創世記6:1-18 『裁きの時のその前に』 2006/03/26 松田健太郎牧師

創世記 6:1~18
6:1 さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、 6:2 神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。
6:3 そこで、主は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう。」と仰せられた。
6:4 神の子らが、人の娘たちのところにはいり、彼らに子どもができたころ、またその後にも、ネフィリムが地上にいた。これらは、昔の勇士であり、名のある者たちであった。
6:5 主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。
6:6 それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。
6:7 そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」
6:8 しかし、ノアは、主の心にかなっていた。
6:9 これはノアの歴史である。ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。6:10 ノアは三人の息子、セム、ハム、ヤペテを生んだ。
6:11 地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた。 6:12 神が地をご覧になると、実に、それは、堕落していた。すべての肉なるものが、地上でその道を乱していたからである。
6:13 そこで、神はノアに仰せられた。「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。それで今わたしは、彼らを地とともに滅ぼそうとしている。6:14 あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外とを木のやにで塗りなさい。6:15 それを次のようにして造りなさい。箱舟の長さは三百キュビト。その幅は五十キュビト。その高さは三十キュビト。6:16 箱舟に天窓を作り、上部から一キュビト以内にそれを仕上げなさい。また、箱舟の戸口をその側面に設け、一階と二階と三階にそれを作りなさい。
6:17 わたしは今、いのちの息あるすべての肉なるものを、天の下から滅ぼすために、地上の大水、大洪水を起こそうとしている。地上のすべてのものは死に絶えなければならない。6:18 しかし、わたしは、あなたと契約を結ぼう。あなたは、あなたの息子たち、あなたの妻、それにあなたの息子たちの妻といっしょに箱舟にはいりなさい。

私達が聖書を学んでいく上で、神様の愛を感じ喜びが与えられることが数多くある中で、なるべくなら聞きたくない、耳をふさぎたいような部分も決して少なくはありません。
御言葉は私達の日々の糧であるといいますが、食べ物に例えるなら堅くて、パサパサしていて飲み込みにくい様なものが、これから学んでいく“裁き”という事かもしれません。
今日から多分3週間くらいに渡ってノアという人の話を進めていきますが、聞きたくないというので耳を閉ざしてしまうのではなく、素直に耳を傾けていただければ幸いです。
私達の人体は、柔らかいものばかり食べているとあごが衰え、さらには脳の働きまでものが弱まっていくそうです。
私達が聞き心地の良い、柔らかいものばかり食べていると霊的に衰えてきます。
堅い食べ物はよく噛まなければ飲み込む事はできませんが、噛む事は私達にとって善い事ですし、噛めば噛むほど味が出てくるというのが堅い食べ物に関して言う事が出来る事です。
噛めば噛むほど味わいが深くなるノアの話を、一緒に学んでいきましょう。

① 悪は広がる
6章の前半部分はおとぎ話のようで少し意味がとりにくいですが、ここではこの様な事が言われています。
人類に罪が入ってしまった後も、信仰によって歩んでいる人々がいました。
しかしその様な人々も、罪の中に生きる娘たちの美しさに惹かれて肉的な性質をもった娘達と結婚していってしまいます。
彼らの間で生まれた子供たちは、“巨人(ネフィリム)”と讃えられ、彼らは歴史になを残す英雄達でした。
しかし主は、罪の力と悪が広がってゆき、全ての人たちが道徳的な悪に染まっていってしまうのをご覧になられました。

罪の力は絶大です。
罪は簡単に人の心に入ってきて、虜にし、人を完全に支配してしまいます。
道徳的に正しい人や、信仰を持った人でも迂闊に罪にまみれた世界に足を踏み込むと、あっという間に堕落して、罪と悪に染まっていってしまいます。
私達も、信仰を持っていて正しい事が何かをわかっているはずなのに、仕事場で、近所付き合いで、信仰を持っていない人たちとの交わりの中に身を置いている内に、何が正しいのか間違っているのかわからなくなって来たりするような事はないでしょうか?
それが罪の力の恐ろしさです。
神様といつも繋がっていれば、私達は神様の声によって引き戻されて、いつでも本当の自分を保っている事ができるのですが、原罪によって霊が死んでしまった私達の肉の力では、自分の清さを保っている事ができないのです。

