使徒2:42 『 使徒③~キリストの体としての教会 』 2012/04/29 松田健太郎牧師

使徒 2:42
2:42 そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。

さて、先週のお話では使徒たちを始めとする、イエス様を信じる人達に聖霊が注がれた、聖霊のバプテスマが起ったという話をしました。
その時、そこにいた3000人の人達がイエス様を救い主として信じて、洗礼を受けたのです。
そして今度は、この3000人の人々を中核として、ここから教会が生まれていきます。
そして更にこの3000人は、この後驚くような勢いで増え広がっていく事になるのです。

教会とは、どんな所でしょうか?
皆さんは教会とはどんな場所であり、何をする所だと思っていますか?
わたし達は時として、教会というものを勘違いして考えてしまいます。
多くの人は教会とは建物の事だと思い、日曜日の朝に礼拝をする場所だと考えています。
一般的な日本人のイメージは、ステンドグラスがあって、パイプオルガンがあって、何か黒い服を着たまじめそうな神父か牧師が結婚式をする所。
ある人達は、教会とはクリスチャンたちの集まりだと考えていますが、その集まりとしてのあり方はその教会によって全く違います。

まぁ、教会にはそれぞれの役割や目的があって、色んな教会があっていいとは思います。
そこで、それぞれの教会がどのような教会になっていくのかという事は、わたし達が教会とはどのようなものだと思っているかという認識によって変わるのではないかと思います。

教会とは何か?
それはわたし達にとって大切な質問なのです。
それでは、今日の聖書箇所を通して、その事を共に考えていきましょう。

① キリストのからだとしての教会
聖書の中に、この様な言葉があります。

Iコリント 12:13 なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。

教会とは、ひとつの御霊によってバプテスマを受け、御霊を飲む者とされたたわたし達が構成する、生けるキリストの体です。
わたし達が聖霊を与えられて洗礼を受ける時、わたし達はひとつの体として神様に結びつけられます。
でもそれは、わたし達ひとりひとりがバラバラに神様へと結び付けられるのではなく、わたし達がひとつとして結び付けられていく事を意味しています。
教会とは、建物の事ではありません。
また、わたし達がひとりだけで教会として成立するのでもなく、わたし達がお互いに結び付けられる所に教会としての働きがあるのです。

もっと言えば、教会とは単にこのクロスロードとしての集まりの事だけを指しているのでもなく、世界中の全てのクリスチャンが、教会として、またキリストのひとつの体としての機能を果たしているという事も出来ます。

また、教会というものは“からだ”であるという表現がされていますから、何か機械的な組織のようなものとは違うという事も押さえておく必要があります。
普通の組織は、組織として機能的に働く事ができるように、ピラミッド構造になっていたりしますが、からだというのはそれとは違いますね。
からだというものは単に機能的なのではない、もっと有機的な関係という事ができます。

それは、その時その時によって機能する部分が変わるという事です。
ローマ人への手紙の中にこの様な言葉があります。

ローマ 12:4 一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、
12:5 大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。

わたし達は、それぞれに役割が違い、働きが違います。
どれひとつとして、ひとつだけで働きをする事ができる器官はなく、お互いに繋がり合っている必要があります。
そして、何一つとして必要のない器官はありません。
コリントへ宛てた手紙の中では、パウロはこの様に言っています。

Iコリント 12:25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。
12:26 もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。

ある人達は、クリスチャンであるという事は神様との関係なのだから、自分ひとりでも信仰を持ち続ける事ができると言います。
でも、それではキリストの体としての役割を果たす事はできません。
例え、どの教会にも所属する事がないとしても、他のクリスチャンとの関係を必ずどこかで持っている必要があります。
このメッセージの原稿だけを読んでいたり、音声で聴いていて下さる方の中には、もしかしたら他のクリスチャンとの交わりを持っていない方もいらっしゃるかもしれません。
もしそうであれば、どうかぜひ、他のクリスチャンとの関係を何らかの形で作っていただきたいと思います。
そうでなければ、主に結び付けられてひとつとなるという素晴らしい体験を逃してしまうからです。

② 有機的教会になるために
さて、聖霊を受けて主の体としての働きを始めた初代教会は、どのように成長していったでしょうか?
歴史的に見ても初代教会の時に勝る教会成長は滅多にないと言われています。
初代教会と同じ事をすればいいという事ではないにしても、わたし達は初代教会から学べる事がたくさんあるのではないでしょうか?
初代教会が成長していく上で、この様な事が行われていたと聖書には書かれています。
使徒 2:42 そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。

ここには、教会が有機的なキリストの体として成長していくために大切な4つの要素が描かれています。

第1に、教えをしっかりと理解し、堅く守る事。
単に聖書の知識を得る事や、良い話を聞いて感動するかどうかという事ではありません。
聖書の言葉を学び、自分のものとして身につけ、実践するという事が必要です。
この時代の教会は、まさに神の御言葉を学び、神の御言葉に生きていたのです。

第2に信徒同士の交わり、人間関係を築くという事です。
それは単に挨拶をし合うような関係ではなく、互いに愛と信頼があるような深い関係です。
互いに自分の問題について話しあい、祈り合う事ができるような関係を築く事は簡単な事ではありません。
時間もかかるでしょう。
しかし、だからこそ私達もこのような人間関係を築く事ができるように実践し始める必要があります。

第3にパンを裂くという事。
これは、ひとつには聖餐式を通してイエス様への信仰を確かめるという事です。
しかしそれだけではなく、食事を共にしたという事も表しています。
共に食事をするという事が、互いの心の壁を取り払い、人間関係を深めるのです。
明日はバーベキューの日ですね。
皆さん、ぜひ参加していただき、共に交わりを深めましょう。

そして第4に、ともに祈る事です。
自分の事だけを祈るのではなく、互いのために祈り合う事は絆を深めていきます。
わたし達が抱えている問題を、共に背負う事になるからです。

イエス様は、ふたりや三人で祈る事についてこの様に話しています。

マタイ 18:19 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。
18:20 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」

③ 実践として
それでは、これから実際にふたりか三人で集まり、それぞれのグループで互いのために祈る時を持ちたいと思います。
自分が抱えている問題に関してお話しするのはとても勇気がいりますが、もし可能であれば、その事についてぜひ話してみてください。
その場合、聴いている側のコツがあります。
それは、「アドバイスをしない」という事です。
例え自分がその問題の答えを持っていると思ったとしても、どうかその事をアドバイスしないでください。
ただお互いの話しに耳を傾け、受容し、その事について祈り合ってみていただきたいのです。

後日、互いに話し合い祈り合った事に関して何か進展があったら、ぜひその結果を伝えて下さい。
場合によっては、その事を引き続き祈ってみていただきたいと思います。

どうしても自分の問題について話したくないということであれば、今ここでムリする必要はありません。
その時は、健康のために祈ってもらうとか、仕事のために祈ってもらうとか、あるいは家族の事に関して祈ってもらったらいかがでしょうか?
それではぜひ、それぞれグループに分かれて話しあってみてください。

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