ルカ13:22-30 『ルカ68 天国は狭き門』 2016/07/17 松田健太郎牧師

ルカの福音書13:22~30
13:22 イエスは、町々村々を次々に教えながら通り、エルサレムへの旅を続けられた。
13:23 すると、「主よ。救われる者は少ないのですか」と言う人があった。イエスは、人々に言われた。
13:24 「努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。
13:25 家の主人が、立ち上がって、戸をしめてしまってからでは、外に立って、『ご主人さま。あけてください』と言って、戸をいくらたたいても、もう主人は、『あなたがたがどこの者か、私は知らない』と答えるでしょう。
13:26 すると、あなたがたは、こう言い始めるでしょう。『私たちは、ごいっしょに、食べたり飲んだりいたしましたし、私たちの大通りで教えていただきました。』
13:27 だが、主人はこう言うでしょう。『私はあなたがたがどこの者だか知りません。不正を行う者たち。みな出て行きなさい。』
13:28 神の国にアブラハムやイサクやヤコブや、すべての預言者たちが入っているのに、あなたがたは外に投げ出されることになったとき、そこで泣き叫んだり、歯ぎしりしたりするのです。
13:29 人々は、東からも西からも、また南からも北からも来て、神の国で食卓に着きます。
13:30 いいですか、今しんがりの者があとで先頭になり、いま先頭の者がしんがりになるのです。」

ある時、イエス様とともに歩いていた人の中からこのような声が挙がりました。
「主よ。救われる者は少ないのですか」
この人が、どういう思いでこのように感じ、イエス様に言ったのかはわかりません。
でもこれは、日本でクリスチャンとして生きている私たちも感じる事かもしれません。
神様と出会う人、イエス様を救い主として受け入れる人はすごく少ないように感じます。
先週の話では、神の国はからし種のように、パン種のように広がり成長すると言っていましたが、実際に救いを手にしていく人たちの少なさを考えると、本当にそうなのだろうかと疑いたくなる気持ちも出てきます。

その質問に、イエス様はこのように答えました。

13:24 「努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。

これだけを見ると、『狭き門』という言葉は、入る事が難しく、努力が必要で、競争して、他の人たちを押しのけて入るのでなければくぐる事の出来ない門のように思えます。
一般的にも、『狭き門』という言葉は「東大合格の狭き門」という使い方がされます。
救いを手に入れるためには、善い行いをしたり、宗教的な決まりを守る事によって、テストに合格する必要があるのでしょうか?
救われるためには、競い合って、他の人たちを蹴落とさなければならないという事なのでしょうか?
しかしそれでは、これまで私たちが学んできた福音のイメージとは、かけ離れたものになってしまいます。

救いとは、私たちの行いによってではなく、信仰によって与えられるもののはずです。
そして救いとは、私たちの努力の結果ではなく、ただ恵みによって私たちに与えられるものであるはずです。

イエス様が言う『狭い門』とは何なのか、どのような門なのか、ともに考えてみましょう。

① 選択肢が狭い門
ここで言われている門とはどのようなものかという事を考えてみましょう。
この“門”という言葉は、建物の門の事だそうです。
神の宮、救いの中に入るために必ず通らなければならないもの、それが門です。
そこで、門についてイエス様がどんな話をしていたか、思い出してみましょう。
イエス様は、このように言っていました。

ヨハネ 10:9ab わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。

救いの“門”とは、イエス様のことを表しているのです。

イエス様がどのようなお方だったかを思い出してみてい下さい。
イエス様は、近づき難い方だったでしょうか?
能力の高い者だけを集め、ある程度のレベルに合わなければ追い返してしまうような、そんな方だったでしょうか?
そうではありません。
むしろ逆に、どんな方でも招き入れるお方でした。
誰に対しても開いている門、それがイエス様という救いの門でもあるのです。

しかし、誰にでも開かれてはいても、誰もが通る門でもありません。
イエス様には、決して近づこうとしない人達もいました。
パリサイ派の人々を初めとした、自分には能力や権力があると思っている人たちです。
彼らはまるで、これでは自分たちが入るには値しないとでも思っているように、イエス様という門を通ろうとはしませんでした。
つまり狭き門とは、誰にでも開かれているけれど、高ぶる者は決して通ろうとしない門なのです。