国家が人々に教育を与え、道徳と文化を成長させて文明国と呼ばれるようになるには何百年という月日を要します。
しかし、国が乱れて教育を怠ると、10年で文明は廃れ、30年あれば国は滅びると言われているのをご存知でしょうか。

モーセの時代以降、イスラエルの人々があれ程厳しく律法によって護られていたのは、このような理由からです。
朱に交われば朱く染まってしまうように、罪は大きな影響力を持って人々を侵食していくものなのです。
現代を生きる私達はどうでしょうか?
私達も、罪の染まった人々から、あるいは信仰を持っていない人々から離れた方がいいということでしょうか?

今を生きるクリスチャンである私達には、この当時の人々が持っていなかったものが与えられています。
それは聖霊です。
私達がキリストを救い主とする信仰を持った時、全ての人々に与えられる聖霊が、私たちを罪から引き離し、神様の元に留まらせて下さいます。

ガラテヤ 5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。
5:19 肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、5:21 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。
5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、5:23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。

私達信仰を持ったはずのクリスチャンでも、時にはたやすく誘惑に落ち、罪を犯してしまうことがあります。
それは、サタンが絶えず私たちを罪の世界に引きずり込もうと誘惑し、私達の中にある肉の力が罪の道へと走らせるからです。
私達が自分の力に頼り、肉の力で努力する危険性がここにあります。
肉の道は御霊に反するのです。
だからパウロは言いました。

ガラテヤ 5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。

私達が御霊によって歩む時、今度は私達が罪に染まった人々に対して影響を与え、人々を変えていく地の塩、世の光となっていきます。
人を変えるのは私達の力ではないのです。
私達は御霊によって歩んでいるでしょうか? それとも肉の力に頼っているでしょうか?

② 救いの手段

6:6 それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。
6:7 そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」

神様は人間を心から哀れに思い、深く心を痛めました。
神様が心を痛めた理由は、三つあります。
ひとつには人間が罪によって悪に染まり、もともと神様が創ったものとは似ても似つかないものになってしまったということ。
ふたつ目に、人間の罪によって地上のすべてのものが影響を受け、やはり初めに創造されたものとは違うものになってしまったということ。
そして、今やそれを全て滅ぼさなければならないということのためです。

しかしすべてが堕落と暴虐に満ちた中で、神様の心にかなう人物がいました。

6:8 しかし、ノアは、主の心にかなっていた。
6:9 これはノアの歴史である。ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。
6:10 ノアは三人の息子、セム、ハム、ヤペテを生んだ。

もちろんノアは、私達と同じように弱さを持ち、失敗もする罪人のひとりでした。
それでも彼が堕落せず、自分自身を保っている事が出来たのは、ノアが神様と共に歩んだ人物だったからでしょう。
彼は自分の弱さを知り、自らの力ではなく神様の意思に従順に従い、神様の恵みによって歩む道を見出した人だったということです。

このまったき人であるノアの行動を通して、私達は救いの道を知る事ができます。
誰もが洪水が起こるなんて馬鹿馬鹿しいと思っていた時に、ノアは神様の言葉に従って箱舟を作りました。これが信仰です。
そしてノアは箱舟に乗った事によって洪水を免れ、救われたのです。
私達が自分の行いを通して救われようとする事は、洪水の中を自力で泳ぎ続けるようなものです。
40日40夜滝のように降り続ける雨の中を、私達は泳ぎきる事ができるでしょうか?
私達はキリストの十字架を信じれば救われると言う神様の声に従い、イエス様という箱舟に乗る時、安心して裁きの時を過ごす事ができるのです。
まだ間に合います。
どうかすぐにでも、箱舟に乗って下さい。
水着や浮き輪なんて用意しなくても大丈夫ですから。

