エペソ6:1-4 『 エペソ12~幸せになる親子関係 』 2013/11/03 松田健太郎牧師

エペソ6:1~4
6:1 子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。
6:2 「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、
6:3 「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」という約束です。
6:4 父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。

このエペソ人への手紙の中で、わたし達はキリストの体としてどのように生きていくべきかという事を学んできています。
先週は、わたし達がどのようにして幸せな夫婦関係を築いていくことができるかという事でお話をしました。
今日は、親子の関係の中で、キリストの体として、互いに従って生きていくことについて考えていきたいと思います。
さっそく見ていきましょう。

① 子どもたちよ
子供たちに対して、パウロはこのように書いています。

エペソ 6:1 子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。
6:2 「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、
6:3 「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」という約束です。

子供たちに求められているのは、親に対して従うという事です。
これは、妻たちに対しても、夫に従うように言われていたことと同じことですね。
妻たちが、夫に対して“神様にするように”従う事を求められていたのと同じように、子供たちも親に対して、“神様に対してするように”従う事が求められています。
なぜでしょうか?
なぜならば、それが「正しい事」だからだと言うのいいいlです。
もう少し、違う言い方をするなら、コロサイ人への手紙の中では、それが神様に喜ばれることだからだと書かれています。
子供が親に従う事、それは親が偉いからでも、正しい事を言っているからでもなくて、神様が喜ぶことだからだという事なのです。

両親に従うとはどういう事なのか、もう少し掘り下げてみましょう。
パウロは、旧約聖書の律法を取り上げてこのように言っています。

6:2 「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。

父と母を敬う事、十戒で言うと第5番目の戒めですね。
敬うというのは、大切にするというような意味の言葉です。
これが、人との関係の中で、約束を伴うものとして一番大切な戒めなのです。
それではどんな約束ですか? それは、

6:3 「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」という約束です。

わたし達は、神様にするのと同じように親に従う事を求められているわけですが、実際に全く同じように従う事は出来る事ではありません。
それは、神様と違って両親には間違いもあれば問題もたくさんあるからです。
わたし達は「“主にあって”従いなさい」と言われているのであって、それは神様の御心にかなう事において従うという事でもあります。
だから、両親がクリスチャンではなかったり、何か精神的な問題をかけた状態であれば、従う事ができないような状況も多いことでしょう。

しかし、“敬う”という事に関しては、両親がどのような状態にあろうと、わたし達に求められている事でもあります。
親が尊敬に値する人であるかどうか、まともであるかどうかも関係ありません。
わたし達は、両親を敬うのです。
そうしたら、わたし達は幸せになり、地上で長生きするんですよ。

多くの家庭の中で、親子関係は崩壊状態にあります。
それは現代の社会や、日本という国に限ったことではありません。
いつの時代も、どの文化でも、親子関係は難しい状態にありました。
それは、聖書の中で理想的な親子関係がひとつも描かれていない事を見ても明らかです。

僕がいろんな人たちと接していて思うのは、親子の関係というものは、多くの人たちの人間性に大きく影響を及ぼすものだという事です。
心に傷や問題を抱えている人たちの原因は、多くの場合両親との関係の中で培われてきたものだったりします。
そして厄介なのは、それが次の世代へ、次の世代へと影響を与えてしまう事なのです。
聖書の中には、親の罪の咎が、三代にも四代にも伝わっていくと書かれています。
それは、親の罪によって子が裁かれるという意味ではなく、親の罪の結果が何代にも渡って影響を与えていくという意味なのだと思います。

その連鎖を打ち砕くのは、わたし達が親を敬う事なのです。
親の罪を赦し、その影響を切り離し、手放して、親を敬っていくならば、わたし達の心の傷や問題は、少しずつですが神様によって癒されていきます。
そしてわたし達は、それによって幸せになり、長生きする事ができるのです。

② 父たちよ
続いて、パウロは親としての心得として、このように書いています。

6:4 父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。

「父たちよ」と言っていますが、もちろん母は関係がないという事ではありません。
これは、ヘブル的な表現方法で、両親に対して言われている言葉です。
さて、ここに描かれている「おこらせてはいけません。」という言葉が少し気になります。

何でも子供たちの言う事を聞いて、子供たちに怒られないようにしましょうという事ですか?
そんな事になったら、大変なことになりますね。
子供たちはみんなわがまま放題で、コントロール不能の状態になってしまうでしょう。

箴言 13:24 むちを控える者はその子を憎む者である。子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる。
という言葉もありますから、そういう事ではありません。

この“怒る”という言葉は、もともと“挑発する”とか、“逆なでする“というような意味の言葉で、直訳の方がむしろわかりやすいような気がします。

子が、親に従うという姿勢を持つとともに、親は子に対して理屈も何もなしに上から怒鳴りつけたり、有無を言わさず強制させるようなことをしないという事です。
もしわたし達が子供たちに対してそのような扱い方をしていたら、子供は親の支配から脱するために戦う必要ができて、グレてしまうでしょう。
もしも子供がグレなかったらもっと大変です。
その子供は、誰かに支配されていなければ生きていけなくなり、全く自立できない大人になってしまうのです。

そうではなく、「かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」とパウロは言っています。
ただこれも、言葉としてはわかりづらいというか、ずいぶん堅苦しいですよね。
「神様がわたし達に教え、諭してくださるように、わたし達も愛をもって子供たちを教え、育てなさい」という事です。
言われていることは、とてもシンプルです。
ただ、とても難しいことでもありますよね。

③ 幸せになる親子関係を築くために
わたし達が幸せな家族関係を築くために、一体どうしたらいいのでしょうか?
わたし達は、先週夫婦関係についての学びをし、今日は親子関係について学びました。
数週間開いて次回は雇用関係の中での祝福を見ていきますが、すべてに共通することがあります。
それは、すべての関係の中で、神様とわたし達の間にある愛の関係が象徴され、求められているという事です。

わたし達が良き親であり、良き子でありたいと願うなら、わたし達は他のどんな人のことも参考にしてはなりません。
なぜなら、完全な親も、お手本になるような子供も、どこにも存在していないからです。
わたし達は、基本的に自分が育てられたように、子供たちにもしようとするのですが、わたし達の両親も問題をたくさん持っていたことを覚えているはずです。
それが、どんな素晴らしい両親だったとしても、やはり完ぺきではありません。

わたし達が学ぶべきは、神様からです。
わたし達が、神様の子供とされたことを心から喜び、楽しむときに、わたし達はあるべき親子の関係を見出すことができるのです。

神様は、どのような父だと聖書には書かれているでしょうか?
父なる神様は、わたし達を愛し、諭し、時には叱ることによってわたし達を正しい方向に導いてくれています。
わたし達がお父さんから遠く離れ、放蕩してしまったとしても、わたし達を忍耐強く待って下さり、そして戻ってきたときには遠くにいるところから走り寄ってきて、抱きしめて下さる方です。

わたし達は、愛されたように、人を愛することしかできません。
わたし達は、神様によって愛されたその愛によって、わたし達の家族を愛するのです。
まずわたし達が神の子とされ、その関係をしっかり味わうのでなければ、本当の意味で幸せな家族の関係を築くことはできないのです。

聖書は、このように言っています。

ヨハネ 1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。

イエス様によって、神様の子とされる特権をわたし達は受けています。
神様の子供になってみませんか?
そして神の子とされたなら、その喜びを心の底から味わってみませんか?
その愛によって、わたし達は他の人たちも愛することができるようになるのです。

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