創世記14:13-24 『本当の戦い』 2006/06/11 松田健太郎牧師

創世記 14:13~24
14:13 ひとりの逃亡者が、ヘブル人アブラムのところに来て、そのことを告げた。アブラムはエモリ人マムレの樫の木のところに住んでいた。マムレはエシュコルとアネルの親類で、彼らはアブラムと盟約を結んでいた。
14:14 アブラムは自分の親類の者がとりこになったことを聞き、彼の家で生まれたしもべども三百十八人を召集して、ダンまで追跡した。
14:15 夜になって、彼と奴隷たちは、彼らに向かって展開し、彼らを打ち破り、ダマスコの北にあるホバまで彼らを追跡した。
14:16 そして、彼はすべての財産を取り戻し、また親類の者ロトとその財産、それにまた、女たちや人々をも取り戻した。
14:17 こうして、アブラムがケドルラオメルと、彼といっしょにいた王たちとを打ち破って帰って後、ソドムの王は、王の谷と言われるシャベの谷まで、彼を迎えに出て来た。
14:18 また、シャレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。
14:19 彼はアブラムを祝福して言った。「祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られた方、いと高き神より。
14:20 あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。
14:21 ソドムの王はアブラムに言った。「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。」
14:22 しかし、アブラムはソドムの王に言った。「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。
14:23 糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが、『アブラムを富ませたのは私だ。』と言わないためだ。
14:24 ただ若者たちが食べてしまった物と、私といっしょに行った人々の分け前とは別だ。アネルとエシュコルとマムレには、彼らの分け前を取らせるように。」

「生きることは戦いだ」と言います。
確かに、この競争社会の中にいて生き残っていくのは大変なことです。
子供たちは幼稚園の時代から競争の中に入れられ、ついて来られない者は容赦なく置いていかれるのでみんな必死です。
戦いは競争だけに終わるのではなく、過酷な生存競争もあります。
毎日たくさんの人たちが競争に敗れ、リストラやいじめのために自らの命を断っているのです。
日本で生き残っていく事は、文字通り戦いだと言うことができるのかもしれません。

皆さんの人生の戦いは、どんな戦いでしょうか?
また信仰者として、私達はどのような戦いをするべきなのでしょうか?
今日はアブラムが目の当たりにした戦いについて、共に学んでいきましょう。

① 価値のある戦い
まずアブラムが直面した戦いは、文字通りの戦争でした。
この戦争は、12年間ケドルラオメル王に従っていたソドム、ゴモラなどの5つの国の王達が反逆を起こしたために、ケドルラオメルを始めとした4つの国が再び配下に置こうとして始めた戦争です。
そしてこのソドムという国は、アブラムと分かれた後でロトが住み着いていた場所だったのです。

2週間前のお話ですが覚えていますか?
ロトはアブラムと分かれるに事になった時、自分の目で見渡して見て、土壌も豊かで、大きな町のソドムを選んだのでした。
しかし、より繁栄して裕福な土地であるソドムを選んだはずのロトは戦争に巻き込まれ、侵略してきたケドルラオメル王に捕らえられて、全ての財産も奪われてしまいます。
ロトが自分の判断で選んだ目に見える安定と繁栄は、その実いつ失われてもおかしくないような危険と背中合わせだったのです。

私達は生きていくために一生懸命に働き、少しでも多くの蓄えを持とうと考えます。
お父さんは朝早くから夜遅くまで働き詰めで、子供たちの顔も見ることができない。
お母さんは子供たちが少しでもいい学校に行き、少しでもいい仕事に就けるように必死に習い事をさせ、金銭的な安定や、裕福さがなければ生きていくことができないかのような人生を過ごしています。

日本の社会はすぐに仲間はずれを作る社会ですから、油断をしているとあっという間に取り残されて、周りの人々から見捨てられてしまいます。
皆についていくためには、嫌でもそんな人生を送っていくしかありません。

しかし、そんなに苦しい思いをして勝ち取ってきた物に、本当に価値があるのでしょうか?
どれだけ大切にしている財産も、大きな災害が起こったらあっという間になくなってしまいます。
ロトのように、日本が大きな戦争に巻き込まれたら・・・。
経済システムが破綻してしまったら・・・。
今私達が持っているものは、すべて意味がなくなってしまうのです。

私達が働いていることや、安定を求める事に意味がないと言おうとしているのではありません。
ただ、皆さんにもう一度考えて欲しいのです。
皆さんが手に入れようとしているものは、それ程の苦労をして手に入れる価値のあるものなのでしょうか?
それ程身を粉にして働いて、自分の心を殺し、家族を犠牲にしてまで手に入れる価値のあるものでしょうか?
なりふり構わず、周りの人たちを傷つけ、切り捨て、振り落としてでも、手に入れる価値が本当にあるものなのでしょうか?

