I列王記12:1-5,12-19 『⑤王国分裂』 2011/02/06 松田健太郎牧師
I列王記 12:1~5、12~19
12:1 レハブアムはシェケムへ行った。全イスラエルが彼を王とするため、シェケムに来ていたからである。
12:2 ネバテの子ヤロブアムが、そのことを聞いたころは、ヤロブアムはソロモン王の顔を避けてのがれ、まだエジプトにおり、エジプトに住んでいた。
12:3 人々は使いをやって、彼を呼び寄せた。それで、ヤロブアムはイスラエルの全集団とともにやって来て、レハブアムに言った。
12:4 「あなたの父上は、私たちのくびきをかたくしました。今、あなたは、父上が私たちに負わせた過酷な労働と重いくびきとを軽くしてください。そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう。」
12:5 すると、彼はこの人々に、「行って、もう三日したら私のところに戻って来なさい。」と言った。そこで、民は出て行った。
12:12 ヤロブアムと、すべての民は、三日目にレハブアムのところに来た。王が、「三日目に私のところに戻って来なさい。」と言って命じたからである。
12:13 王は荒々しく民に答え、長老たちが彼に与えた助言を退け、
12:14 若者たちの助言どおり、彼らに答えてこう言った。「私の父はおまえたちのくびきを重くしたが、私はおまえたちのくびきをもっと重くしよう。父はおまえたちをむちで懲らしめたが、私はさそりでおまえたちを懲らしめよう。」
12:15 王は民の願いを聞き入れなかった。それは、主がかつてシロ人アヒヤを通してネバテの子ヤロブアムに告げられた約束を実現するために、主がそうしむけられたからである。
12:16 全イスラエルは、王が自分たちに耳を貸さないのを見て取った。民は王に答えて言った。「ダビデには、われわれへのどんな割り当て地があろう。エッサイの子には、ゆずりの地がない。イスラエルよ。あなたの天幕に帰れ。ダビデよ。今、あなたの家を見よ。」こうして、イスラエルは自分たちの天幕へ帰って行った。
12:17 しかし、ユダの町々に住んでいるイスラエル人は、レハブアムがその王であった。
12:18 レハブアム王は役務長官アドラムを遣わしたが、全イスラエルは、彼を石で打ち殺した。それで、レハブアム王は、ようやくの思いで戦車に乗り込み、エルサレムに逃げた。
12:19 このようにして、イスラエルはダビデの家にそむいた。今日もそうである。
わたし達は列王記を読み進めているのですが、この辺りからだんだん話がややこしく、わかりにくくなります。
というのは、登場人物がどんどん出てきて、めまぐるしく変わっていくからです。
ヘブル語の聞きなれない名前なので、段々誰が誰だかわからなくなってしまうのです。
そこで今日は、登場人物の紹介から入っていきたいと思います。
今日の話の中心となるのは、レハブアムという人とヤロブアムという人です。
メッセージのタイトルにもあるように、これからイスラエルは分裂してしまうのですが、レハブアムとヤロブアムというふたりの王の元に、分裂する事になります。
今日は、どのような経緯で神に選ばれたイスラエルが分裂してしまう事になったのかということと、それぞれの王がどのような人物だったかという事に焦点を当てて考えて行きたいと思います。
① ダビデの罪とソロモンの罪
イスラエルは、どうして分裂することになったのでしょうか?
先週も少し話しましたが、それはそもそも、ソロモンの罪の結果だと聖書は伝えています。
I列王記 11:11 それゆえ、主はソロモンに仰せられた。「あなたがこのようにふるまい、わたしが命じたわたしの契約とおきてとを守らなかったので、わたしは王国をあなたから必ず引き裂いて、あなたの家来に与える。
11:12 しかし、あなたの父ダビデに免じて、あなたの存命中は、そうしないが、あなたの子の手からそれを引き裂こう。
11:13 ただし、王国全部を引き裂くのではなく、わたしのしもべダビデと、わたしが選んだエルサレムのために、一つの部族だけをあなたの子に与えよう。」
ソロモンは、最初のうちこそ謙遜で、良い王となってイスラエルに繁栄をもたらしましたが、その繁栄はソロモンを堕落させ、神様から引き離し、ついには偶像を崇めるようになりました。
イスラエルが引き裂かれたのは、その罪の故なのです。
しかし、父ダビデに免じて、ひとつの部族だけをソロモンの子に与えると神様は言います。
他の個所にも、「ソロモンは父ダビデの道を歩まなかった。」という表現があり、ダビデはどれほど高く評価されていたかという事を見る事ができます。
でも、それっておかしくはありませんか?
