I列王記11:1-13 『ソロモンの堕落』 2011/01/30 松田健太郎牧師

I列王記 11:1~13
11:1 ソロモン王は、パロの娘のほかに多くの外国の女、すなわちモアブ人の女、アモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヘテ人の女を愛した。
11:2 この女たちは、主がかつてイスラエル人に、「あなたがたは彼らの中にはいって行ってはならない。彼らをもあなたがたの中に入れてはならない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる。」と言われたその国々の者であった。それなのに、ソロモンは彼女たちを愛して、離れなかった。
11:3 彼には七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめがあった。その妻たちが彼の心を転じた。
11:4 ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。
11:5 ソロモンはシドン人の神アシュタロテと、アモン人のあの忌むべきミルコムに従った。
11:6 こうしてソロモンは、主の目の前に悪を行ない、父ダビデのようには、主に従い通さなかった。
11:7 当時、ソロモンは、モアブの、忌むべきケモシュと、アモン人の、忌むべきモレクのために、エルサレムの東にある山の上に高き所を築いた。
11:8 彼は外国人の自分のすべての妻のためにも、同じようなことをしたので、彼女たちは自分たちの神々に香をたき、いけにえをささげた。
11:9 主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。主は二度も彼に現われ、
11:10 このことについて、ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたのに、彼は主の命令を守らなかったからである。
11:11 それゆえ、主はソロモンに仰せられた。「あなたがこのようにふるまい、わたしが命じたわたしの契約とおきてとを守らなかったので、わたしは王国をあなたから必ず引き裂いて、あなたの家来に与える。
11:12 しかし、あなたの父ダビデに免じて、あなたの存命中は、そうしないが、あなたの子の手からそれを引き裂こう。
11:13 ただし、王国全部を引き裂くのではなく、わたしのしもべダビデと、わたしが選んだエルサレムのために、一つの部族だけをあなたの子に与えよう。」

皆さんは祝福を受けたいですか?
祝福なんて要りませんという人はあまり聞いた事がありませんね。
では、祝福を受け過ぎて困っちゃうというのはどうでしょうか?
祝福の受け過ぎで困りたい、それくらい祝福を受けたら幸せだろうにと思うかもしれませんが、祝福の受け過ぎが問題になってしまう事は起り得る事なのです。

今年に入ってからソロモンの生涯をずっと追ってきていますが、ソロモンほど多くの祝福を受けた王は他にいなかったでしょう。
ソロモンは神様から知恵を与えられ、富もあり、名声もあり、さらに詩を書いたりして芸術的なセンスも持ち合わせていました。
不公平なほどに神様の祝福を受け、夢のような人生を送ったソロモン。
しかし、ソロモンが書いた伝道者の書では、「空しい、空しい、すべて空しい。」と彼は書き始めています。
それは、彼が堕落して、神様から離れてしまった結果なんです。

堕落してしまった後も、ソロモンは知恵も富も名声も失ったわけではありません。
しかし全てのものを持ちながら、彼が持っているものは祝福ではなくなったのです。
お金があっても、物があっても、人がいても、表面的には繁栄して祝福に溢れているように見えても、そこに神様がいなければ、彼の心は空しさに支配されてしまったのです。

ソロモンの死後、イスラエルは北と南に分裂してしまいます。
それもまた、ソロモンが神様を離れてしまった結果でした。
祝福そのものはわたし達を必ずしも幸せにするわけではなく、わたし達がその取り扱いを間違えてしまえば、祝福は転じて災いにもなってしまうのです。
では、ソロモンのようにならないためにどうしたらいいのかという事を、今日は共に考えて行きたいと思います。

① 祝福に溺れる時
ソロモンが祝福を失った第一の原因は、彼が祝福に溺れてしまったという事です。
ソロモンが得た富や名声は、彼が自分の事よりもイスラエルの民を正しく治めるための知恵を神様に求めた事による結果。
彼が実力で得たものですらありません。
言ってみれば、おまけのようなものだったんです。