生きることは戦いかもしれません。
しかし、私達は本当に価値のあることのために戦っているのでしょうか?

イエス様はこの様に言っています。

マタイ 6:19 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。
6:20 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。
6:21 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。

② 神様の戦い
さて、ロトが捕らえられてしまった事を知ったアブラムは、仲間を集めてロトを救出する戦いに出ました。

14:14 アブラムは自分の親類の者がとりこになったことを聞き、彼の家で生まれたしもべども三百十八人を召集して、ダンまで追跡した。
14:15 夜になって、彼と奴隷たちは、彼らに向かって展開し、彼らを打ち破り、ダマスコの北にあるホバまで彼らを追跡した。
14:16 そして、彼はすべての財産を取り戻し、また親類の者ロトとその財産、それにまた、女たちや人々をも取り戻した。

神様は平和を愛される方ですが、ただ争いを避けるために誰かを身代わりにしたり、個性を殺して踏み潰されることを喜ぶ方ではありません。
私達には、どうしても戦わなければならない戦いがあります。
ロトはソドムを自分の選択で選び、その結果がこの不幸だったのだから、それはロトの自業自得だと言う事もできるでしょう。
しかし、ロトは家族であり、これまで長い間助け合ってきた仲間です。
アブラムは甥に対する真の兄弟愛のために立ち上がり、ロト救出のために戦いました。
では、これこそが私達にとって価値のある、本当の戦いなのでしょうか?

アブラムはこの戦いに備えて招集したのは、318人のしもべ達でした。
同盟を組んだマムレ、エシュコル、アネルを合わせても大した人数ではなかったでしょう。
一方、敵はケドルラオメルを始めとする4つの国の軍勢です。
人数はわかりませんが、これまで打ち破ってきた国々を考えれば大軍勢だったでしょう。
ずいぶんあっさり書かれていますが、人数差を考えればアブラムがケドルラオメルに勝つ事など不可能でした。

これ程不利な戦いなのに勝利がもたらされたのは、これが神様の戦いだったからです。
後の時代、イスラエルが目前としていた不利な戦いの前に、ある預言者が主の霊を受けて、この様な神様の言葉をもってイスラエルの人々を励ましました。

『あなたがたはこのおびただしい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから。あす、彼らのところに攻め下れ。見よ。彼らはツィツの上り道から上って来る。あなたがたはエルエルの荒野の前の谷のはずれで、彼らに会う。 この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいる主の救いを見よ。ユダおよびエルサレムよ。恐れてはならない。気落ちしてはならない。あす、彼らに向かって出陣せよ。主はあなたがたとともにいる。』(II歴代誌20:15~17)

私達が仲間のために命をかける様なときであっても、それは私達の戦いではありません。
主が戦ってくださるのでなければ、この様な戦いに勝利はなく、また正義もないからです。

③ 本当の戦い
さてロトを救出し、ケドルラオメルが奪っていった財産を奪い返し、アブラムはソドムへと戻ってきました。
ソドムに凱旋するアブラム達を出迎えたのは、ソドムの王でした。
しかし、それをさえぎるように、シャレムの王メルキゼデクという人が突然姿を現します。

14:18 また、シャレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。
14:19 彼はアブラムを祝福して言った。「祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られた方、いと高き神より。
14:20 あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。

王であり、いと高き真の神様の祭司であるメルキゼデクはパンとぶどう酒を持って現れ、アブラムに祝福を与えました。(メルキゼデクに関してもっと詳しく知りたければ、詩篇の110篇やヘブル人への手紙の5~7章を参考にして下さい。)
メルキゼデクとともに神様を礼拝し、祝福を受けたアブラムは、この戦いが神様の戦いであり、勝利はすべて神様からもたらされたということを確認します。
そのことを心に刻むため、アブラムはすべての戦利品の10分の1を分けて、献金というかたちで神様にお返ししました。(10分の1献金の起原がここにあります。)

