創世記4章 罪は罪を産む

カインとアベル

アダムとエバの息子たち、カインとアベルの話です。
兄のカインは農作物を育て、アベルは羊を飼う人となりました。
兄が弟を殺すことになる痛ましい話ですが、読んでいる僕たちが、少し納得しにくい部分を感じてしまう話しでもあるかもしれません。

創世記 4:3 しばらく時が過ぎて、カインは大地の実りを【主】へのささげ物として持って来た。
4:4 アベルもまた、自分の羊の初子の中から、肥えたものを持って来た。【主】はアベルとそのささげ物に目を留められた。
4:5 しかし、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それでカインは激しく怒り、顔を伏せた。

何が納得いかないかと言えば、神さまがアベルのささげ物だけを受け取り、カインのささげ物には目を留められなかったというところです。
それによって、カインの中にはアベルに対する妬みが起こり、ついに殺してしまった訳です。
人によっては、「神さまが妬みを起こすようにしたのではないか」と思うかもしれません。

神さまはどうしてアベルのささげ物に目を留め、カインのささげ物には目を留めなかったのでしょうか?

ひとつ言えるのは、カインのささげ物は単なる「大地の実り」、しかしアベルのささげ物は、「初子(その家畜が最初に産んだ子供で、もっとも質が良いとされる)の中から肥えたもの」だったということです。
どっちが良いものだったかという話しというよりも、これはどんな思いで捧げたかということではないかと思います。

カインは何となくささげた。
しかしアベルは、自分が育てたものの中から最高のものを選びました。
神さまは、別に穀物や羊を食べるわけではありませんから、その心を受け取ります。
神さまは、アベルのその心を喜んだわけです。

僕たちも、神さまには最高のものを捧げたいものです。
僕たちは、どのような心で神さまにささげ物をするでしょうか?

罪は育つ

神さまは、カインの中に良くない思いが出てきているのを見抜いていました。
このように言っています。

創世記 4:6 【主】はカインに言われた。「なぜ、あなたは怒っているのか。なぜ顔を伏せているのか。
4:7 もしあなたが良いことをしているのなら、受け入れられる。しかし、もし良いことをしていないのであれば、戸口で罪が待ち伏せている。罪はあなたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない。」

この言葉を見ると、カインがささげ物をする前から、何か問題が起こっていたのがわかりますね。
でもそれは、カインが心を改める機会だったことを、神さまはちゃんとカインに告げているのです。

しかし、カインは神さまの忠告を聞きませんでした。
彼は用意周到にアベルを呼び寄せ、待ち伏せして殺してしまったのです。
単にカッとなって殺したのではなく、計画的殺人でした。
これは、法的にも罪が重いですね。

最初の時点で罪を認め、悔い改めていれば、カインは弟を殺すことなどなかったかもしれません。
僕たちは自分の中にある罪(神さまに反抗する心)が小さいうちに何とかしておく必要があります。
放っておくと、僕たちの中にある罪を大きくなり、さらに悪い状況へと向かってしまいます。

新約聖書の中でも、このように書かれています。

ヤコブ 1:15 そして、欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。

僕たちの中には今、どんな罪が生まれているでしょう?
まだ小さいうちにその罪と向き合い、悔い改め、解決するようにしたいものです。

神さまの裁きと護り

カインは、その罪の故にさらなるのろいを受け、エデンからさらに遠い所に置かれることになりました。

創世記 4:12 あなたが耕しても、大地はもはや、あなたのために作物を生じさせない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となる。」

「大地はもはや、あなたのために作物を生じさせない」という言葉は、カインにはかなり思い裁きでした。
彼の背きの罪は、それだけ大きなものだったということですが、神さまはそんなカインさえも憐みました。
「地上をさまようことになれば、私は人々に殺される」と恐れを抱いたカインに、「私が守る」と言ったのです。

「裁きの神」として、恐がられることが多い旧約聖書の神さまですが、神さまはどの時代も変わらず優しく、愛に満ちたお方だったことがわかりますね。

さて、時々議論になるのは、「カインが恐れていた『人々』とは誰なのかということ」です。
アダムとエバの子どもはカインとアベルだけのはずなのに、他の人たちはどこから出てきたのかということです。

そんなことはあまり深くj考える必要はないというのが、僕の考え方です。
「聖書の解釈」以上に、「聖書を通して神さまが伝えたいポイント」を読み取ってそれを受け取ることの方が、何倍も大切なことだからです。