ダニエル7:1-14 『 ダニエル7-1 黙示を読むために 』 2014/06/22 松田健太郎牧師

ダニエル7:1~14
7:1 バビロンの王ベルシャツァルの元年に、ダニエルは寝床で、一つの夢、頭に浮かんだ幻を見て、その夢を書きしるし、そのあらましを語った。
7:2 ダニエルは言った。「私が夜、幻を見ていると、突然、天の四方の風が大海をかき立て、7:3 四頭の大きな獣が海から上がって来た。その四頭はそれぞれ異なっていた。
7:4 第一のものは獅子のようで、鷲の翼をつけていた。見ていると、その翼は抜き取られ、地から起こされ、人間のように二本の足で立たされて、人間の心が与えられた。
7:5 また突然、熊に似たほかの第二の獣が現れた。その獣は横ざまに寝ていて、その口のきばの間には三本の肋骨があった。するとそれに、『起き上がって、多くの肉を食らえ』との声がかかった。
7:6 この後、見ていると、また突然、ひょうのようなほかの獣が現れた。その背には四つの鳥の翼があり、その獣には四つの頭があった。そしてそれに主権が与えられた。
7:7 その後また、私が夜の幻を見ていると、突然、第四の獣が現れた。それは恐ろしく、ものすごく、非常に強くて、大きな鉄のきばを持っており、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。これは前に現れたすべての獣と異なり、十本の角を持っていた。
7:8 私がその角を注意して見ていると、その間から、もう一本の小さな角が出て来たが、その角のために、初めの角のうち三本が引き抜かれた。よく見ると、この角には、人間の目のような目があり、大きなことを語る口があった。
7:9 私が見ていると、幾つかの御座が備えられ、年を経た方が座に着かれた。その衣は雪のように白く、頭の毛は混じりけのない羊の毛のようであった。御座は火の炎、その車輪は燃える火で、
7:10 火の流れがこの方の前から流れ出ていた。幾千のものがこの方に仕え、幾万のものがその前に立っていた。さばく方が座に着き、幾つかの文書が開かれた。
7:11 私は、あの角が語る大きなことばの声がするので、見ていると、そのとき、その獣は殺され、からだはそこなわれて、燃える火に投げ込まれるのを見た。
7:12 残りの獣は、主権を奪われたが、いのちはその時と季節まで延ばされた。
7:13 私がまだ、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。
7:14 この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。

ダニエル書を、毎回1章ずつのペースで読み進んでいます。
実は、今日の聖書箇所となる7章と、次の8章はつながりをもっている部分なので、本当はいっぺんにお話ししていきたいところなんです。
しかし、内容が濃いので一度に話す事は無理ですし、来週は証と祈りの礼拝のためにメッセージがありませんから、1週間はさむ事になってしまします。
そこで今日は、7章の直接的な内容ではなく、どのようにしてこの御言葉と向き合っていけばいいのかと言う事をお話しして、7月に入ってから7章、8章とお話していきたいと思います。
というのは、普通に読み進んでいくと、この7章から急に話がわからなくなってしまう場所でもあるからです。
先ほどこの7章を読んでいただきましたが、皆さんはどの様に感じられたでしょうか?

① 黙示文学
本題に入る前に、まずは先週までのところを振り返ってみましょう。
ユダ王国はバビロンに占領され、捕囚され、異国の王たちに仕えた預言者ダニエルの活躍が、客観的な視点で描かれていました。
このダニエルの姿勢から、私たちはクリスチャン人口1%未満の日本で、どのように生きるべきかという事を一緒に考えてきたのでしたね。
ここまでが、ダニエル書の第1部と言う事ができると思います。

今日からの箇所は、ダニエル書の第2部です。
ここからは、これまでの話の流れとは打って変わって、ダニエルが見た幻について、ダニエル自身の目線から書かれています。
これを今までと同じような読み方で進んでいこうとすると、話がさっぱりわからなくなってしまうのです。
突然羽の生えたライオンなど、モンスターがたくさん出てきて、まるでファンタジーの世界に引き込まれてしまったかのようです。