ダビデはそんなに完璧な人だったでしょうか?
多くの妻をもち、姦淫の罪をごまかすために部下を殺す事もしたダビデ。
それほど神様の道を歩んだとは、到底思えません。
一体、ソロモンと何が違うというのでしょう?
その答えは、悔い改めにあるのではないかと僕は思います。
「ちょっと待って下さい、先週の話は、ソロモンも悔い改めたという話じゃなかったんですか?」それはその通りですが、悔い改めた頻度がまるで違うのです。
ソロモンは長い間神様から離れ、晩年になってようやく悔い改めて、神様に立ち返りました。
しかしダビデは、罪もたくさん犯しましたが、その度ごとに神様に立ち返り、悔い改めました。
どちらも天国に行く事に変わりはないでしょうが、周りに与える影響はまるで違います。
ソロモンの知恵はイスラエルに繁栄をもたらしましたが、ソロモンが神様から離れてしまってからは、繁栄のための多くのしわ寄せも生まれていました。
イスラエルの分裂は、神様によって起こされたという事はもちろん真実ですが、ソロモンの罪がイスラエルに与えた影響が必然的に分裂を生んだという事もできるのです。
② レハブアムの罪
さて、ここからが今日の聖書箇所の所です。
レハブアムというのは、ソロモン王の子供です。
つまり、イスラエル王家の正当な後継ぎでした。
イスラエルという国は12の部族から成り立っているので、レハブアムは全12部族に王として認めてもらうため、シェケムという町でおこなわれた会合に出席しました。
そこには、12部族の長達に後押しされるような形でヤロブアムの姿もありました。
ヤロブアムを筆頭に、イスラエルはレハブアムに、王として認めるに当たって彼らが抱いている要望を突き付けます。
12:4 「あなたの父上は、私たちのくびきをかたくしました。今、あなたは、父上が私たちに負わせた過酷な労働と重いくびきとを軽くしてください。そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう。」
それは、ソロモンの時代の税金があまりに高かったので、それを下げて欲しいという願いでした。
レハブアムは時間が欲しいと言って、3日後に返答する約束をしてその場を離れました。
この事について、レハブアムは他の人達の意見を求める事にしました。
まずレハブアムは、ソロモン王に仕えていた長老たちに意見を求めます。
そして彼らは、イスラエルの民の求めるとおりにするべきだとアドバイスしました。
ところが、レハブアムはその答えが気に食わなかったのです。
そこで彼は、自分の友人である若者たちにアドバイスを求めます。
彼らのアドバイスはこうです。
I列王記 12:10 彼とともに育った若者たちは答えて言った。「『あなたの父上は私たちのくびきを重くした。だから、あなたは、それを私たちの肩から、軽くしてください。』と言ってあなたに申し出たこの民に、こう答えたらいいでしょう。あなたは彼らにこう言ってやりなさい。『私の小指は父の腰よりも太い。
12:11 私の父はおまえたちに重いくびきを負わせたが、私はおまえたちのくびきをもっと重くしよう。私の父はおまえたちをむちで懲らしめたが、私はさそりでおまえたちを懲らしめよう。』と。」
「誰がボスなのか思い知らせてやれ。そんな連中は締め付けて思い知らせてやればいいんだ。」というわけです。
この言葉はわかりにくいですが、実はすごく下品な事も言っているんですよ。
自分の権威を見せつけるそのやり方は、レハブアムの気に入りました。
彼はこの友人たちの言葉に従って、そのようにイスラエルの人々に語ったのです。
当然ながら話はそこで決裂。
イスラエルはレハブアムを王として認めず、ヤロブアムを擁立し、ユダと北イスラエルとは分裂してそれぞれの王国となってしまったのです。
ソロモンの罪のためにイスラエルは引き裂かれ、息子はイスラエルのほとんどを失ってしまうという言葉を最初に聞いた時は、ソロモンの子供はかわいそうな立場だなぁと思うかもしれません。
でも、こうして実際に起った出来事を知ると、神様がレハブアムにイスラエルの一部でも残しておいたことの方がよほど不思議なくらいですよね。
これが10代や20代ならまぁ仕方がない部分もあるかなぁと思いますが、レハブアムが王様になったのは41歳の時です。
41歳でこれはちょっと・・・。(笑)
ある意味では、これがソロモンの罪の結果生み出されたものなのです。
自分自身が物質主義に溺れたことによって子供を甘やかせ、神様の知恵に歩む事を教えず、子が親の背中を見ながら育ってきた結果がこれなのです。
③ ヤロブアムの罪
さて、グループのリーダーとなるためにふたつの道があります。