でもイエス様は、このようにも言っています。

ヨハネ 14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません

この言葉を通して何がわかるでしょうか?
それは、イエス様だけが救いへといたる唯一の門であり、道であるという事です。
つまり狭い門とは、「選択の幅が狭い門」だという事です。
これが、「救いにいたる門は狭く、努力して入らなければならない」と言っている第一の意味です。

② 入る人が少ない狭い門
「救いの道へと至る門は狭き門だ」とイエス様が言う第2の意味は、その門を通る人が少ない門だという事です。
「入ろうとしても、入れる人が少ない」とイエス様は言います。
だから、努力して狭い門から入らなければならないのです。

ここで“努力して”狭い門から入ると言われている言葉の意味は、一生懸命に頑張って救いを手にするという意味ではありません。
『努力して、狭い門から入らなければ救いを得る事ができない』という事は、普通のままの状態、考え方では、救いを得る事が出来ないという意味なのです。
私たちは自分の力、自分の持ち物、自分の能力を当てにして、他人と比較しながら生きてきました。
その価値観が、私たちの中には染みついてしまっています。
“恵みによって一方的に与えられた救いを、信仰によって受け取る”という考え方は、私たちの中にはない発想なのです。

つまりイエス様がここで言いたかったのは、こういう事です。
「あなたたちが思い描いているような宗教的な正しさを求める事や、自分の価値観に根差した善い行いをすることによって救いを手にする事はできない。意識的に、考え方を完全に変えて、狭い門から入る努力をしなさい。それは、自分の義に頼る道ではなく、主の義により頼む恵みによる生き方なのだ。」

自分の行いや“努力”によって救を得ようとするのではなく、恵みとして与えられる救いを“努力”して受け取りなさいというのは、なんという皮肉でしょうか。
しかしそれ程までに、人々は福音の道を選ぼうとしません。
自分の義によって救いを得るという考え方の方がわかりやすいからです。
でも誰も自分の義によって救いを手にする事はできません。
それは、広い門であるように見えて、実は閉ざされた門なのです。

③ 時間的に狭い門
イエス様が言う「狭い門」の第3の意味は、時間的に狭い門という事です。
イエス様はこのように言っています。

13:25 家の主人が、立ち上がって、戸をしめてしまってからでは、外に立って、『ご主人さま。あけてください』と言って、戸をいくらたたいても、もう主人は、『あなたがたがどこの者か、私は知らない』と答えるでしょう。

救いの門は、誰にでも開かれている門だという話をしました。
しかし、いつまでも開いている門ではありません。
門が閉じられてしまったら、そこをくぐって神の国に入る事は誰にもできません。
戸をいくら叩いても、その扉がもう一度開けられるという事はないのです。
それでは、私たちはどうすればその門をくぐる事ができるのでしょうか?
それは、罪を悔い改めて神様に立ち返り、イエス様を通して失われていた神様との関係を回復するという事です。
しかし、入る事の出来なかった人たちの中には、自分が門をくぐれないのはおかしいと言う人たちもいます。

13:26 すると、あなたがたは、こう言い始めるでしょう。『私たちは、ごいっしょに、食べたり飲んだりいたしましたし、私たちの大通りで教えていただきました。』
13:27 だが、主人はこう言うでしょう。『私はあなたがたがどこの者だか知りません。不正を行う者たち。みな出て行きなさい。』

ここはすごく重要な所です。
私たちに求められているのは、救いの門をくぐって中に入ったかどうかという事なのです。
教会にどれだけ通っていたとしても、救われるための方法を知っていたとしても、イエス様の事を知っていたとしても、門の中に入っていなければ意味がありません。
その内に入ればいいやと思っていたら、その門は閉まってしまうかもしれません。
戸が閉まってしまう前に、私たちは中に入る必要があるのです。

皆さんは、狭い門の中に入り、救いを自分のものとしているでしょうか?
何度もでも言いますが、大切なのは教会に来ているかどうかではありません。
洗礼を受けたかどうかですらありません。
皆さんが、神様との愛の関係を築いているかどうかなのです。

救いへと至る門は、確かに狭い門です。
そこに入り、救われる人たちはとても少ないようにも見えます。
でも、入ろうとするなら、誰でも、どんな人でも入る事の出来る自由な門です。
皆さんがその門から中に入る事ができますように。
そして、ひとりでも多くの人たちをそこに導くことができますように、心から祈っていきましょう。

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