実は、こういう表現は聖書の中であちこちに出てきます。
これは、聖書の中で“黙示文学”と呼ばれる形式なのです。
黙示と言うのは、もう少しわかりやすい言葉に直すと、“神様からの啓示”ですね。
英語では”Revelation”と呼びますが、”明らかにされる”という意味の言葉です。

私たちが“黙示”と聞いて真っ先に思い出すのは、黙示録ではないでしょうか。
聖書には他にも、エゼキエル書やゼカリヤ書の中に黙示的表現を見る事ができます。
これを、聖書の他の部分にあるような歴史の記述としての形で理解しようとすると、非現実的になって「ワケがからない」という事になってしまうのです。

聖書の中の黙示文学の代表とも言うべき黙示録は、世界の終わりについて書かれているという事が知られるようになり、近年多くの人たちが解読しようとするようになりました。
そういう人たちの多くは、ノストラダムスの予言や、UFOの存在を信じるような神秘家の人たちや、カルト宗教の指導者たちです。
こういう人たちは、信仰的な背景から聖書を読むのではなく、神秘主義な観点から黙示録を読み解こうとしますから、大変な解釈をしてしまったりするわけです。

彼らは、自分の知識だけに頼って聖書を解釈をしたり、これは世界の終末について書かれているんだという先入観の元に、勝手な想像をして解釈してしまいます。
例えば、このダニエル書の中にも出てきますが、“4枚の羽根”という表現が出てくると、実際に4枚の羽根を持った生物はいませんから、自分の知っているものから連想して飛行機だとか、ヘリコプターではないかと考えたりするのです。
しかし、こういう連想ゲームや、ロールシャッハ・テストのような読み方では聖書を読み解くことはできません。
それでは、どうすればいいのでしょうか?

② 神様が黙示を残したわけ
まずは、神様がどうして黙示を、聖書の中に残したのかという事を考えてみましょう。
神様が人々に黙示を与える第1の目的は、未来の事を伝えるためです。
黙示のカタチで書かれている事のほとんどは、未来に起こることが書かれているんです。
神様が、私たちには理解しにくい黙示というカタチで未来を伝えているのは、未来の事があまりに鮮明に書いてあったら、私たちは未来を変える事も簡単にできてしまうからかもしれません。

第2の目的は、救い主について伝えるためです。
世界の終わりについて書くことが目的なのではなく、救い主について伝える事が目的なのです。
黙示文学であるかどうかに関わらず、旧約聖書の一番大きな目的は、救い主が現われた時にそれがわかる事なのです。
ただそのような預言の分かりにくいところは、救い主であるイエス様の初臨と再臨が同じ預言の中に書かれているところではないかと思います。

例えば、先ほど読んで聖書箇所では、4つの獣が出てきます。
ダニエル書を読み進めると、この4つの獣は、ネブカデネザル王が見た像の夢と同じように、これから出てくる4つの王国について書かれている事が分かります。
これを考慮に入れて考えると、4つ目の獣が表しているのは、4つ目の帝国であるローマ帝国だろうと想像することができます。
そして、そこに“人の子のような方”が登場します。
ダニエル 7:13 私がまだ、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。

この“人の子のような方”が誰を表しているかと言うのは、新約聖書を知っている私たちには簡単に読み解くことができるんです。
イエス様ご自身が、自分の事を“人の子”と呼んでいるからです。
イエス様がよく使った“人の子”という言葉は、“人間の子ども”という意味ではなく、ダニエル書に出てくるこの“人の子のような方”というのが、自分の事を指しているという事を言っていたわけです。

“人の子”なる救い主、イエス様が、4つ目の帝国として表現されているローマ帝国の時代に現れるのですから、つじつまも合っています。
ところがここに登場するイエス様は、“天の雲に乗って”現れ、父なる神様を表す“年を経た方”の前に導かれたと書かれています。
実はこれと同じような表現が、ルカの福音書の中にも出ています。

ルカ21:27 そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。
ルカの福音書で書かれているこの言葉は、イエス様が再臨する時の事について書かれている部分です。

