ヨハネ14:16-17 『御心に従って生きる時』 2006/06/04 松田健太郎牧師
ヨハネ 14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
14:17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。
今日は創世記のシリーズはお休みですが、私達は今創世記の学びを通して、信仰の父アブラハムの生涯から多くのことを学んでいますね。
アブラハムだけに関わらず、旧約聖書を代表とする偉大な信仰者達の生き方には、神様のみ声を聞き、それに従うというひとつのパターンを見ることができます。
アブラハムが、まだどこに行くかも分からない時から神様の御声を聞き,それに従って旅立ったように・・・。
神様は、天国のどこかにいて、私達のことを黙って観ているというような方ではありません。
神様のほうから積極的に人間に語りかけ、私達が応答することを期待しているのです。
神様はしようと思えば、ご自分の計画をひとりで終わらせることもできるでしょう。
しかし、神様は私達人間の働きを通して、多くのことをしよとしておられます。
それは、神様の壮大な計画に、私達を関わらせて下さろうとしているということです。
神様が皆さんに語りかけているのは、どのような使命でしょうか?
そして皆さんはその御心に従う事ができているでしょうか?
① 神様の御心を知る
神様が私に何を求めているのか判らない。
これが、私達が最初に直面する問題かもしれません。
でも、神様の御心を知りたいという思いを持つ事は、素晴らしい、最初の大きなステップですから、そこですぐにあきらめてしまわないで下さいね。
神様のために何をするかという事を考えた時、私達がしてしまいがちな間違いがあります。
それは、自分にできることや、やりたいことを神様の御心と決め付けてしまう事です。
確かに、神様が私達に「これをしたい」という想いを与えて下さることもあります。
しかし多くの場合それは、私達がしたいことを決め、私達の優先順位に従って行うという私達の計画であって、神様の計画ではありません。
イザヤ 55:8 「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。――主の御告げ。――
ノアが船を作りたかったから神様が洪水を起こしたのではありません。
神様は、アブラムが旅行が好きだったから旅立たせたわけでもなければ、王様になりたいと思っていたから子孫を増やして国民としていったわけではありません。
まず、神様の計画があって、私達に使命が与えられるということです。
皆さんは毎日聖書を読んでいますか? お祈りはしていますか? デボーションはしていますか?
私達は勉強のためにそのようなことをするのではありません。
そういったことを通して、私達は神様との関係をさらに深め、神様の計画と私達に与えられた使命を知り、神様の御心に従って生きていくことができるのです。
② 私にはできなくても
しかし私達は、神様に与えられた使命を前にして、「無理だ」と感じる事もあるでしょう。
私達が被造物でしかないことはもちろん、罪人として生まれ生きてきた私達が、神様の計画の一端を担う事なんてできるはずがないじゃありませんか?
キャンパス・クルセード・フォー・クライストというミニストリーを始めたビル・ブライトがよく話していたお話を紹介しましょう。
「まだ飛行機が一般的な旅行手段ではなかった時代の話です。
ある人が、アメリカに行くために船のチケットを買いました。
貧乏でお金がなかったので、一生懸命働いて、ようやく一番安いチケットを手に入れることができたのです。
しかし船のチケットを買うのがやっとで、アメリカまでの1ヶ月の間どうやっても食べていけるだけのお金がない。
そこでこの人は、クラッカーとチーズをたくさん買って船に乗り込みました。
朝はクラッカーを食べ、昼はチーズを食べ、夜はクラッカーとチーズを両方食べて過ごしたのです。
お腹がすいて辛いこともありましたが、あこがれのアメリカに行くことを考えると、そんな苦しさも吹っ飛びました。
さて、いよいよ航海も最終日となり、明日の朝にはアメリカに到着するという晩のことでした。
その人が船の甲板で、散歩をしながら最後の夜を楽しんでいると、ある人が声をかけてきました。
最初はとりとめもない挨拶をしていたのですが、親しく話をしているとやがてその人がどうして声をかけたのかという事を打ち明けてくれたのです。
『実は、私はこの船の食堂で料理長をしている者です。私はいつもお客様の顔を見ているので、この船に乗っておられる方はみんな知っているつもりいましたが、失礼ながらあなたをお見かけしたことがないように思われたのです。』
そこで彼は恥ずかしそうに事情を話しました。
『あなたが私の顔を見たことがないのも当然かもしれません。私は食堂に行ったことがないからです。恥ずかしながら私は貧乏なもので、食堂で食事をするだけの金銭的な余裕がないのです。船のチケットも、一番安いチケットをやっとの思いで買ったくらいでした。』
すると料理長は、驚いた顔をして言いました。