ソロモンも、最初の内はその事をちゃんと理解していたでしょう。
しかしやがて、彼は神様でなく、神様からの知恵でもなく、結果として与えられている祝福だけを求めるようになっていったのです。
お金を得ればもっと欲しいと思うようになり、美しい妻をめとっては、もっと美しい妻が欲しくなり、彼は求めた全てのものを手にしていきますが、それと同時に、祝福は祝福としての意味を失っていきます。

ソロモンよりも規模は小さいかもしれませんが、わたし達もソロモンと同じ経験をする事があります。
例えば僕にしてみると、教会に来る人達の数が増える事は大きな祝福です。
しかし人が増える事は、わたし達が神様に従っている事の結果として起っている事であって、わたし達の目的ではありません。
わたし達が神様から目を離して、人に認められる事や、数が増える事ばかりを求め始めた時、表面的にはやっている事が同じでも、教会の中の決定的な何かが変わってきます。
そうすると、わたし達が礼拝をすること自体に喜ぶ事ができなくなり、人の数や表情に一喜一憂し始めるのです。
そうなってくると、どんなに大きな教会になっても喜びがなくなるでしょうね。
わたし達はこの様な誘惑に陥りやすいのです。

だからイエス様は言います。
何を食べるかとか、何を着るかとか、そんな表面的な事で心配をしていてはいけません。
あなたたちがまず神の国を求めるなら、それらのものはそれについて来るのです。
祝福は、わたし達が神様を第一とする時に結果として付いてくるものです。
その祝福に心を奪われて神様を忘れるなら、わたし達は結局神様も、神様が与えて下さる祝福をも失ってしまうのだという事を忘れないでいて欲しいのです。

② 御言葉をないがしろにする時、
ソロモンが心を奪われた祝福、富とは、実際にはどのようなものだったのでしょうか?

I列王記 10:14 一年間にソロモンのところにはいって来た金の重さは、金の目方で六百六十六タラントであった。

666とは黙示録を知る僕達クリスチャンにはなんだか不吉な数字ですが、別に深い意味があるわけではありません。これはおよそ20トンに相当します。
その時代、イスラエルにはあまりに金が多かったために銀には価値がないと言われるほどでした。
そしてソロモンはその金塊で、200の大盾と300の盾を作らせたと記されています。
周りの国々はソロモンの知恵にあやかりたくて、こぞってイスラエルに貢物をしました。
失われていたエジプトとの交易も復帰し、馬や騾馬などたくさんの家畜や戦車が輸入されました。
成功の象徴として、彼の回りにはたくさんの女性の姿もありました。
後宮には700人の妻と、300人のそばめが控えていました。

すごいですね。
これぞ大富豪、これぞ成功者というイメージを絵に描いたようなのがソロモン王でした。
しかし、ソロモンが生まれる400年以上も前に書かれた申命記の言葉を見ていただきたいのです。
これは、やがてイスラエルに王が出てきた時に気をつける事として書かれていた命令でした。
申命記 17:16 王は、自分のために決して馬を多くふやしてはならない。馬をふやすためだといって民をエジプトに帰らせてはならない。「二度とこの道を帰ってはならない。」と主はあなたがたに言われた。

17:17 多くの妻を持ってはならない。心をそらせてはならない。自分のために金銀を非常に多くふやしてはならない。

ソロモンは最高の知恵を神様に与えられていたのですから、もちろん聖書を読む事もできたでしょうし、これを知っていれば神様の言葉として気をつけてもいたでしょう。
しかしソロモンは、たぶん聖書をちゃんと読んでいなかったのです。
あるいは、読んでいても、自分の事として受け取っていなかったのです。
読んでいたにも関わらず、知っててやったのだとしたら、なおさら始末におけないですよね。

先週紹介しましたが、神様はソロモンにひとつの約束をしていました。
「神様の目的を歩み、定めを行い、全ての命令を守りこれによって歩みなさい。そうすれば、神様はイスラエルのただなかに住み、決して見捨てる事はしない。(I列王記 6:12)」というのが神様の約束です。
しかしソロモンは、神様の言葉と約束をないがしろにしたために、神様の道から離れ、祝福を失ってしまったのです。

