申命記20:1-9(20:1-25:19) 申命記12『見て見ぬふりをしない神』2026/10/17 けんたろ

申命記20:1-9(20:1-25:19)
20:1 あなたが敵と戦おうと出て行くとき、馬や戦車や、あなたよりも多い軍勢を見ても、彼らを恐れてはならない。あなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神、【主】があなたとともにおられるのだから。
20:2 あなたがたが戦いに臨むときには、祭司が進み出て民に語りかけ、
20:3 彼らに言いなさい。「聞け、イスラエルよ。あなたがたは今日、敵との戦いに臨もうとしている。弱気になってはならない。恐れてはならない。うろたえてはならない。彼らのことでおののいてはならない。
20:4 あなたがたの神、【主】があなたがたとともに行って、あなたがたのために敵と戦い、あなたがたに勝利を得させてくださるからである。」
20:5 つかさたちは民に語りかけて言いなさい。「新しい家を建てて、まだそれを奉献していない者はいないか。その人は家に帰るがよい。戦死して、ほかの人がそれを奉献するといけないから。
20:6 ぶどう畑を作って、まだその初物を味わっていない者はいないか。その人は家に帰るがよい。戦死して、ほかの者が初物を味わうといけないから。
20:7 女と婚約して、まだ結婚していない者はいないか。その人は家に帰るがよい。戦死して、ほかの人が彼女と結婚するといけないから。」
20:8 つかさたちは、さらに民に語りかけて言わなければならない。「恐れて弱気になっている者はいないか。その人は自分の家に帰るがよい。兄弟たちの心がその人の心のように萎えるといけないから。」
20:9 つかさたちが民に語り終えたら、軍の長たちが民の指揮を執りなさい。

申命記12〜19章までは、礼拝・真実・裁き・王・預言者など、共同体の土台が語られてきました。
それに比べて20〜25章は、舞台が一気に日常生活へ移ります。
主な内容としては、戦争、結婚、家庭、労働、隣人関係、お金、動物の扱いに至るまで。
一見すると、ばらばらな規定が並んでいるように見えます。
しかし、その背後には一つの共通したテーマがあります。
そこにはどんな共通点、テーマがあるのか、ぜひ考えながら聞いてみてください。

1. 神は恐れではなく信頼を求められる

20章で語られているのは、戦争についてです。
結婚とか家庭の話と同列に戦争の話が並んでいることに違和感がある方もいらっしゃるかもしれませんが、現代日本の倫理道徳で聖書を読もうとすると混乱が生まれると思います。

私たちにとって、戦争は避けるべき非常事態ですが、古代社会において戦争は日常です。
だから戦争の時の規定に関して伝えておく必要があったわけです。
ここで伝えられているのは、これからイスラエルはたくさんの戦争を経験するということです。
しかし神さまは、戦争の時、「あなたたちは恐れてはならない」と命じられました。
そして、驚くべきことを伝えます。

申命記 20:8 つかさたちは、さらに民に語りかけて言わなければならない。「恐れて弱気になっている者はいないか。その人は自分の家に帰るがよい。兄弟たちの心がその人の心のように萎えるといけないから。」

普通なら兵士は一人でも多い方が良いはずです。
しかし神さまは、「勝利は兵力によるのではなく、主による」ことを教えられました。
だから、信仰によって歩まない者が戦いに加わると、返って邪魔になってしまうのです。
神の民は恐れによってではなく、神への信頼によって生きるのです。

2. 神は命を大切にされる

21章では、野で殺された人が見つかった場合の規定が語られます。
犯人が分からなくても、その命を軽く扱ってはなりませんでした。

これも、現代の社会では殺人事件が起こったら大変な騒ぎになりますね。
しかし、古代の社会では毎日遭遇するようなことではないまでも、日常の中で起こる出来事だったのです。
普通なら、草むらから遺体が出てきても、そのまま放置されます。
「うわっ」とは思っても、自分には関係のない出来事として通り過ぎてしまうかもしれません。
ところがここでは、そのような遺体も丁重に扱うように命じられています。
神さまは、一つの命を重く見られる方だからです。

3. 神は弱い人を守られる

22〜24章には、細かい規定が脈略も無く続いているように見えます。
例えば、「牛や羊が迷っているのを見たら見てみぬふりをせず届けてあげましょう」とか、「落とし物があったら持ち主に返しましょう」とか、「人が落ちてけがしないように家に手すりを付けましょう」、他にも貧しい人への配慮、日雇い労働者への賃金支払い、寄留者や孤児ややもめへの配慮などが語られます。
24章には、ルツ記の中で描かれている落穂ひろいに関する規定も出てきますね。

そこに共通する神の心は、弱い立場の人を守ることです。
神の国、主にある共同体の中にあって、神さまは弱い人の側に立ち、その人たちを守られる方なのです。

4. 神は誠実を喜ばれる

25章では、不正な秤を用いてはならないと命じられています。
当時は重さが数字で出るわけではなく、錘(おもり)とのバランスで重さを測りました。
なので、錘や秤に細工をすれば簡単にごまかすことができたのです。

これは、直接的には商売の話ですが、それだけで終わる話ではありません。
私たちは、人が見ている時だけ正しく振る舞うのではなく、誰も見ていないところでも誠実であることが求められているのです。
神さまが見ておられるのは、私たちの表面的な行動や人々の評価だけでなく、私たちの心がどこを向いているかということだからです。

さて、ここまで申命記20〜25章からいろいろなことを学んできました。
最初にお話ししたように、ここに書かれていることはバラバラなことのように見えて、重要なテーマがありました。
皆さんはその共通点に気づかれたでしょうか?
それを一言でまとまるなら、「神は無関心ではない」ということです。

  •  恐れている人を顧みなさい。
  •  弱い人を守りなさい。
  •  貧しい人を忘れるな。
  •  困っている人を見て見ぬふりをするな。

神さまは、ご自身の民がそのような共同体になることを願われました。
神を愛するとは、礼拝の時間だけ神を大切にすることではありません。
日常生活の中で、神の心を表して生きることなのです。

そしてその神の心を最も完全に表された方がイエス・キリストです。
イエスさまがいつも寄り添われたのは、宗教的に優れた人たちでも、地位や能力のある人たちでもありませんでした。
むしろ、社会の片隅に追いやられた人々、病に苦しむ人々、罪を抱えてうなだれていた人々でした。
そして何よりイエスさまは、罪によって神から遠く離れていた私たちをご覧になり、「あなたとは関係ない」とは言われませんでした。
私たちの問題をご自分の問題として引き受け、十字架にかかってくださったのです。

だから私たちも、「自分には関係ない」ではなく、「神ならこの人をどう愛されるだろうか」と問いながら歩んでいくものでありたいですね。
祈りましょう。