ルカ20:19-26 『ルカ95 これは誰の銘ですか』 2017/02/12 小林拓馬

 

ルカ20章19~26節
19:律法学者、祭司長たちは、イエスが自分たちをさしてこのたとえを話されたと気づいたので、この際イエスに手をかけて捕らえようとしたが、やはり民衆を恐れた。
20:さて、機会をねらっていた彼らは、義人を装った間者を
送り、イエスのことばを取り上げて、総督の支配と権威にイエスを引き渡そう、と計った。
21:その間者たちは、イエスに質問して言った。「先生。私たちは、あなたがお話しになり、お教えになることは正しく、またあなたは別け隔てなどせず、真理に基づいて神の道を教えておられることを知っています。
22:ところで、私たちが、カイザルに税金を納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか。
23:イエスはそのたくらみを見抜いて彼らに言われた。
24:「デナリ銀貨をわたしに見せなさい。これはだれの肖像ですか。だれの銘ですか。」彼らは、「カイザルのです」と言った。
25:すると彼らに言われた。「では、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」
26:彼らは、民衆の前でイエスのことばじりをつかむことができず、お答えに驚嘆して黙ってしまった。

【FOOK:トイ・ストーリー動画】
▼あいさつ
▼「トイ・ストーリー2・ビデオ」(2分)
https://www.youtube.com/watch?v=lrIO-wv-AS4) “I belong to you”.
・トイ・ストーリー2見たことある方いますか?
・おもちゃのウッディやバズに、持ち主のアンディ君の名前が書いてあって、自分が誰の持ち物か思い出す場面のビデオです。英語なんですけど、分かる方は歌詞も聞いてみてください。
<ビデオ見て・・・>
・さて、これが今回のメッセージにどうつながっていくかは、後々のお楽しみ・・・。

【おさらい】
1:当時のイエス様一行は、エルサレムに入ったばかり。
2:イエス様がエルサレムの宮で教えていると、祭司長やパリサイ人と「何の権威」で教えているのかと議論になりました。
3:イエス様は、彼らにバプテスマのヨハネの権威は天からきたのか、人から出たのかと尋ねて、黙らせました。
4:それと同時に、イエス様はぶどう園のたとえを話し、自分が救い主、メシアであるということを示されていきました・・・ここから今回の箇所に入っていきます。

【起:背景とたくらみの概要】
▼19節の説明
19:律法学者、祭司長たちは、イエスが自分たちをさしてこのたとえを話されたと気づいたので、この際イエスに手をかけて捕らえようとしたが、やはり民衆を恐れた。
1:このぶどう園のたとえを、自分たちがメシアを受け入れていないと指摘された律法学者や祭司長たちは、イエス様をなんとか捕まえようとしますが、やはり彼らは自分たちの立場を気にして、何もできませんでした。

▼20節の説明
20:さて、機会をねらっていた彼らは、義人を装った間者を送り、イエスのことばを取り上げて、総督の支配と権威にイエスを引き渡そう、と計った。
1:「彼ら」というのは、マタイとマルコの同じ場面では
「パリサイ派の弟子たち」と「ヘロデ党の人たち」と書かれています。
2:「パリサイ派」はローマの支配から脱却する考え、
対して「ヘロデ党」は、ローマと仲良くやりましょという立場でした。
3:★対立していたパリサイ派とヘロデ派が手を組んでまでも、イエス様をハメようとしたんですね。おそらく、前回けちょんけちょんにやられた祭司長と律法学者たちもグルだったでしょう。
4:彼らは、前回、直接対決で負けてしまったので、今度はスパイを送って、失言させようとします。(僕は記者の仕事をしていますが、たまに政治家に「失言」させようとする記者もいます・・・笑)
4:「総督の支配と権威にイエスを引き渡そう」とあります。総督はローマの役人のピラトですね。当時は、イスラエルはローマの属国だったのですが、総督の下に「サンヘドリン」という議会があり、そのメンバーは祭司長や律法学者たちでした。彼らの多くはローマと敵対していましたが、今回は「総督の権威」を認めるような動きです。
★本来パリサイ派が認めたくないはずのローマの支配と権威までもを使って、イエス様をなんとかやっつけたいと思っていたことが分かります。
5:★彼らの目的は、イエス様に「ローマに反逆する」ことを言わせることでした。そうるれば、ローマへの反逆罪で逮捕できるからです。
▼21節の説明
21:その間者たちは、イエスに質問して言った。「先生。私たちは、あなたがお話しになり、お教えになることは正しく、またあなたは別け隔てなどせず、真理に基づいて神の道を教えておられることを知っています。
1:「先生」は尊敬を払う言葉。ヘブライ語の「ラビ」。
2:「別け隔てなどせず」とは別訳で「えこひいきをしない」ということ。
3:まず、これ以上ないくらいのお世辞を言って騙そうとします。僕も政治家の人にいつもこんな感じでへつらっています。冗談です。(ただ、現代でこんなお世辞を言う人がいたら、普通はアヤシイと思いますけどね・・・笑)