③ 家族の救い
神様はこのノアと契約を結び、ノアとその家族だけは、これから起こる洪水から護ろうと約束をします。
ノアの信仰と、まったき人間性が、ノアだけでなく家族をも救ったのです。
さて、ここで話しておかなければならない事があります。

使徒 16:30 そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」と言った。
16:31 ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。

私が信仰を持ったら、私の家族全員が自動的に救われて、みんな天国に行くことができるのでしょうか?
聖書を部分的に取り上げ、その箇所だけ読むことの危険性がこういうところにあります。カルトや異端やニューエイジは聖書の中で自分にとって都合のいいところだけを取り上げ、そこをまことしやかに教え、人々を間違った方向に連れて行ってしまうのです。
誰かが救いを受けたとき、その家族や周りの人たちが勝手に救われて天国に行くというのは、聖書の教える所ではありません。
使徒の働きの続きを読んでみましょう。

使徒 16:32 そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。
16:33 看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。
16:34 それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。

この時信仰を持った人物の家族も、彼が救われた後でイエス様を信じ、バプテスマを受けたと書かれています。
ノアの家族達も、彼らが洪水から救われるためには父であるノアを信じて、箱舟に乗る必要がありました。
家族を放ったらかしにして自分だけ船に乗って、洪水が来た時に「大丈夫、大丈夫。私が船に乗っているから家族の皆も溺れませんよ。」などということはありえませんよね。
救いを受けるかどうかは個人の選択です。
しかしその家族の中にひとりのクリスチャンが生まれるということは、家族全体にとって大きな可能性をもたらすということなのです。
いつも祈られている、必要な時にイエス様を知る事が出来るという環境は、家族の中にクリスチャンがいるからこそ可能な環境です。
それがどれ程大きな可能性であるかということを、皆さんは自覚しているでしょうか?

そしてもうひとつ、家族を救いに導く一番の秘訣は、家族同士の信頼関係です。
夫婦の関係が疎遠であれば、夫が救われても妻にとっては関係のないことです。
親子がバラバラであれば、親が救われても子供にとっては他人ごとなのです。
しかしそこに深い絆があるならば、信仰も必ず共有する事ができるはずです。

ヤング先生のお友達の家族は、奥さんの洗礼式の時に旦那さんが初めて教会を訪れ、その場で彼が決心して奥さんと一緒に洗礼を受けたそうです。
深い絆で結ばれた家族は、しつこい伝道なんてしなくても自然にクリスチャン・ファミリーになっていくものです。

僕の両親も、妹も、クリスチャンではありません。
元々僕は家族の中では浮いている存在で、どちらかといえば関係も疎遠でした。
僕が家族を離れてアメリカに行っている間にクリスチャンになり、その後すぐに結婚して家族と共に過ごす時間が殆どなかった事もあり、両親や妹に僕の信仰をわかってもらうのは大変です。
特に両親は、キリスト教の話は絶対に聞いてくれませんから、正攻法で伝道なんてできません。
今、僕は今まで持つ事が出来なかった家族との深い関係を、もう一度結ぶために働きかけています。難しいし、時間もかかるでしょうが、絶対に出来るはずだと信じています。
皆さんも、家族の関係をもう一度見直してみませんか?
夫婦同士、価値観を共有できているでしょうか?
家族の中で、コミュニケーションはしっかり取れているでしょうか?
関係を修復するのは、今からでも決して遅くはないはずです。

私達は、信仰を持ってしっかり準備できていれば、裁きを恐れる必要は何もありません。
裁きのときがいつ来るのか、私達が知る事はできませんが、いつそれが起こっても大丈夫なように、今から信仰の箱舟を立てあげていきましょう。
みんなはバカにするかもしれませんし、決して楽な作業ではないかもしれませんが、信仰が頑丈であればあるほど、私達は安心して終わりの時を待つことができるはずです。

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