エズラ7:1-10 『 エズラ4 イスラエルの回復 』 2014/09/28 松田健太郎牧師

エズラ7:1~10
7:1 これらの出来事の後、ペルシヤの王アルタシャスタの治世に、エズラという人がいた。このエズラはセラヤの子、順次さかのぼって、アザルヤの子、ヒルキヤの子、
7:2 シャルムの子、ツァドクの子、アヒトブの子、
7:3 アマルヤの子、アザルヤの子、メラヨテの子、
7:4 ゼラヘヤの子、ウジの子、ブキの子、
7:5 アビシュアの子、ピネハスの子、エルアザルの子、このエルアザルは祭司のかしらアロンの子である。
7:6 エズラはバビロンから上って来た者であるが、イスラエルの神、主が賜ったモーセの律法に通じている学者であった。彼の神、主の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをみなかなえた。
7:7 アルタシャス王の第七年にも、イスラエル人のある者たち、および、祭司、レビ人、歌うたい、門衛、宮に仕えるしもべたちのある者たちが、エルサレムに上って来た。
7:8 エズラは王の第七年の第五の月にエルサレムに着いた。
7:9 すなわち、彼は第一の月の一日にバビロンを出発して、第五の月の一日にエルサレムに着いた。彼の神の恵みの御手が確かに彼の上にあった。
7:10 エズラは、主の律法を調べ、これを実行し、イスラエルでおきてと定めを教えようとして、心を定めていたからである。

エズラ記の続きからのメッセージです。
今日は7、8章のお話をするわけなのですが、ここにきてやっとエズラが登場することになります。
エズラ記は、エズラによって書かれた書という事であって、必ずしもエズラについての物語ではないんですね。

さて、バビロンによる捕囚から解放されたユダヤ人たちは、ゼルバベルに率いられて5万人がエルサレムへと帰還し、20年以上の期間を経て、ついに神殿が再建されることになりました。
今日の話は、実はそこからさらに57年後の話となります。
その間にペルシャでは、アハシュエロス王(クセルクセス1世)がユダヤ人であるエステルを妃として迎え、それによってユダヤ人虐殺の悲劇を免れるという奇跡が起こっています。
エステル記からはメッセージをしませんので、この話について詳しくは、エステル記を読んでみてください。

エズラ記7章に書かれているのは、その次の王、アルタシャスタ(アルタクセルクセス)王です。
エズラは、どのような目的をもって2回目の帰還を導いたのでしょうか?

① 祭司にして律法学者
まず、エズラがどのような人物だったかを見てみましょう。
7章の11節を見ると、このように書かれています。

エズラ7:11b アルタシャスタ王が、祭司であり、学者であるエズラに与えた手紙の写しは次のとおりである。―エズラは、主の命令のことばと、イスラエルに関する主のおきてに精通した学者であった―

エズラという人は、祭司であり、律法学者でもあって、神様の教えについてよく知っている人だったのです。

律法学者と聞くと、私たちにはネガティブなイメージが大きいのではないでしょうか。
イエス様は「律法学者のパン種に気を付けなさい」と言っていますし、新約聖書ではいつでもイエス様と敵対しているからです。
エズラの中にも、確かにそのような一面があったかもしれません。
実際、これまではそれほど注目を受ける事がなかった律法学者という人たちが尊敬を受けるようになったのはエズラの功績があったからであり、それが福音書の時代まで繋がっていたからです。

しかし、この時代はエズラのような、律法学者の存在が必要な時代でした。
イスラエルの人々の心は長い間神様から離れ、その結果がバビロン帝国の侵略が起こってしまいました。
バビロン帝国は神殿を破壊し、ユダヤ人たちは捕囚されてしまったので、辛うじて行っていた礼拝も長い間捧げる事ができなくなっていました。

ペルシャの勝利によって、ユダヤ人たちはバビロンから解放され、ゼルバベルの活躍によって神殿も再建されました。
しかし長い間ユダから離れ、神殿を始めてみた人々は、神殿があってもどうしていいかわからず、なかなかちゃんとした礼拝を持つこともできなくなってしまっていました。
そんなユダの人々に、もう一度律法を教え、イスラエルの民としてのアイデンティティを回復しようとしたのがエズラだったのです。

② アルタシャスタからの祝福
驚くのは、異教徒であるアルタシャスタが、エズラにたくさんの金銀を持たせ、ユダヤ人が礼拝を再開するために最大限の援助をしているという事です。
アルタシャスタ王がエズラに持たせたのは、金だけでも百タラント(3.6トン)、銀は六百五十タラント(22トン)、他にも祭儀に必要なたくさんの器や、塩、ブドウ酒、油などを持たせました。
アルタシャスタ王は手紙の中で、それだけの援助をする理由をこのように書いています。

エズラ7:23 天の神の宮のために、天の神によって命じられていることは何でも、熱心に行え。御怒りが王とその子たちの国に下るといけないから。

ペルシャ帝国は、支配下の民族の信仰に寛容だったことで知られていて、その背景にはそれぞれの宗教の神々を恐れていたり、加護を求めていたのではないかという解釈があります。
しかしそれにしても、アルタシャスタの椀飯振舞ぶりは驚くものがあります。
そう思って考えてみると、アルタシャスタのお父さんアハシュエロスの妃はエステルだったわけです。
アルタシャスタの母親がエステルだったとすればすごい事ですが、さすがにそうであれば聖書に書かれていたでしょう。
でもそうでないにしても、アルタシャスタとユダヤ人たちとの関係が良好である事には何の不思議もありません。