▼22節の説明
22:ところで、私たちが、カイザルに税金を納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか。
1:この「たくらみ」は非常に巧みです。
2:★もし「税金を払わない方が律法にかなっている」と言えば、ローマへの反逆になります。そう言えば、20節で「皇帝の権威に引き渡そう」としていたとおり、すぐにローマへの反逆罪でイエス様を逮捕することができます。
3:逮捕されたくなければ、「税金を払うべきだ」と言えばよかったのかもしれません。
4:しかし、★もし「税金を払う方が律法にかなっている」と言えば、ローマへの反逆にはならないかもしれませんが、ユダヤ人たちは失望するでしょう。★なぜなら、ユダヤ教の「律法」では、ささげ物は神様にささげるものでした。彼ら、特にパリサイ派にとっては、ローマに税金を納めることは、偶像礼拝と同じくらいの罪であり、屈辱だったのです。
5:ちなみに、パリサイ派たちは、こんなこと言ってますが、ルカの最後の方で彼らは、「イエスはカイザルに税金を納めることを禁じている」と訴えて、十字架につけろと言っています。スーパー自分勝手ですね。
6:彼らの質問は、どう答えても悪い結果を招くように思えます。
7:★でも、イエス様はパリサイ派みたいに人の評価など気にしません。
8:質問にはその通り答えないイエス様。(まるで記者会見が上手な政治家ですね・・・笑)★「払うべき」「払わないべき」との問いに答えなかったのは、もっと大切なことを教えようとしておられたからではないでしょうか。イエス様は何と言ったんでしょうか。

【承:イエス様のここでの教えは・・・】
▼24、24節の解説
23:イエスはそのたくらみを見抜いて彼らに言われた。
24:「デナリ銀貨をわたしに見せなさい。これはだれの肖像ですか。だれの銘ですか。」彼らは、「カイザルのです」と言った。
1:★ここからが大切なところです。
2:デナリ銀貨は、こんな感じ(写真)。1デナリは当時の1日分の賃金ですから、だいたい1万円くらいですね。
3:当時の銀貨にはカエサルの肖像と名前が刻まれていました。

▼25、26節の解説
25:すると彼らに言われた。「では、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」
26:彼らは、民衆の前でイエスのことばじりをつかむことができず、お答えに驚嘆して黙ってしまった。
1:彼らがカエサルのものと発言したので、「では」、「カエサルのものはカエサルに」と、まず税金を納めることを否定しませんでした。これで反逆ではなくなります。
2:次に何と言ったでしょう。★「神のものは神に返しなさい」。これが今回のキーポイントです。

▼ここでの教えはなにか。
1:ここでイエス様が伝えようとしておられることは何でしょう。
2:「カエサルの顔が彫ってあるからカエサルに返せ」ということでしょうか。それだったら、1万円札は全部、慶応大学に献金しなきゃいけなくなっちゃいますよね。
3:★ここのポイントは「神のものは神に返しなさい」というところです。ヨハネの福音書の最後みたいになっちゃいますが・・・笑

【転:クライマックス「神のもの」とは何か・私たちには「誰の銘」が刻まれているか】
▼「神のもの」とは何か
1:「神のもの」とは何でしょうか。
2:色々な意見があるかとも思います。もし難しいという人は、★神様は誰なのか考えてみると分かりやすいです。
3:聖書の最初に何と書いてあるでしょう。「はじめに神が天と地を創造した」。
4:神様は創造主です。この世界のすべてのものは神様のものなのです。
5:★この世界のすべてのもの、自然も物質も、そして私たち一人ひとりの命も、神様のものなのです。では、元々全部神様のものなのに、「神に返す」とはどういうことでしょうか・・・? そもそも私達に「お返し」はできるのでしょうか?

▼▼「これは誰の銘ですか」▼▼
1:それを考えるために、ルカの箇所をもう一度見てみましょう。イエス様はどんな問いかけをしているでしょうか。24節です。
2:★★「これは誰の銘ですか」とあります。★「これは誰の銘ですか」。
3:1デナリはカエサルの銘でした。★★私たちには、「誰の銘」が刻まれているでしょうか。
4:第1コリントには、私達は「代価を持って買われた」とあります。何で買われたんでしょうか。私達は、イエス様の十字架、イエス様のいのちで買われました。私たちは、神様に引き取られました。私たちは神様のものです。
5:一番最初に見た、トイ・ストーリーの動画を思い出してください。ウッディたちには、アンディ君の名前が書いてありました。★★私たちには、イエス様の名前が刻まれているのです。
6:別の箇所も見てみましょう。(ローマ8:16,17)
16:私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。
17:もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。
7:私たちは、「神様の子ども」です。そして、「神の相続人」です。神様のものは、すべて私達のものなのです(放蕩息子のたとえ話でも、父親は、「私のものはすべてあなたのものではないか」と言っていますね)。

【結:神の子どもとなり、神のものを受けたら】
▼私自身が神のもの
1:私たちはどうやって神様の子どもとなったでしょうか。それは、イエス様の十字架の犠牲でゆるされたからです。私達が何かしたわけではありません。ただ理由なしに、一方的な愛で愛されたのです。
2:「神のものは神に返しなさい」というならば、★私達は自分自身を神様にお返しする必要があります(ローマ12:1<後半>)。
あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
3:★私たちがお返しできる「神のもの」は、この「愛」と「恵み」を受けとって、その「愛」と「恵み」を流していく「生き方」ではないでしょうか。神様のものは全て私達のものです。つまり、愛も恵みも私達のものです。

【チャレンジ:恵みを受けてからの生き方】
★最後に今日のポイントを振り返ります。
1:「これは誰の銘ですか」。あなたは神様の子どもです。
2:「神のものは神に返しなさい」あなたは神のもので、そして、神の愛と恵みを受けています。その愛と恵みを、聖霊様の力で実践することが、「お返し」です。

★そして、今週1週間、チャレンジしてみてください。
1:十字架の恵みに感謝して生きることを意識してみましょう。
2:自己卑下から卒業し、神様からのゆるしを受け取りましょう。あなたは赦されています。あなたのゆるしは、イエス様のいのちの代価で買われたのです。

「これは誰の銘ですか」あなたは、神様の子どもです。

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