創世記16章 イシュマエル

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サライの思いつき

さて、15章でさらに神さまの約束を受け取ったアブラムでしたが、それでも子どもが生まれることはありませんでした。
しびれを切らせてきたのは、妻のサライです。
もう、そう考えても自分で子供を産むような歳でもない。
夫は、「神が子を授けてくださる」と約束したというけれど、普通に考えたらもうどうにもならないのではないか?
そこで考えたのは、サライの奴隷だったエジプト人のハガルとの間に子を作らせ、それを後継ぎとして引き取るという方法です。

僕たちの価値観からすると、とんでもないアイデアだと思いますが、当時の社会では普通のことでした。
15章では、「しもべを養子にする」という方法が出てきましたが、アブラムの血縁が続けばいいわけですから、こちらの方が理想的なんです。
さらに、当時の社会で、奴隷は主人の所有物という扱いでしたから、サライの奴隷が産んだ子どもを引き取るということは、法律上は問題なかったし、社会的にもそれほどおかしなことではなかったのです。

それでも、当たり前のように最初からその手段を選ばなかったのですから、ベストではなかったはずです。
できればサライとの間の子どもをと思っていたけれど、ついに「これしかない」という決断だったのだと思います。

ハガルはすぐに身ごもり、後を継ぐことができる子どもができました。
しかし、それはまったく神さまの方法ではありませんでした。
このことは、すぐにトラブルを引き起こすことになっていきます。

この時に問題だったのは、まず

  1. サライが、神さまに聞かずに自分勝手な解釈と方法で問題を解決しようとしたこと
  2. アブラムは神さまに信頼するのではなく、妻サライの言葉を聞いてしまったこと(これは、アダムとエバが善悪の七樹の木から取って食べたときと全く同じ構造でした)
  3. しかも、アブラムはついこの前神さまとのあれほど厳かな契約を結んだばかりなのに、すでに人間の知恵をあてにしてしまっているということです。

ハガル

さて、奴隷だったハガルは子ども授かると、アブラムのために子どもを授かることができなかったサライを下に見るようになっていきます。
女性の恐いところだなぁとも思いますが、こういうことは起こってしまうものなのだと思います。

ハガルの態度が変わってくると、当然サライはおもしろくありません。

創世記 16:5 サライはアブラムに言った。「私に対するこの横暴なふるまいは、あなたの上に降りかかればよいのです。この私が自分の女奴隷をあなたの懐に与えたのに、彼女は自分が身ごもったのを知って、私を軽く見るようになりました。【主】が、私とあなたの間をおさばきになりますように。」

自分が蒔いた種なのにと思わないでもありませんが、アブラムの態度を考えるとサライの怒りも理解できます。
サライにしてみれば「あなたがハガルなんかにデレデレしてるからこんなことになるんです。威厳を持って、奴隷は奴隷として扱ってください」ということなのでしょう。

それに対するアブラムの対応を見ると、アブラムは男としてサイテーな奴だなぁと思ってしまいます。

創世記 16:6 アブラムはサライに言った。「見なさい。あなたの女奴隷は、あなたの手の中にある。あなたの好きなようにしなさい。」それで、サライが彼女を苦しめたので、彼女はサライのもとから逃げ去った。

サライの言葉に、アブラムはハガルをかばうことなくあっさり手放し、サライの好きなようにさせました。
サライはハガルをいじめたので、ハガルは出て行ってしまいました。

さて、もともと神さまが計画していたのではなく、僕たちの間違いから起こってしまうことがあります。
僕たちが計画したわけでもなく、いわゆる「デキチャッタ子」というのは、神さまの目にはどう映るのでしょう?
神さまの計画になかったことなのだから、どうでもいい存在なのでしょうか?

そんなことはありません。
例え僕たちの計画になかったとしても、神さまはその一人一人の存在を愛し、その命には意味があります。
アブラムやサライたちが「失敗」として片づけてしまい、「奴隷とその子ども」くらいにしか思っていなかったとしても、神さまは彼らを見守り、助けてくださいます。

神さまはハガルを見つけ、「今はサライたちの元に帰りなさい。ただ、あなたの傲慢な振る舞いが問題だったから、あなたは彼らに身を低くして仕えなさい」と命じました。

イシュマエル

さらに、神さま(「主の使い」として出てきていますが、神さまの権威を持っているので、これは御子なる神つまりイエスさまとして生まれてくる前のキリストだっただろうと思います)はハガルにこのように言いました。

創世記 16:10 また、【主】の使いは彼女に言った。「わたしはあなたの子孫を増し加える。それは、数えきれないほど多くなる。」
16:11 さらに、【主】の使いは彼女に言った。「見よ。あなたは身ごもって男の子を産もうとしている。その子をイシュマエルと名づけなさい。【主】が、あなたの苦しみを聞き入れられたから。
16:12 彼は、野生のろばのような人となり、その手は、すべての人に逆らい、すべての人の手も、彼に逆らう。彼は、すべての兄弟に敵対して住む。」

ハガルが身ごもった子どもは、神さまが計画していた約束の子どもではありませんでした。
しかしそれでも、神さまはこの子どもを「アブラムの子」として、豊かに祝福すると約束したのです。

そして、その子の子孫もまた、アブラムの約束の子に計画されているように、星の数ほどに増え広がると言いました。
それは奴隷であったハガルにとって、どれほど大きな慰めとなったことでしょうか?

ハガルの子どもには、「イシュマエル」という名前が付けられます。
これは、「神が聞き入れる」という意味の名前です。

このイシュマエルは今のアラブ人の祖先です。
今の世界を見渡してみると、世界の富の大半を、アブラムの約束の子だったユダヤ人と、イシュマエルの子孫であるアラブ人が所有していています。
土地を失ったユダヤ人は商人としての才能が与えられ、土地に根付いているアラブ人たちは、原油によって富を得ています。
現代のこの状態を見ていると、神さまの約束はただただすげーなと感動させられます。

ハガルが神さまと出会ったこの場所は、後にもベエル・ラハイ・ロイ(生きて私を見てくださった方の井戸)と呼ばれるようになりました。