申命記3:18-22(1:1-3:29)申命記2 『ここまで導き、これからも導かれる神』 2026/07/19 けんたろ

申命記3:18-22(1:1-3:29)
3:18 私はそのとき、あなたがたに命じて言った。「あなたがたの神、【主】は、あなたがたが所有するように、この地をあなたがたに与えられた。勇士たちはみな武装して、同族、イスラエルの子らの先頭に立って渡って行かなければならない。
3:19 ただし、あなたがたの妻と子どもと家畜は、私が与えた町々にとどまっていてもよい。あなたがたには多くの家畜がいるのを、私はよく知っている。
3:20 【主】があなたがたの同族に、あなたがたと同じように安息を与え、彼らもまたヨルダン川の向こう側で、あなたがたの神、【主】が与えようとしておられる地を所有するようになったなら、そのとき、あなたがたは、それぞれ私が与えた自分の所有地に帰ることができる。」
3:21 私はそのとき、ヨシュアに命じた。「あなたは、あなたがたの神、【主】がこれら二人の王に対して行われたすべてのことを、自分の目で見た。【主】は、あなたがこれから渡って行くすべての国々にも同じようにされる。
3:22 彼らを恐れてはならない。あなたがたのために戦われるのは、あなたがたの神、【主】であるからだ。」

 

先週お話ししたように、申命記はモーセがイスラエルの民に語った最後の説教です。
イスラエルは今、約束の地の入口に立っています。
40年の荒野の旅路を終え、神の約束が目の前にあります。
その境界線の手前で、モーセは静かに語り始めます。
「あなたがたは、ここまで神に導かれてきた。だから、これから先も神の言葉を忘れてはならない。」

今回お話しする申命記1〜3章では、モーセが旅路を振り返りながら、神の導きと、従順の大切さを次の世代に語ります。

① 荒野の旅路の振り返り(1章)

モーセはまず、出エジプトからここまでの旅路を振り返ります。
神は民を導き、守り、養い続けてこられました。
しかし、民はカデシュ・バルネアで神の約束を信じることができず、恐れによって従いませんでした。
偵察隊として送った12人の内10人が、「約束の地の国々は城壁が高く、巨人族がいて我々の力では太刀打ちできない」と報告し、それに耳を傾けた人々が恐れを抱いて「エジプトに帰ろう」と言い始めたのです。

その結果、彼らは神様の怒りを受け、40年の間、荒野をさ迷うことになりました。
本来なら、約束の地までは11日で行ける道でした。
しかし、不信仰と不従順が、旅路を40年に延ばしてしまったのです。
モーセは言います。

申命記 1:31 また荒野では、この場所に来るまでの全道中、あなたの神、【主】が、人が自分の子を抱くようにあなたを抱いてくださったのを、あなたがたは見ているのだ。

これはつまり、「神はあなたがたを背負い、ここまで運んでくださった」ということです。
それなのに、民は神の心を誤解し、恐れに支配されてしまった。
あなたたちはそうであってはならないと、モーセは伝えているのです。
神の導きを忘れたとき、人は恐れに支配されます。
私たちはどうでしょう?
神の導きをいつも思い出す者でありたいですね。

② 従順がもたらす前進(2章)

次にモーセは、荒野の38年間を振り返ります。
神は民に、戦うべき敵と戦わない敵を明確に示されました。
エドム・モアブ・アモンは兄弟民族であり、戦ってはならないと神は命じられました。
その一方で、エモリ人の王シホンには「戦いなさい」と命じられました。

ここでモーセが語っているのは、「従順になることによって道が拓ける」ということです。
立ちはだかる者を全てなぎ倒すというわけにはいきません。
余計なところに力を費やしていては、力を使い果たしてしまいます。
一方で、戦うべき時もある。
全ての戦いを避け、逃げていたら、自分がやがて追いつめられてやられてしまうでしょう。
それを見分けてくださるのは神様です。
神さまに従う時、私たちは戦うべき相手と、そうではない相手を見分けることができるのです。

③ 神が戦われるとき、勝利は確実(3章)

3章では、バシャン王オグとの戦いが語られます。

申命記 3:1 私たちはバシャンへの道を上って行った。するとバシャンの王オグとそのすべての兵は、エデレイで私たちを迎え撃つために出て来た。
3:2 そのとき、【主】は私に言われた。「彼を恐れてはならない。わたしは、彼とそのすべての兵とその地を、あなたの手に渡している。あなたは彼に対して、ヘシュボンに住んでいたアモリ人の王シホンにしたように行わなければならない。」

これは、民数記では21章で描かれていた話ですが、皆さんは覚えているでしょうか?
オグはレファイムという、巨人族の生き残りと呼ばれていた人でした。
体が大きく、とても強力な軍隊を率いていました。
奴隷だったイスラエルには到底勝ち目のない戦い。
それでも、戦わなければならないときには戦うのです。

しかし、神さまは無謀な戦いに導き、私たちを滅ぼすようなことはしません。
その戦いは神さまが戦った戦いでもあったのです。
その戦いを思い出させた後、モーセはこのように言います。

3:21 私はそのとき、ヨシュアに命じた。「あなたは、あなたがたの神、【主】がこれら二人の王に対して行われたすべてのことを、自分の目で見た。【主】は、あなたがこれから渡って行くすべての国々にも同じようにされる。
3:22 彼らを恐れてはならない。あなたがたのために戦われるのは、あなたがたの神、【主】であるからだ。」

1~3章で一番重要なポイントはここです。
これは、イスラエルが約束の地で幸せに生きていくための秘訣ですね。

あなたを今日まで守ってくださった神さまは、あなたたちを約束の地に導いた。
約束の地では、いつでも神さまに従い、避けるべき戦いを避け、しかし戦うべき戦いには勇気を出して向かいなさい。
たとえそれがどれだけ強大な敵であったとしても…。
その時、その戦いを神様が戦ってくださる。
それがどのような敵であったとしても、神さまがあなたに勝利をもたらしてくださる。

そしてこれは、神の国で生きる私たちへのメッセージでもあります。
今日まで私たちを守られ、ここまで導いてくださった神さまは、これからの人生の中心にもいてくださいます。
私たちが神さまに従い、平和を築くときには平和を築き、戦うべき時には戦う時、そこに神の国があるのです。

私たちの力が到底及ばないような状況であったとしても、神さまが導かれるなら、私たちはそこに進みます。
神さまが戦ってくださり、必ず勝利をもたらしてくださるからです。
神さまに信頼して歩みましょう。
神の国は、今私たちをともにあるのですから。