申命記7:7-8(7:1-8:20)申命記6 『神の選びと謙遜な心』 2026/08/23 けんたろ

申命記7:7-8(7:1-8:20)
申命記 7:7 【主】があなたがたを慕い、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実あなたがたは、あらゆる民のうちで最も数が少なかった。
7:8 しかし、【主】があなたがたを愛されたから、またあなたがたの父祖たちに誓った誓いを守られたから、【主】は力強い御手をもってあなたがたを導き出し、奴隷の家から、エジプトの王ファラオの手からあなたを贖い出されたのである。

今日は申命記7–8章に耳を傾けていきたいと思います。
ここには、神の民が約束の地に入る前に必ず理解すべき二つのテーマが語られています。
それは、「神の選び」 そして 「心の謙遜」です。

神は救いの民としてイスラエルを選ばれました。
しかしその選びは、民を誇らせるためではなく、 神の愛の中で生きる者として整えるための選びでした。
私たちも同じ問いが向けられています。
「神の選びをどう受け取り、どのように心を守って歩むのか。」一緒に考えていきましょう。

1. 神の選びは“理由なき愛”

申命記7章の中心は、神がイスラエルを選ばれた理由です。

申命記 7:7 【主】があなたがたを慕い、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実あなたがたは、あらゆる民のうちで最も数が少なかった。
7:8 しかし、【主】があなたがたを愛されたから、またあなたがたの父祖たちに誓った誓いを守られたから、【主】は力強い御手をもってあなたがたを導き出し、奴隷の家から、エジプトの王ファラオの手からあなたを贖い出されたのである。

モーセはこのように言っています。
主があなたがたを選ばれたのは、あなたがたが他の民より多かったからではない。 力があったからではない、優れていたからでもない。
ただ、神が愛されたから。
ただ、神が約束を守られる方だからなのだ。

つまり、
選びは「資格」ではなく「恵み」だということです。
恵みとは報酬や対価ではなく、神さまが無条件に与えてくれる祝福です。
神の選びは、私たちの価値や能力に基づくものではなく、神の心にある“理由なき愛”によるものなのだということです。

2. 選びは“誇り”ではなく“使命”

神の選びは、民を誇らせるためではなく、 神の民として生きる使命を与えるためです。
神の民として生きるとはどういうことでしょうか?
モーセはこのように言っています。

申命記7:11 あなたは、私が今日あなたに命じる命令、すなわち掟と定めを守り行わなければならない。

モーセが言っているのは、「選ばれたから守りなさい」ということではなく、“掟と定めを守ることそのものが選びの目的である”ということです。
今までの私たちなら、「おきてと定めを守るために生きるなんて、何と窮屈なの?」と思っていたかもしれません。
でも、これまで律法を学んできた中で、私たちはそうではないことを知っていますね?
神の掟と定めは、私たちが幸せに生きるための導きであり、迷って崖から落ちてしまわないためのガードレールです。

つまりイスラエルに与えられていた使命とは、主の掟と定めを守って生きる民がどれほど幸せで、祝福されたものかを、 周囲の国々に知らせるためだったということです。
本来、イスラエルはそのために選ばれた民だったのです。

3. 選びは“心の高ぶり”との戦いを生む

申命記8章は、選びのもう一つの側面を語ります。
それは、祝福の中で私たちの心の中に高ぶりが起こってしまうということです。

申命記 8:14 あなたの心が高ぶり、あなたの神、【主】を忘れることがないように。…

祝福の中で、私たちはこう思い始めます。「自分の力でここまで来た」「自分の知恵で成功した」「自分の努力で手に入れた」こうした思いが心に忍び込みます。
だからこそ、私たちは忘れてはならないのです。
この祝福は神様の選びによって与えられたものであり、その選びは私たちの才能や能力に対する対価ではなく、ただ恵みとして与えられたものだったということを。
それが謙遜であるということです。

日本語の謙遜には、自分を卑下するとか、実際よりも低く見せるという意味があるようですが、聖書の謙遜はそうではありません。
ただ、そもそも自分は高くないという現実を知っているということです。
申命記8章はこう語ります。

申命記8:17–18 8:17 あなたは心のうちで、「私の力、私の手の力がこの富を築き上げたのだ」と言わないように気をつけなさい。
8:18 あなたの神、【主】を心に据えなさい。主があなたに富を築き上げる力を与えるのは、あなたの父祖たちに誓った契約を今日のように果たされるためである。

選ばれた者として、私たちはこのことを忘れてはなりません。
それは、私たちが自分の力ではなく、神の力で生きていくという姿勢です。

4. 神の国に生きる民として

私たちはイスラエルという民ではありませんが、神の国の民として選ばれたという共通の感覚があります。
だから、旧約聖書の言葉も私たちにとって学ぶところがたくさんあるわけですよね。

申命記7–8章を通して、私たちはこのように問いかけられていました。

  • 私は神の選びを“恵み”として受け取っているだろうか。
  • 選ばれたことを誇りではなく“使命”として生きているだろうか。
  • 祝福の中で、心が高ぶっていないだろうか。
  • 私は自分の力ではなく“神の力”で生きているだろうか。

そして、こう語ってくれています。
「主を忘れてはならい。」「主を恐れなさい。」「主の道を歩みなさい。」
これが、選びの民として求められている歩みです。
私たちも、このことを心に刻み付けて歩んでいきたいですね。