時代背景① オリエント文明 (アブラハムからヤコブまで)

聖書の中には、歴史的背景を理解しているとわかってくることがいくつかあります。
時々、このような形で歴定期背景についての解説を入れていきたいと思います。
地図や年表に関して、次のサイトを参考にすると便利です。
世界の歴史まっぷ

今回は、創世記のアブラハムの時代からヤコブの時代くらいまでの背景となるメソポタミヤ文明についてです。

目次

メソポタミヤ文明:

歴史上、最古の文明のひとつ。
ティグリス川とユーフラテス川という二つの川があるこの地域は、『肥沃な三日月地帯』と称されるような豊かな土地だった。
そのため、たくさんの民族がこの地に集まり、多くの文明を築いた。
暦には太陰暦が用いられた。
時計の60進法や、週7日性が始まったのも、メソポタミヤ文明からである。

シュメール人の都市国家 (BC3000~BC2350)

(シュメール=葦の多い地方)

シュメール人は、ウル、ウルク、ラガシュなどたくさんの都市国家を作った。
しかし、都市国家間の抗争が激しく、統一国家ができることはなかった。
政治は、神殿を中心に神権政治が行われていたと言われる。
楔形文字と呼ばれる、最初の文字を作った。
文字はパピルスや羊皮紙ではなく、粘土板に刻まれていた。
(ラガシュとウンマという都市国家が、グ・エディン(平野の首)をかけて争った。
このグ・エディンがエデンの園のモデルだと言われている。

ソドムとゴモラの滅亡:(創世記19章)

1800年頃シュメールの遺跡で発見された粘土板によると、この時代に小惑星の爆発が起こったらしい。
小惑星は、オーストリアのアルプス山脈上空で爆発したものと思われるが(だからクレーターはない)、その際にたくさんの破片が降り注いだ。
この時衝突した小惑星は、直径が1.25km。
1908年に起こったツングースカ大爆発の1000倍の大きさの爆発だった。
爆発したのは、粘土板に記されている星座の一からコンピューターで計算すると紀元前3123年6月29日となる。
しかしアブラハムは、計算上は紀元前1800年頃と考えられるので、時代は合わない。
聖書の系図の年数はあまりあてにならない事と、粘土板に記されたものから正確な時間を割り出す事は難しい事が予想されるため、これがソドムとゴモラを滅ぼした原因である可能性はある。

ソドムとゴモラは死海南部に沈んでいると言われている。
死海南部では、聖書に記述されているように、硫黄の玉も発見されているという。

アッカド王国(BC2350-2230)

シュメール人たちの都市国家に侵略し、アッカド人が人類最古の統一王国を作る。
初代のサルゴン1世王は、メソポタミヤと統一し、上の海(地中海)から下の海(ペルシャ湾)までを征服し、『世界の王』という称号を勝ち取った。
紀元前22世紀の終わりには異民族の侵入が相次ぎ、アッカド王国は滅びてしまう。
その後、シュメール人によってウル第三王朝が、メソポタミヤの広域を支配する。
バベルの塔のモデルとされるジッグラトも、この時代にたくさん作られている。
しかしこの国もエラム人によって滅ぼされ、シュメール人は歴史から姿を消してしまう。
最古の文字とされる楔形文字も、これ以降似たような文字はどこにも登場していない。

ウル第三王朝滅亡の後、BC2000からBC1800の間は、いくつもの国に分裂した状態が続く。
アブラハムが生まれたのはこの時代だと考えられる。

古バビロニア帝国(BC1900頃-BC1600頃)

*帝国とは、単一の民族でなく、他民族多言語の人々によって構成される国。
メソポタミヤを統一した第三の王国は、アムル人(エモリ人)によって作られた古バビロニア帝国だった。
後の時代カルデヤ人によって作られたバビロニアと区別するため、古バビロニア帝国あるいはバビロン第一王朝と呼ばれている。

最盛期の王は、6代目のハンムラビ王((BC1792-BC1750)。
ハンムラビ法典を作った王として知られる。
ハムラビ法典は、復讐法と呼ばれる『目には目を、歯には歯を』の言葉で有名。
旧約聖書の律法はこの影響を受けていると言われるが、ハムラビ法典は民法的な法律の書であったのに比べ、律法は宗教的な慣習などが書かれたものであり、意図するところはかなり違う。
『目には目を、歯には歯を』というのは、目をやられたら目をやり返せという意味ではなく、やられたことを倍にして返したくなる気持ちを抑え、目がやられたなら相手の目を奪うだけで我慢しなさいという意味の言葉。
しかし、ハムラビ法典でこの原理が発揮されるのは、同じ身分の場合に限られた。

鉄製武器で武装をしたヒッタイト(ヘテ人)によって滅ぼされる。

ヒッタイト帝国(BC1600頃-BC1200頃)

聖書の訳によっては「ヘテ人」という名で出てきている。

セム系の民族がほとんどの中ではめずらしい、インド=ヨーロッパ系の民族。
鉄製の武器と戦車で、強大な軍事国家として周辺民族を苦しめた。
鉄の製法は門外不出の技術とされていた。
しかしそれほど大きくならなかったのは、国内の権力争いや内紛が多かったためで、ついにそれが滅亡するきっかけとなる。
BC1190年、海の民によって滅ぼされると、鉄の製法も国外に伝えられた。

バテ・シェバの夫であり、ダビデが戦場に送って殺してしまったウリヤの出身国。

ヒッタイトが古バビロニアを滅ぼした後、メソポタミヤを支配したのは、カッシートという民族。(BC16~12世紀)
カッシートに関しては、何系民族だったかという事も含め、あまり多くの事はわかっていない。
後にエラム人に滅ぼされた。

ミタンニ王国(BC1550頃~BC1400頃)

メソポタミヤ北部から地中海沿岸の尻屋までを制圧。特筆すべきことなし。

アッシリア(BC2000頃~BC612)

メソポタミヤ北部にいた、セム系の遊牧民。
BC7世紀頃、古代オリエントを統一することになる。