいました。
民が罪を認めて助けを求めると、神はモーセに青銅の蛇を造るよう命じられます。
蛇にかまれた者でも、その青銅の蛇を見上げるなら生きることができました。
救いは人の努力ではなく、神が備えられた方法を信じて見上げることによって与えられたのです。
その後、神はイスラエルに敵国との戦いで勝利を与え、約束の地への道を開いていかれます。
民数記22章:バラムの召し出し ── 神の民を呪えない敵
イスラエルの接近を恐れたモアブの王バラクは、預言者バラムを呼び寄せてイスラエルを呪わせようとします。
しかし神はバラムに、ご自身が語ること以外を語ってはならないと命じられました。
旅の途中では、バラムのろばが主の使いを見て立ち止まり、ついには神によって口を開かれて語ります。
人には見えない神の働きを、一頭のろばが見ていたのです。
こうして神は、敵の計画さえも支配しておられることを示されました。
神の働きとメッセージ
民数記21~22章は、神が救いと守りを備えてくださるお方であることを教えています。
民は再び不平を言いました。
しかし神は裁きだけで終わらせず、青銅の蛇による救いの道を用意してくださいました。
これは後にイエスご自身が引用される出来事です。
ヨハネ3章で主は、
「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければならない」
と語られました。
青銅の蛇を見上げた者が生きたように、十字架のキリストを信じる者は永遠のいのちを受けるのです。
また22章では、神の民を呪おうとする力が働いても、神のご計画は揺るがないことが示されています。
バラクは呪おうとしました。
バラムも利益に心を引かれました。
しかし神が祝福すると決めた民を、誰も覆すことはできませんでした。
私たちも時に恐れや反対に囲まれることがあります。
しかし神の御手の中にある者は、人の計画よりも大きな神の守りの中に置かれているのです。
神は裁きの中にも救いを備え、ご自身の民を敵の企みから守り抜かれるお方なのです。
考えてみよう
- 私は困難の中で不平を言うよりも、神に助けを求めているでしょうか。
- 青銅の蛇を見上げた民のように、救いをキリストに求めているでしょうか。
- 神が備えてくださる救いの方法を信頼しているでしょうか。
- 人の言葉や評価を恐れるあまり、神の約束を忘れていないでしょうか。
- 神が私を守ってくださることを信じているでしょうか。
- 今の私には、見上げるべき「十字架」が必要な問題はないでしょうか。
- 今日、神の守りと導きに信頼してどのような一歩を踏み出せるでしょうか。