『あなたの買ったチケットには、食事代も含まれていたんですよ!?』」実は多くのクリスチャンが、この人と同じ失敗をしていることに気がついていません。
私達は、信仰を持った時に、それと同時に聖霊を受けているということを忘れてしまっているのです。
罪人である私達が神様から与えられる使命を果たすのは、確かに簡単なことではありません。
例えば「隣人を愛し、敵のために祈れ」とイエス様は言います。
でも私達は、時として自分の家族さえ愛する事ができていないのが現実ではないですか。
そこでイエス様は、十字架にかかる前にこのような約束をして下さったのです。
ヨハネ 14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
14:17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。
2000年前にイエス様が十字架にかけられ、葬られ、蘇ってから天に昇られた後、五旬節(ペンテコステ)というユダヤ人のお祭りの日に、この約束は果たされました。
弟子達の上に聖霊が注がれたのです。
旧約時代には幕屋や神殿の中にいて、神様には限られた人にしか接する事ができませんでした。
福音書の時代に神様は、イエス様として人々と接して下さいました。
そして、このペンテコステの日に、神様は人々の内側に入ってきてくださったのです。
それはその時だけのことではなく、今を生きる私達にも聖霊が与えられています。
私達がイエス様を救い主と受け入れて信仰に入った時、必ず聖霊が与えられているのです。
神様の計画を果たすことは、私達にはできません。
しかし、神様にはできるのです。
その神様が私達の中にいらっしゃるのです。
私達の持ち前の力は、チーズとクラッカーでしかありません。
しかし、乗船チケットを買ったときに食事代がすでに含まれていたのと同じように、私達が神様の御心を知る時、それを果たす力はすでに与えられているのです。
③ 御心に従って生きるなら
「いやぁ、健太郎さんはそんなことを言うけど、私にはとてもそんな力が与えられているようには思えません。私はまだ救われていないのでしょうか?」
そのように思われる方もいらっしゃるかもしれません。
そこで最後に、ビル・ブライトが得意としていた話しをもうひとつ紹介しましょう。
テキサスの西部にイェイツという人がいました。
彼は農場を買い取り、たくさんの羊を飼って牧場を経営していたのですが、土地を購入するために財産を使い果てしてしまい、とても貧しくて銀行で借りた利子を返すこともできない状況でした。
毎日の生活も大変で、自分と家族が食べていくのも大変でしたが、羊には食べさせなければますますお金にはなりませんから、最終的には生活保護を受けながらなんとか生きているという有様でした。
やがて担保を払えないために、もう自分の土地もあきらめなければならないというところまできたある日、ある技術者が彼の家を訪れました。
その技術者は、イェイツに土地を掘らせて欲しいと頼んだのです。
調査を進めてみると、350m掘り進んだ所で最初の油田が発見されました。
その油田から一日に8万バレルの石油を取ることができるということがわかりました。
それがどれくらいの価値があるのか、具体的に私にはわかりませんが、そのような油田が、彼の土地から次から次へと発見され、結果的に彼は大金持ちになりました。
イェイツ氏が財産をはたいて購入した土地は、自分が払った額よりもずっと価値のあるものでした。
彼はその土地を自分のものにしたときから、大変な財産を手にしていたのです。
しかし、彼とその家族はそんな財産の上で生活しながら、彼らは食うにも困る生活を何年も過ごしていました。
彼の問題は何だったでしょうか?
それは、土地の使い方を間違っていたということです。
最初から油田として使っていたら、イェイツは土地を買った時から大金持ちになっていたはずなのに、自分が買った土地の価値を理解せず、羊を飼うために使っていました。
どんなに素晴らしい価値を持った土地でも、用途を間違っていたらその最大の価値が発揮できないのは当然の事です。
では皆さんに質問します。
なぜ多くのクリスチャンは、霊的な貧困家庭のような顔をして生きているのでしょうか?
マタイ 13:44 天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。
私達はクリスチャンになった時、宝が隠されている畑を手に入れました。
皆さんはこの畑を、羊を飼うための牧場として使っていませんか?
あるいは畑を手に入れたことを喜んで、肝心な宝は手付かずになっているということはありませんか?
今の自分にできることをするのが、神様の御心なのではありません。
神様に与えられた使命に従う時、私達は自分の中にある宝を見出し、御霊による豊かな人生を歩む事ができるようになるのです。
どうせ生きるなら、豊かな人生を歩みたいとは思いませんか?
まずは、神様の御心を知ることから始めて下さい。
今、あなたに示されている事は何ですか?
あなたに与えられている使命は何でしょうか?
何の目的をもって、あなたは創造されたのでしょうか?
「私にはできません。」とか、「わかりません。」なんて言わないで下さい。
必要な力は、すでに与えられているのですから。