ダニエル6:1-9 『 ダニエル6 異国の王に仕える方法 』 2014/06/15 松田健太郎牧師

ダニエル6:1~9
6:1 ダリヨスは、全国に任地を持つ百二十人の太守を任命して国を治めさせるのがよいと思った。
6:2 彼はまた、彼らの上に三人の大臣を置いたが、ダニエルは、そのうちのひとりであった。太守たちはこの三人に報告を出すことにして、王が損害を受けないようにした。
6:3 ときに、ダニエルは、他の大臣や太守よりも、きわだってすぐれていた。彼のうちにすぐれた霊が宿っていたからである。彼を任命して全国を治めさせようと思った。
6:4 大臣や太守たちは、国政についてダニエルを訴える口実を見つけようと努めたが、何の口実も欠点も見つけることができなかった。彼は忠実で、彼には何の怠慢も欠点も見つけられなかったからである。
6:5 そこでこの人たちは言った。「私たちは、彼の神の律法について口実を見つけるのでなければ、このダニエルを訴えるどんな口実も見つけられない。」
6:6 それで、この大臣と太守たちは申し合わせて王のもとに来てこう言った。「ダリヨス王。永遠に生きられますように。
6:7 国中の大臣、長官、太守、顧問、総督はみな、王が一つの法令を制定し、禁令として実施してくださることに同意しました。すなわち今から三十日間、王よ、あなた以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれると。
6:8 王よ。今、その禁令を制定し、変更されることのないようにその文書に署名し、取り消しのできないメディヤとペルシヤの律法のようにしてください。」
6:9 そこで、ダリヨス王はその禁令の文書に署名した。

毎回、1章ずつダニエル書を読み進めてきています。
ダニエル書は全部で12章あって、今日で半分が終わるわけですが、実はここまでがダニエル書の第一部と呼べるような構造になっています。
第一部は、ダニエルが預言者としてどのように仕えたかという事が、歴史の記録のような形で客観的に伝えられているわけです。
第一部では、ダニエルが仕えていた3人の王様がでてきました。
実際には他にも何人かの王の時代があったわけですが、ダニエル書の第一部では、この3つのタイプの人たちに焦点が絞られているわけです。

このダニエル書のシリーズが始まる時からお話ししている事ですが、ダニエルは異教、異文化の中で外国の王様に仕えた預言者でした。
そのダニエルの生涯は、クリスチャン人口が1%未満と言われるこの日本で生きる私たちに、勇気を与え、たくさんの事を学ばせてくれます。
今日は特に、その部分に焦点を合わせながら、ダニエル書を見ていきましょう。

① ネブカデネザル
さてひとり目は、ユダ王国を侵略し、ユダヤ人を捕囚したバビロン帝国のネブカデネザル王です。
この王様は、典型的ワンマンタイプの上司のような人で、自分一人でバビロン帝国という大帝国を築き上げてきたという自負があります。
そして、自分たちが侵略して滅ぼしてきたのだから、自分たちが信じる偶像の神々が強く、最も優れていると信じてもいるわけです。
しかしネブカデネザルは、非常に人を見る目があり、本当に優れたものを見分ける事ができる人でもありました。

ある時ネブカデネザルは、夢を通して神様からの特別なメッセージを受け取りました。
その夢の解き明しをしたのが、預言者ダニエルです。
ネブカデネザル王は、ダニエルの言葉に素直に耳を傾け、その知恵を与えたダニエルの神を褒め称えました。
そして、まだ20歳にも満たず、王に仕える僕として就任したばかりのダニエルを、王に次ぐ地位である長官として大抜擢したのです。

しかしネブカデネザルは、長い間傲慢の罪を持ち続けていました。
ある時、そんな彼のプライドを粉々にするような事件が起こります。
ネブカデネザルは病気によって知性を失い、動物のようにふるまうようになってしまったのです。
でもそれは、神様が彼に与えたチャンスでもありました。
彼が再び正気を取り戻した時、彼は自分を生かし、導く神様の存在に気づくのです。
そしてネブカデネザルは、神様を愛し、謙遜な王としてその晩年を過ごすことになりました。

ダニエルは、真の神様を信じず、偶像を崇め、自分自身を神とするような人の元で仕えました。
そしてその働きを通して、この傲慢なネブカデネザル王に影響を与え、彼はついに神様を知り、愛し、信仰するようになっていったのです。
パウロが弟子であるテモテに宛てた手紙の中で、このように薦めています。

Iテモテ 2:1 そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。
2:2 それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。2:3 そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。
2:4 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。

私たちも、周りの人たちやワンマン上司を、「信仰がないからダメだ」と決めつけることなく、彼らのために執り成し、祈り、愛をもって福音を届けていきたいものです。

② ベルシャツァル
しかし、全てのケースがこのようにうまくいくわけではありません。
ふたり目に登場するのは、ネブカデネザルの孫にあたる、ベルシャツァル王でした。
この王様は、問題から目を背け、逃避するタイプの人です。
彼は、国が滅びるような危機にあっても、その事実に目もくれず、責任を放棄して大宴会を開いていました。

ベルシャツァルの問題は、神様に目を向ける事をせず、神様から遣わされたダニエルという人材を無視して、関わろうとさえしなかった事です。
ネブカデネザルの時代には長官だったダニエルは、長い間その存在すら知られていない状態でした。
ダニエルはバビロン帝国に仕え続けていたのに、ベルシャツァルが目を向けようとしなかったのです。