さらに、ダニエル書はこのように続いています。

ダニエル 7:14 この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。

これは、聖霊が与えられることによって私たちの内に来る神の国の事であり、やがて私たちが永遠の時を過ごすことになる天国をも意味しています。
つまりこの黙示は、イエス様の初臨と、再臨が一緒に書かれているのです。

他のメシヤ預言や黙示の中にも、初臨と再臨が同じ流れの中で書かれているところがたくさんあります。
私たちはこのような、預言の特徴に注意をしながら、読み解いていく必要があるのです。

③ 黙示をどのように読み解けばいいのか
それでは、結局どのようにして黙示を読み解いていけばいいのかを考えてみましょう。
先ほど私たちは、ダニエルの幻に出てくる4つの獣は、4つの王国を表している事を見ました。
そして、“人の子”とはイエス様の事を表しているという事を見ました。
どうやってその事を解き明かしましたか?
そう、聖書に書いてあるからです。
答えは、すべて聖書の中にあるのです。

ここに、黙示を解き明かすための大原則があります。
それは、『聖書は聖書の言葉をもって解き明かす。』という事です。
一見何だかわからない黙示ですが、その多くはちゃんと解き明しがされています。
新約の時代になってから、イエス様がその解き明しをしている事もあります。
また逆に、新約の時代に与えられた黙示は、そのヒントが旧約聖書の中に隠されていたりもします。
実は黙示録の内容のほとんどは、エゼキエル書、ダニエル書、ゼカリヤ書と重なっていて、旧約の中の黙示を読み解いていくと、難しいと言われる黙示録の内容のほとんどがわかるようになっているのです。

黙示を解き明かすために必要な2番目の事は、実際の歴史と照らし合わせる事です。
聖書に記された預言の中で、すでに実現しているものに関しては、その結果がどうなったかという事を歴史を通して見る事ができます。
先ほど出てきた4つの獣が表す王国は、バビロン帝国と、メディア・ペルシャ帝国、ギリシャ帝国と、ローマ帝国を表しているだろうと、その後の歴史を知っている私たちは読み取ることができます。
それを踏まえた上で、黙示録の中に同じような表現の黙示が現われた時、どのような事が起こるかという事を想像することができるのです。

とっつきにくく、意味が分からない黙示文学ですが、こういうコツがつかめてくるとある程度は自分だけでも理解できるようになってきます。
もちろん、背景となる歴史を調べなければわからない部分もありますし、参考となる注解書などを読む必要があることもありますが、聖霊の助けによってある程度はわかるものだという事を知っていただきたいのです。

それでも読み解くことができない、謎の部分もあります。
それは、今はわからなくても良いところです。
今の私たちには、隠されているところだからです。

イエス様の再臨がいつ来るのかという事もそうですね。
イエス様ご自身がこのように言っておられます。

マタイ24:36 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。

イエス様の再臨は、いつ起こるのかという事は明らかにされていません。
だから、いつも目を覚ましていなければならないとイエス様は言うのです。

聖書の言葉を読んでいく上で、私たちがしてしまいがちな二つの反応があります。
ひとつは、難しいから自分では読まないという反応です。
でも神様は、私たちに伝える事が目的で聖書を与えて下さったのですから、私たちがそこからメッセージを受け取る必要があるのです。
そして、ちょっとコツさえつかめれば、誰にでもメッセージを受け取ることができるのです。

もう一つの反応は、聖書を読みこんで、全ての事に答えを見出そうとしてしまう反応です。
聖書の中には、私たちに明らかになっている事と、なっていない事があります。
明らかにされている事をしっかりと受け止めつつ、明確でないところはムリに答えを作らないという事が大切な事なのではないでしょうか。
明確にされていない事もまた、それ自体が神様からのメッセージなのですから。

以上の事を踏まえた上で、ダニエル書の7~8章をぜひ自分自身で読んでみてください。
再来週まで時間がありますから、時間は十分にあるはずです。
そして、そこから受け取ったメッセージを、僕がするメッセージと比べてみて欲しいのです。
全然違っていていいのです。
違ったら違ったで、そこから受け取ることができるものが必ずあるはずですから。

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