ひとつは、レハブアムのように、立場としてリーダーという地位が与えられる場合。
レハブアムは王という立場があったので、イスラエルの中でリーダーとなりました。
もうひとつは、自ら持っているリーダーシップを発揮してグループのリーダーとなる場合。
ヤロブアムは、正に後者の方でした。
ヤロブアムという人は、もともと建築家か何かだったようです。
エルサレムの北側にあるミロと呼ばれる要塞を建築する際に、責任者となっていたのですが、その手腕をソロモン評価され、エフライム族とマナセ族を管理する役人となりました。
ある日ヤロブアムの前にアヒヤという預言者が現れ、イスラエルの12部族の内、10部族が与えられると告げられます。
サウル、ダビデ、ソロモンと続いてきた神様の選びとしての王の地位は、ヤロブアムに受け継がれたわけです。
ユダの王レハブアムは先ほどの発言でみんなを敵に回してしまいましたので、それに対抗する形になったヤロブアムは、言わばイスラエルのニューヒーローでした。
では、ヤロブアムは文句なしの良い王様だったのかといえば、そうではありません。
ある時、この様な事が起ってしまったのです。
12:26 ヤロブアムは心に思った。「今のままなら、この王国はダビデの家に戻るだろう。
12:27 この民が、エルサレムにある主の宮でいけにえをささげるために上って行くことになっていれば、この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、私を殺し、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。」
12:28 そこで、王は相談して、金の子牛を二つ造り、彼らに言った。「もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる。」
結局彼の心にあったのは、自分の地位への執着であり、欲望でした。
ヤロブアムの心配は、人々がエルサレムに戻って礼拝を捧げ続ける中で、人々の忠誠心がダビデ王家の元に戻ってしまうという事だったのです。
そこでヤロブアムは、偶像を作り、エルサレムに行かなくても神様に礼拝を捧げる事ができると人々に教えました。
それ以降、アッシリア帝国に攻め込まれて捕囚されるまで、北イスラエルはこの偶像崇拝の罪に囚われ続ける事になったのです。
④ 罪の奴隷からの解放
こうしてイスラエルの歴史を見ていると、登場する王達は神様から選ばれているにも関わらず、大きな罪によってイスラエルをますます危機に陥れる結果となっています。
神様はどうしてそのような人々を選んだりするのでしょうか?
彼らは本来、イスラエルの王として正しく国を治める能力は持っていたのです。
素晴らしい王になる事ができるからこそ王として選ばれたのであり、神様に従ってその道を歩んでいれば、イスラエルを正しい方向に導く事ができる人達でした。
結局彼らは自分自身の罪に負けてしまったわけですが、それに立ち向かう能力も持っていました。
サウルもダビデもソロモンも、イスラエルの王として素晴らしい王となる力があったからこそ、王として選ばれたはずです。
レハブアムにしても、イスラエルの王はムリだとしてもユダだけならば十分に、素晴らしい王となる素質をもっていたはずだったのです。
しかし、そうできない。
なぜなら、わたし達が罪に対して絶望的に弱いからです。
旧約聖書の物語がわたし達に教えてくれるのは、神様のお膳立ては完璧でも、わたし達の罪は全てを台無しにしてしまうという事です。
能力がないから絶望的なのではありません。
神様が歩ませて下さる幸せを受け取る事ができる能力は備わっているのに、罪の中にあるわたし達は、神様が計画して下さった最善の道を歩めないという絶望なのです。
だから、わたし達には、イエス様が必要なのです。
イエス様は、その絶望からわたし達を解放し、救うために地上に来て、十字架にかかって下さったからです。
聖書にはこう書かれています。
ローマ 8:1 こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
8:2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
わたし達にも、神様は様々な役割を与えるわけですが、それぞれの立場にあって、わたし達を神様から引き離そうとする誘惑も存在します。
そんな時に必要なのは、わたし達がいつまでも罪に囚われているのではなく、イエス様と共に歩む事です。
その時、わたし達はダビデよりももっと祝福された人生を歩むことができるようになるのです。