わたし達は聖書の言葉をどのように受け取っているでしょうか?
わからないと決めつけて耳を傾ける事さえしないのであれば、わたし達は受けるはずの祝福を受けられなかったり、気がつかない内に罪の刈り取りをしている事があるかもしれません。
神様の声に耳を傾ける事は大切な事です。
わたし達はソロモンの轍を踏まず、いつでも神様の言葉に生きる者でありたいものです。

③ 偶像に聞き従う時
ソロモンが祝福を失った第3の原因は、ソロモンが神様の言葉ではなく、1000人の女達の言葉に耳を貸した事が問題でした。

11:4 ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。

エバは神様ではなく蛇の言葉に従いました。
アダムは神様ではなくエバの言葉に従いました。
わたし達は、神様以外の誰かの言葉を聞く時、神様から離れて行きます。
また、わたし達が神様以上に誰か、何かを愛する時、わたし達は道を見失うのです。

わたし達が、神様以上に神様以外のものを愛する事を、偶像崇拝と言います。
フランスの宗教改革者ジャン・カルヴァンは、「わたし達は偶像製造機だ」と言ったそうですが、わたし達の回りは、偶像となり得るものに満ちています。
お金、名声、異性はもちろん、仕事、音楽、スポーツ、ペット、友達、家族という素晴らしいものさえ、それどころか、牧師や教会やミニストリーというものでさえわたし達は偶像に変えてしまう事ができるのです。

わたし達の心は、神様が第一のものとしてむけられているでしょうか?
わたし達の心は、主とひとつになっているでしょうか?
ソロモンが女性に弱かったように、人それぞれに弱点はあるでしょうが、偶像を作らないように日々気をつけて行きたいものです。

④ ソロモンの悔い改め
さて、いくつかの事をわたし達は見てきたわけですが、こうした中で最も気をつけなければならないのは、わたし達が神様抜きの祝福を求めてしまうという事です。
しかしソロモンが自らの人生の中で経験し、書き記してくれたように、どれだけこの世の富を手に入れ、この世の成功を手にしたとしても、そこに神様がいなければ何も良い事はありません。

ソロモンだけでなく、現代にいたるまで多くの大富豪や成功者と呼ばれる人たちが、これと同じ経験をしています。
どれだけ多くのミュージシャンが有名になり、大金持ちになりながら孤独と絶望の中で自殺していったでしょうか?
どれだけ多くの大富豪が、その虚しさをごまかすためにアルコールやドラッグの中毒になったでしょうか?

ソロモンを初め、このような災いを避ける事ができる人達は幸いです。
しかし、聖書はわたし達にただ警告を発するだけでなく、希望も記されているのです。
それは、わたし達がどれだけ神様から離れたとしても、神様に立ち返る事ができるという事です。
わたし達が犯した罪がどれほど大きなものだったとしても、悔い改めて神様に立ち返るなら、わたし達は赦されるのです。
イエス様は、そのために十字架につき、わたし達のために命を捧げて下さったのですから。

先ほど、「空しい。」という言葉から始まる伝道者の書について少し紹介しましたが、ソロモンがこの本を書いたのは、ソロモンが堕落し、神様の怒りを受けた後の事です。
その伝道者の書は、このような言葉で締めくくられているのです。

伝道者の書 12:13 結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。
12:14 神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。

ソロモンも、悔い改めたんですよ。
ソロモンのような人は悔い改めるのは大変だったと思います。
堕落してしまった後も富を持ち続け、人々からは褒め称えられ続けると、自分の罪を認めのるが一段と難しくなるからです。

わたし達はどうでしょうか?
皆さんの中にも、神様の元に帰る必要がある方がいるかもしれません。
ソロモンがそうだったように、なかなか自分の罪を認める事ができず、神様と向き合う事ができないでいる方もいるかもしれません。

わたし達の天のお父様は、そんな皆さんを招いておられます。
「私の元に帰ってきなさい。」と。
神様の愛に、もう一度満たされるように。
喜びの中で、祝福を祝福として受け取る事ができるように。

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