『 Messy Church ⑤ 寛容で親切でねたまない教会 』 2012/09/30 松田健太郎牧師

Iコリント 13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

Messy Churchというシリーズでお話をしてきています。
教会というのは、どうも罪のない美しい人たちの集まりとして考えてしまいがちですが、私たちもまた罪人の集まりに過ぎません。
教会とは、汚れのない美しいところではなく、生活感のにじみ溢れた、傷と汚れのあるMessyな場所です。

私たちは、「そんなMessy Churchになりましょう!」というのではなくて、「教会とはMessyな場所で、罪人の集まりなんだ。」という事を認めましょうというお話をしているんです。
それによって、私たちは自分を偽るのを止めて、それでも共に成長していく事のできるクリスチャンになっていきたいと願っています。

しかし、罪人である私たちが、自分を偽ることなく認め合い、赦し合いながら生きていくためには、お互いを結びつけるものが必要です。
なぜなら、罪人のままの私たちはバラバラで、しかも自分と違うものを認めることが難しいからです。
聖書にはこのように教えられています。

コロサイ 3:13 互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。
3:14 そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。

私たちを結ぶのは愛です。
まず、神様が私たちを愛してくださった。
その神様の愛を受け取った私たちは、愛で満たされているから、私たちの隣人、主にある家族を愛することができます。
愛とは、感情として勝手に湧き上がってきたり、なくなってしまうようなものではなく、永遠に尽きることがない私たちの絆です。

それでは、“愛する”とは具体的にどういう事なのかということを、今日からともに学んでいきたいと思います。

① 愛は寛容
「愛は寛容である。(Iコリント13:4)」という言葉から、聖書が教える愛のリストは始まります。
私たちに愛があるなら、私たちは人に対して寛容になると聖書は言うのです。

産まれたばかりの赤ちゃんに、「トイレくらい自分で行きなさい!」とか、「自分の生活費は自分で稼ぎなさい。」と怒り出す親がいるでしょうか?
もしそのような人がいるのだとしたら、その人は親になるべきではないでしょう。
まぁそれは極端な話でしょうが、愛することには寛容であることが含まれているのです。

寛容とは、人が間違いを犯した時、それを責めるのではなく赦し、その人の成長を待つことです。
場合によっては、それさえも超えて、価値観の違う人たちをそのままの状態で認めてあげることかもしれません。
でも、私たちにはなかなかそれができません。
なぜでしょうか?

それは私たちが、正しいか間違っているかによって物事を判断するように教育されているからではないかと思います。
それが数学のように答えが決まっているものに対してなのであれば良いのですが、私たちは、政治やモラル、教義や教理という人によって正しい答えが変わるかもしれない部分に関しても、正しいか間違っているかということで測ってしまう傾向があります。

しかし、私たちが正しいか間違っているかという事にこだわりすぎると、寛容である事はすごく難しくなります。
私たちが、真面目であったり、熱心であるほどに、寛容ではいられなくなってくるのです。
本来は、クリスチャンとして成長するほどに寛容さも増してくるはずなのですから、それはとてもおかしな事です。

それはもちろん、間違えたままで構わないとか、熱心でない方がいいという事ではありません。
寛容である事は、物事に対していい加減になる事と同じではないのですから。
私たちはやはり、正しいことをなすべきですし、熱心に信仰し、熱心に真実を求めるべきだと思います。
でも、私たちが正しさを追求して成長していくからこそ、自分とは価値観の違う人たちに対して、寛容であることを忘れてはならないのだと思うのです。

相手が好きだから赦し、寛容になるのではなく、相手を理解し、赦し、寛容となるところから愛は始まります。

② 愛は親切
2番目に、愛は親切であると聖書は言っています。
私たちが愛する時、私たちは人に対して親切になるのです。

では、親切とはどんな事でしょうか?
ここで親切と訳されている言葉は、例えば英語ではkindという言葉で表されています。
これは、“優しさ”とも訳すことができる言葉ですね。
でも、“愛は優しい”ではなく、“親切”という言葉を選んだ事には理由があるのです。

“優しい”という言葉では、どこか受け身で消極的な感じがします。
しかし、ここで必要とされているのは、何かされた時にリアクションとして優しくする事ではなく、能動的に優しくする事です。
つまり、親切というのは、積極的な優しさなのです。