一方で、ソドムの王はケドルラオメル王に勝利したアブラムがこのまま王になっては困ると思ったのでしょう。条件を持ちかけて、ソドムの王としての地位を何とか取り戻そうとしました。

14:21 ソドムの王はアブラムに言った。「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。」

ソドムの王が持ちかけた条件は、戦利品はあなたの物にしてもいいから、王としての権利は私に返して欲しいというものでした。
アブラムは、ソドムを始めとする5つの国々を占領したケドルラオメル達に勝利したのですから、アブラムが望みさえすればそれらの国々の王となることもできました。
でも、アブラムはその道を選ばなかった。
神様の御心がそこにないことを知っていたからです。

しかし、アブラムが王になる気がないとしたら、ソドム王の提案はさらに魅力的でした。
すべての財産を自分のものにしてもいいというお墨付きをくれたのですから。

しかし、アブラムはそれも断ってしまいます。

14:22 しかし、アブラムはソドムの王に言った。「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。
14:23 糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが、『アブラムを富ませたのは私だ。』と言わないためだ。

実はこの時、ここでは大きな霊的戦いが繰り広げられていたのです。
神様からの恵みを受け取り、栄光を神様にお返しするのではなく、全ては自分の力で勝ち取ったものだという、神様から引き離そうとする悪魔の誘惑との戦いです。
これこそが、私達がいつも目の当たりにしている本当の戦いです。

悪魔は報酬をもって、私達の所有欲を刺激します。
悪魔は甘いほめ言葉で、私達の自尊心をくすぐります。
実際に、自分が苦労して勝ち取り、必死になって生き残ってきたと感じれば感じるほど、それが神様から与えられているのだと認めることは非常に難しくなっていきます。
私達の敵は他人ではなく、自分自身でもなく、私達を神様の愛から引き離そうとする悪魔なのだということを理解して、人生を戦い抜く必要があるのではないでしょうか?

最後にある人物のお話をして終わりたいと思います。

彼は貧しい行商人の子供として育ち、野心に満ちた青春時代を送りました。
彼のモットーは、「自分のため、金のため」でした。
無一文から20代で独立、30代で石油会社を設立、40代には鉄道会社と企業合併し、アメリカの精油能力の九十%以上を支配し大金持ちとなりました。
こうして彼は、実業家として名をあげ、富を得たのです。
彼は徹底的に「自分のため」を押し通し、一文でもよけいにもうけるために、雇い人や商売相手から情け容赦もなく搾取していきました。
そのため、彼が成功しても一人として彼を愛し、尊敬する人はいませんでした。
人々は彼の金の前にひざをかがめましたが、心のなかでは彼のことを憎んでいました。

五十歳をすぎたとき、彼は突然、極度のノイローゼにおちいりました。
食欲はなく、くる日もくる日もミルクでクラッカーをようやく流しこみ、夜は眠ることができなくて暗やみをのろいつづけました。
このどん底の苦しみのなかで、彼は我に帰ったのです。
自分だけの、金だけの道が滅びであることに気がついたのでした。
彼は神のみ前に悔い改め、神からの救いを受けました。
すると彼の人生のなかに、彼の妻、彼の子ども、彼の友人たちの姿が浮かび上がってきました。それらは彼の愛すべき人たちだったのです。

彼が神に従って生きはじめると、彼は不思議な事を経験し始めました。
財産をどれだけ人に与えても、どんどんどんどん増えて行く・・・。
あの鬼のようにして取りこんでいた富が、なんと、富のほうから彼にほほえんで入りはじめてきたでのです。
彼は実業界から引退すると、神が彼に与えた富をもって、慈善事業に全精力をかたむけはじめました。

彼の名はジョン・D・ロックフェラー。
ロックフェラー財団を設立し、シカゴ大学の創立や、各種の福祉、慈善事業に献金し、社会に富を還元していった、偉大なる慈善家として知られる人物です。

彼の人生は、自分のためだけに生きた半生よりも、すべてを神様にゆだね、神様の栄光のために生きた残りの生涯に大きな祝福を得ました。

皆さんにもう一度お聞きします。
皆さんの人生の戦いは、どんな戦いでしょうか?
自分のために、自分が戦う戦いでしょうか?
それとも、悪魔の誘惑と戦いながら神様を見出し、神様が皆さんのために戦って全てを勝ち取る戦いでしょうか?

私達が戦うべき戦いがあります。
私達は、本当に戦うべき戦いのために、全力をつくそうではありませんか。

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