創世記12章 アブラハム契約

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信仰の父

アブラハムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの宗教が「信仰の父」と呼ぶ人物です。

物語は、アブラハムの父であるテラがカルデヤ人の地であるウルを旅立つ所から始まっています。

この時、アブラハムはアブラムという名で、妻のサラはサライという名前でした。
彼らが後にしたカルデヤのウルは、多神教による偶像礼拝の盛んな町でした。
でもそれはウルに限った事ではなく、古代の町はすべて偶像礼拝を中心として営まれていました。

世界中のほとんどの人たちが、世界を創造した神を忘れ、自分たちにとって都合のいい偶像を作って、神としていたわけです。
その中で、アブラムは突然神さまの声を聞きます。

創世記 12:1 【主】はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。

アブラハムは、長年生まれ育ったウルを出るように言われます。
でも、「どこに行きなさい」とは言われていないんですね。
行先もわからなくても、神さまに従って歩み始めなければならない時があります。

私たちの信仰の冒険にも、そんな時があります。
どんな時でも、神さまに従っていきたいですね。

アブラハム契約

12:2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。

これです。
これが、私たち人類に救い主が与えられるという神さまの約束です。
これを、「アブラハム契約」と呼んだりします。
この契約が子たちへと受け継がれ、やがてそれはイスラエルという国へ。
その国からダビデ王が生まれ、さらにその血筋からイエスさまが生まれます。

人間が罪人となったその時に決意した神さまの計画が、アブラムから始まるのです。

この約束がされたとき、アブラムはすでに75歳でした。
そして、子どもはまだ生まれていない。
「大いなる国民とされる」などという約束は、とても信じられないことでした。
でも、信じて歩みだすところから信仰は始まるのです。

信仰者の失敗

さて、そんなアブラムがどんな人物だったかということを物語るエピソードです。
飢饉に見舞われたアブラムたちは、エジプトの地に逃れます。
これが、一つ目の失敗でした。
神様に示され、与えると約束された土地からさっさと離れていってしまったのです。

二つ目の失敗はこれです。

創世記 12:11 彼がエジプトに近づいて、その地に入って行こうとしたとき、妻のサライに言った。「聞いてほしい。私には、あなたが見目麗しい女だということがよく分かっている。
12:12 エジプト人があなたを見るようになると、『この女は彼の妻だ』と言って、私を殺し、あなたを生かしておくだろう。
12:13 私の妹だと言ってほしい。そうすれば、あなたのゆえに事がうまく運び、あなたのおかげで私は生き延びられるだろう。」

信仰の父と呼ばれ、救い主の始祖となる人はどんな人物かと言えば、小心者で、嘘つきの男でした。
そして、アブラム自身の素晴らしさではなく、神さまの介入によって、彼らは問題を切り抜けます。

素晴らしい人だから選ばれる、素晴らしいから救われるのではないのです。
神さまは、何でもない私たちを選び、私たちを救い、私たちを用います。
そこに、福音の真実があるのです。