こういう人たちは、神様からの導きを感じる事もなく、応答することがありません。
神様の側からどれだけ働きかけても、まずそれを見ようともしないのです。
ベルシャツァルがダニエルの存在に気づいたのは、すでにその裁きが下ろうとする直前でした。
そしてベルシャツァルは、ついに最後まで神様を省みる事がなかったのです。

私たちは、こういう人たちであったとしても、あるいはもっと酷く、横暴な人であったとしても、尊敬の念をもって仕えていく必要があります。

Iペテロ2:18 しもべたちよ。尊敬の心を込めて主人に服従しなさい。善良で優しい主人に対してだけでなく、横暴な主人に対しても従いなさい。

しかし、それ以上はどうする事もできない人たちと言うのもいるのです。
彼ら自身が神様を求め、変わろうとしない限り、私たちがの側からどれだけ働きかけ、何かを伝えようとしても、決して彼らに届くことはないのです。
こういう人たちに仕え、ともにいる事は正直言うと大変です。
それでも私たちは、神様の愛のゆえに、このような人たちと共にいて、執り成して祈り続ける必要があるのです。

③ ダリヨス
さて、ようやく今日の聖書箇所に到達しました。
三人目に登場するのが、今日の聖書箇所で読んだ、ペルシャ帝国のダリヨス王です。
この王様は、これまでの王とは打って変わって、最初からダニエルを愛し、大切にした王でした。
帝国を治める120人の太守を取りまとめる3人の大臣の内の一人として、ダリヨス王はダニエルを任命します。
その中でも際立った働きをするダニエルを、ダリヨス王は全国を治める大臣の長として迎えようとしました。

しかし、その事を喜ばない人たちがいました。
ダニエルの出世に嫉妬する、他の貴族たちです。
彼らは策略によって、ダリヨス王にひとつの禁令を制定させます。
それは、「これから30日間、ダリヨス王以外のものに対して祈願する者は、ライオンの穴に投げ込む。」という法令です。
ダニエルが、真の神様以外のものに対して祈るはずがありません。
人々は、ダニエルがイスラエルの神に祈るのを見て、彼を捕え、ライオンの穴に投げ込んでしまいました。

私たちは、ダリヨス王のように理解のある上司の元で働けたらどれだけいいでしょう。
また、このような素晴らしい仲間と出会えたらどんなに素晴らしい事でしょう。
でも、例えこのような理想的な人との出会いがあったとしても、だからと言って問題がなくなるわけではありません。
嫉妬をしたり、問題を起こそうとする人達はいくらでもいるものです。
苦難、困難の材料は決してなくならず、私たちはどんな時でも迫害を経験するでしょう。

イエス様はこう言っています。

ヨハネ15:20 しもべはその主人にまさるものではない、とわたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害します。もし彼らがわたしのことばを守ったなら、あなたがたのことばをも守ります。
15:21 しかし彼らは、わたしの名のゆえに、あなたがたに対してそれらのことをみな行います。それは彼らがわたしを遣わした方を知らないからです。

ダリヨス王は、それをとても悲しみ、眠れない夜を過ごします。
自分の迂闊さによって家臣たちのワナにはまり、ダニエルを殺すことになってしまったことで、彼は罪の意識を感じていました。
彼は自分を責めたでしょう。
そして、この時彼は、神様に祈り、悔い改めたのではないかと思うのです。
一晩経った時、ダリヨス王は急いでライオンの穴に行きました。
すると、ダニエルはライオンに食い殺されることなく、無事だったのです。

それを見たダリヨス王は、このように宣言します。

ダニエル6:26 私は命令する。私の支配する国においてはどこででも、ダニエルの神の前に震え、おののけ。この方こそ生ける神。永遠に堅く立つ方。その国は滅びることなく、その主権はいつまでも続く。
6:27 この方は人を救って解放し、天においても、地においてもしるしと奇蹟を行い、獅子の力からダニエルを救い出された。」

こうして、バビロン帝国のネブカデネザル王の時と同じように、メディア・ペルシャ帝国という大帝国の王、ダリヨスもまた、真の神様への信仰を告白しました。

このダリヨス王は、公的な歴史書には登場しないので、実際には誰だったのかという事に諸説がありますが、クロス王と同一の人物だという説が有力です。
クロス王は、統治下にあったユダヤ人たちに、エルサレムの神殿を再建築するように命じた王でもありますから、この話とつじつまも合います。

残念な事に、歴史書にはこのクロス王がペルシャの宗教であるゾロアスター教を捨てて、ユダヤ人の神を信仰したという記録はどこにもありません。
でも、彼が個人的には救われていたという事は、十分にありうることでしょう。

私たちは、生きていく上で色々な人たちとの様々な出会いがあります。
良い出会いもあれば、悪い出会いもあるでしょう。
しかしどんな時でも、私たちが神様に遣わされるままに生きていくなら、私たちの内に主が働いて下さるはずです。
神様が、私たちを通して人と繋がり、その愛を伝えていくのを、私たちは経験することになるでしょう。

何度も言いますが、日本のクリスチャンは、人口のわずか1%未満。
同じ信仰を持つ人たちだけの中で生きていく事は難しい事です。
だからこそ私たちは、内側ではなく外に向かい、外の世界に人々に仕えていくべきです。
そこに起こる困難は避けられなくても、それに勝る祝福がそこにはあるのですから。

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