イエス様はこのように言っています。

マタイ 7:12 それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。

積極的に愛を表現しようとするなら、私たちは必ず親切になります。
愛のあるところに親切があり、親切のあるところから愛が起こります。
私たちは、大好きな人を「助けてあげたい」と思ったり、「喜ばせたい」と思って行動するものではないでしょうか。

しかし、少し気をつけなければならないこともあります。
それは、親切である事は、“いい人”になる事とは違うということです。
隣人を愛し、親切であろうとする時、私たちは人に対して“NO”を言えなくなってしまう事があります。
そうやっていい人は、お願いされたことを何でも聞いてあげたり、その人が困っている事をすべて代わりにしてあげようとするようになります。
依存傾向のある人たちは、そのような“いい人”を嗅ぎ分け、捉えてしまうのです。
それによって、いい人はやがて潰れてしまい、それでも「自分には愛がない。ダメな人間だ。」と自分を責めるようになっていまいます。
でも、神様は私たちに、いい人になって欲しいとは思っていないのです。

人が望むものを与えることが愛ではありません。
私たちがもし、子供が欲しがるものを何でもかんでも与えてしまったら、その子供は心もカラダも病気になってしまうでしょう。
欲しいものを与えるという事は、必ずしもその人にいい事ではなく、時として相手を不幸にしてしまう事を忘れないでいただきたいのです。

いい人であろうとする事は、実は「自分が嫌われたくない。」「愛されていたい。」という自己中心からくる心理です。
それは、一見愛に似ているような気がするのですが、実は全く違うものなのです。
本当に人を愛し、親切である事は、時として相手から疎まれたり嫌われたりする覚悟がなければ出来ることではありません。

癒されることを願って中風の人がイエス様のもとに連れてこられたとき、イエス様は最初その人を癒さず、「あなたの罪は赦された。」とだけ言いました。
本当に必要なのは、この世で楽になる事でなく、罪が赦されて永遠に神様のもとに生きることだからです。

人が望むものでなく、その人が本当に必要としているものが何かを見極めること。
そこには、私たちの本当の愛が試されています。

③ 愛はねたまず、自慢せず、高慢にならない。
第三に、愛はねたみ、自慢、高慢という3つから離れることだと聖書は言っています。
私たちが愛する時、私たちは他人をねたまず、自慢せず、高慢にもならないと言うのです。

この3つはそれぞれ別のことを意味している言葉ですが、すべて自分を人と比較することによって生まれてくるものです。
私たちは、隣の人と自分を比較して一喜一憂するとき、それと同時に他人をねたんだり、自慢したり、高慢になるようになるのです。

私たちが愛そうとするのは、どのような人たちでしょうか?
ある人たちは、自分より強い立場の人を好んで愛します。
それはもしかしたら、自分がその人に気に入ってもらって、何かおこぼれに与ろうとしているのかもしれません。

ある人たちは、自分より弱い立場の人たちに愛を注ぎます。
それはとても素晴らしいことですが、力を尽くして助けた相手が自分よりも成功を収めたとき、その愛は試される事になります。
弱い立場の人たちを助けようとする人の中には、その人たちが立ち直って自分より強い立場になる事を喜べない人もいるのです。
自分より立場の弱い人たちを愛し、助けることによって実は優越感にひたっているからです。

比較する価値観の中で、本当に人を愛することはできません。
人を愛す事の中心にあるのは、「私が何を受けるか」ではなく、「私が何を与えるか」という事にあるからです。
私たちが誰かを愛するためには、自分と他の人を比較する事を止める必要があります。
そのために、私たちはどうすればいいのでしょうか?

それは、私たち自身がまず、神様の完全な愛の中に生きることです。
私たちは人より優れているから愛されているのではなく、神様の愛は、私たち一人ひとりの上に等しく注がれていることをよく理解する必要があります。
神様の愛の中に浸るなら、私たちは自分と他人を比較する必要がなくなります。
私たちはまず愛されているからこそ、ねたんだり、自慢したり、高慢になる必要がなくなるのです。

聖書にはこう書かれています。

Iヨハネ 4:19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。

神様の愛がなければ、罪人である私たちが互いに愛し合うことはできません。
だから私たちは、まず神様の愛をいっぱいに受け取ろうではありませんか。

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