ヨハネ13:34-35 『 神の国④~神の国には愛がある 』 2012/03/25 松田健太郎牧師

ヨハネ 13:34~35
13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
13:35 もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」

神の国は死んでからいく所というだけではなく、わたし達は今神の国を経験する事ができるという話をしていきています。
今日はその神の国のシリーズの4回目になります。

これまでわたし達は、神の国に入るためにはどうすればいいかという話をしてきました。
前提条件としては、イエス・キリストを救い主として信じる信仰をもって、聖霊を受ける必要があります。
そして、わたし達自身が自分で築いてきた王国を明け渡し、イエス様に王となっていただくという事。
さらに、わたし達の信仰がある所に、神の国は来るという話をしました。
わたし達が信じて従う時、わたし達は神の国に入る事ができるのです。

わたし達が神の国を体験するのは、わたし達自身が喜ぶためではありません。
ただそれだけの事が目的であれば、わたし達は信じた瞬間に天に上げられれば良いのです。
わたし達が救いを受けた後、この地上に残る必要があるのは、わたし達を通してこの地上で神の国が拡大していくためです。

では、この地上に神の国が拡大していくというのはどういう事なのかという事を、今日は考えてみたいと思います。

① 神の国には愛がある
地上に神の国が拡大すると言うのは、たくさんの人達がクリスチャンになって、キリスト教国がもっと増える事・・・でしょうか?
現在、世界の人口の3分の1がキリスト教を信じていると言われます。
数えた事はありませんが、キリスト教国もかなりの数に及ぶはずです。
しかし、これが神様の望んでいる神の国の拡大だと思いますか?

歴史上、キリスト教国がしてきた事は決して良い事ばかりではありません。
地上には相変わらず戦争が起り、環境が破壊され、弱い人達が虐げられています。
とても、神の国が世界に3分の1拡大したとは思えません。

現代のキリスト教国は、キリスト教国と呼ばれていても、クリスチャンの人口は実際にも半数にも満たないのが現実です。
しかし、人口のほぼ100%がクリスチャンだった時代があるヨーロッパでも、その実態は酷いものでした。
神の国というのは、そんなものではないはずです。

そこでまず、神様がわたし達に求めていたものに目を留めていましょう。
神の国は神様が王様なのですから、わたし達は王様が何を求めているかという事を知る必要があるからです。
わたし達はそれに、義務感からではなく、しなければ罰を受けるからではなく、喜びを持って従っていくのです。

それでは、神様の律法とは何だったでしょうか?
イエス様は、全ての律法は2つに集約されていると言いました。

マタイ 22:37 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
22:38 これがたいせつな第一の戒めです。
22:39 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
22:40 律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」

神を愛し、自分を愛し、隣人を愛する事。
この3つの愛が、わたし達に求められているものなのです。

更にイエス様はこの様に言いました。

ヨハネ 13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
13:35 もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」

皆さん、神の国には愛があるのです。
血の塩としての正しい行い、福音を伝え教える事、それも確かにあるでしょう。
しかしわたし達が神様に信頼し、喜んで従うなら、そこには愛が伴うはずなのです。


この動画を少し見てみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=xDpIpIIOPsk&feature=youtu.be

この動画を見て、どのように感じられたでしょうか?
この歌を歌っているのがクリスチャンなのかどうか、またこの動画を作った人がクリスチャンなのかどうかはわかりません。
でも、このようにして、優しさが広がっていくのを見ると、わたし達の心は温かくなるのではないでしょうか?
神の国というのは、このようにして広がっていくものなのではないかと思うのです。

わたし達は、どうしてこのようにして愛する事が難しいのでしょう。
ひとつには、わたし達が自分を守ろうとするからではないかと思います。
わたし達は多かれ少なかれ、誰かとの関係の中で傷ついた経験があるのではないでしょうか。
わたし達が傷ついたり、余計なトラブルに巻き込まれないで済む方法は、わたし達が他の人達と関わらない事です。
わたし達が他人に無関心でいれば、他の人達の問題に気付かないふりをしていれば、わたし達はトラブルに巻き込まれなくて済む。
わたし達は、自分自身が傷つかなくて済む。

わたし達が自分自身の事に心を向けている時は、そのような不安によって支配され、わたし達は自分の殻に閉じこもってしまいます。
しかし、わたし達が神様に心を向け、神様の支配の中に入っていくなら、わたし達はもう少しその関心を他の人に向け、気遣い、思いやり、助け、愛する事ができるのではないでしょうか?

人を愛するために、わたし達には二つのものが必要です。
ひとつは、心の余裕。
わたし達が自分の事でいっぱいいっぱいになっていたら、人の事を気遣う事はできません。
だからこそわたし達は、神様の支配の中で平安を得る必要があります。

もうひとつは、時間の余裕です。
特にわたし達日本人は、自分自身を忙しくしてスケジュールをいっぱいにしてしまう傾向があります。
しかし、愛するために必要なのは、お金ではなく、知恵や知識でもなく、その人のために時間を費やす事です。
誰かと共にいなければ、相手に愛が伝わる事はありません。
神様を愛するにも、家族を愛するにも、隣人を愛するためにも、愛するためには時間が必要なのです。

僕自身、この事を悔い改める必要がある事を感じています。
僕はもっと、皆さんとの時間を費やす必要があったと思わされています。
だから来年度は、教会のイベントをもっと減らしてでも、お互いに時間を費やす事ができればいいなと思っているのです。
しかし、もし皆さんが、教会でイベントも奉仕もないから別の事で時間を埋めようと思ってしまったら、僕のやっている事は何の意味もありません。
そうか、心と時間の余裕を作る事を真剣に考えてみていただきたいのです。

③ たがいの事を気にかける
今日はこれから、このメッセージを単に聞くだけではなく、実践として行ってみましょう。
今から、2~3人でグループを作って下さい。
できれば、普段あまり話さない方とグループを作って下さい。
ほんの少しですけど、互いに時間を過ごすという形で、愛を実践してみていただきたいのです。

お互いの名前を確かめて、覚えて下さい。
そして、お互いの近況を、2~3分で話し合って下さい。

自らの心を開いて、相手に打ち明ける事も愛から来る事です。
勇気を出して、自分の事を話してみてください。
そして聞いている方は、その中で何か気になった事があったら、質問をしてみてください。
相手に興味を持てば、いくつか気になる事が出てくるはずです。
あまり根掘り葉掘りと聞く必要はありませんが、相手を気にかける事の中に愛があるのです。
そして最後に、お互いに「何か祈る事はありますか?」と聞いてみてください。
もし祈った事が良いような事があれば、お互いに祈る時間としたいと思います。
無理やり祈りの課題を探す必要はありませんが、わたし達が隣人として誰にでもできるのは、お互いのために祈る事だと思うのです。

こうして今この教会の中に、単なる言葉や理屈ではない愛の関係を、ほんの少しですが築き上げていきたいと思います。

Iテサロニケ 3:12 また、私たちがあなたがたを愛しているように、あなたがたの互いの間の愛を、またすべての人に対する愛を増させ、満ちあふれさせてくださいますように。

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