さらにエズラは、アルタシャスタの信頼を得て、いつも王のそばに仕えていた人でしたから、アルタシャスタはエズラから神様についての教育をしっかりと受けていたのかもしれません。
こうしてエズラは、多くの財宝と共に、エルサレムへの帰還に向けて旅立ったのです。

エズラと共に2回目の帰還に同行したたちについて、8章に書かれています。
これを合計してみると、後で同行することになったレビ人を合わせても1772名と少人数です。
これは成年男子だけの数ですから、女子供を集めると4~5000人はいたでしょうが、それでもゼルバベルの時の5万人と比べるとかなり少ない人数でした。
しかしエズラは、この人数で多くの財宝を携えた旅に、彼らを守るための護衛をつけませんでした。
当時は盗賊なども多く、かなり危険な事だったと思います。
彼自身の信仰を試されるような旅となりましたが、彼らは無事にエルサレムに到着することができました。
エズラの到着と、彼による教育によって、お飾りだけになりかかっていた神殿ではちゃんとした形で礼拝を捧げる事ができるようになり、ユダヤ人たちの信仰は、少しずつ回復していったのです。

③ エズラの宗教改革と律法復活
さて、ここでみなさんに問題を出したいと思います。
神殿が崩壊してから、ゼルバベルたちによって再建されるまでの間、ユダヤ人たちはどのようにして信仰を保ち、礼拝を捧げていたのでしょうか?

もちろん彼らは、以前から行っていたように、家庭集会によって信仰を次の世代に継承していただろうと思います。
しかしそれだけではなく、彼らはシナゴーグという集会所を作って、安息日である土曜日にそこに集まって、一緒に聖書を読んでいました。
福音書の中で、イエス様もこのシナゴーグにきて、聖書について話している場面がありますね。
シナゴーグという言葉自体は旧約聖書には出てこないのですが、このようにして捕囚時代から始まっていたと言われています。
つまりシナゴーグでの礼拝というのは、神殿を失ったユダヤ人たちが、仕方がなく代用として行っていたものだったわけです。

しかし、ゼルバベルたちの活躍によって、エルサレムには神殿が復活しました。
代用品だったシナゴーグは、もう必要がなくなります。
でも、捕囚時代に生まれ育ったユダヤ人たちの多くは、シナゴーグに集まることを止めなかったのです。
エズラはその集会を利用して、ユダヤ人たちに律法を教え、律法に従って生きる信仰生活を復活させていったのです。

私たちクリスチャンは、毎週日曜日に教会(正確に言えば礼拝堂)に集まって集会を行っています。
私たちはそれを“礼拝”と呼んでいるのですが、実はこのスタイルは、聖書的な“礼拝”というわけではありません。
“礼拝”というのは、旧約の時代も新約の時代にも、基本的には幕屋や神殿で生贄を捧げる事だったからです。
私たちのこの礼拝のスタイルは、シナゴーグでの集会を参考にして作られたものなのです。
だから日本語ではこの集まりを”教える会”と書いて”教会”と呼びますし、どうしても御言葉を学ぶ事が中心になってしまいます。

私たちは集まって御言葉を学ぶ必要もありますから、このような教会を否定するつもりはまったくありません。
でも、コレが礼拝の本質ではないという事は、皆さんに知っておいていただきたいです。
じゃあ礼拝って何なのかと言えば、今日の聖書箇所のポイントではないので簡単にお話ししますね。
礼拝の本質とは、第一に神様の御前に出て対話する特別な時間です。
これは、旧約の時代には祭司たちにだけ許された特別な事でした。
しかし、聖霊が与えられ、私たち自身が宮とされたクリスチャンには、いつでもする事ができる素晴らしい特権です。

礼拝の本質のもう一つの側面は、私たちが何かを捧げる事だという事です。
かつては生贄を捧げたわけですが、そこに象徴されている事はすでに、イエス様が完成してくださいました。
今は献金という形で、それが表されているのかもしれません。
私たちは、どのような思いで献金を扱い、捧げているでしょうか?

賛美もまた、私たちが神様に捧げる事ができるものです。
私たちはこれを、単なる歌にしてしまってはいないでしょうか?
私たちは、自分が気持ちよくなるためや、あるいは自分が目立つために歌うのではありません。
賛美は、私たちが神様に捧げる贈り物なのです。
私たちは心を込めて、神様に賛美を捧げているでしょうか?

さらにもうひとつ、私たちは自分自身を神様に捧げる事ができます。
礼拝について、パウロはこのように言っています。

ローマ12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

日曜日のこの時間、私たちは共に神様の御言葉を学び、神様の声に耳を澄ませます。
そこで語られた神様の言葉に従い、私たちが自分自身を捧げて行動することこそ、実は礼拝の一番大切な所なのです。

エズラがユダヤ人たちに律法を教え、彼らがイスラエルとしてのアイデンティティを回復していったように、私たちも聖書からたくさんの事を学び、礼拝者としてのアイデンティティを回復する必要がありますね。
皆さんの礼拝はどうだったでしょうか?
これまでがどうだったとしても、今日を境に皆さんが真の礼拝者として生きる事ができるよう、心から祈ります。

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