創世記19章 ソドムの滅び
ロト
ロトは、ソドムの町の門のところに座っていました。
それは、彼がソドムの裁判官とか、役人というようなポジションについていたことを意味しています。
すっかり取り込まれてしまっていますね。
聖書では、ロトは正しい人だったということになっています。(2ペテロ6:7)
でも、人間的には未熟で、富や欲望に流されやすい人でした。
聖書の中で書かれている「正しい人」という言葉は、あくまでも神さまへの信仰があるかないかということを表していることが大半です。
でもそれは、僕たちも一緒ですよね。
僕たちは、イエスさまを信じたときに「義人(正しい人)」とされますが、罪を犯さない完璧な人間には程遠いままの状態です。
でも、神さまの目には正しい者とされているということなのです。
さて、そんなロトの前に御使いたちが訪れます。
しかし、アブラハムの元を訪れたときには3人いたのに、ここでは2人しかいません。
どうやら、この中にはイエスさまはいないようですね。
ロトは、彼らを見ると地にひれ伏し、「今日は自分の家に泊まるように」と彼らに願います。
しかも、「今日は広場で野宿すると」ふたりは言っていたにも関わらず、半ば強引に招いたのです。
それは、彼らをソドムの人々から護るためでした。
もともと、ロトが門の所で待っていたのも、旅人をソドムの人々から護るためだったのだと思います。
そういう意味では、さすが信仰者と言えるような、優しさを持っていた人でした。
しかしその夜、旅人がロトの家に泊まっていることを知ったソドムの人々が集まってきます。
創世記 19:4 彼らが床につかないうちに、その町の男たち、ソドムの男たちが若い者から年寄りまで、その家を取り囲んだ。すべての人が町の隅々からやって来た。
19:5 そして、ロトに向かって叫んだ。「今夜おまえのところにやって来た、あの男たちはどこにいるのか。ここに連れ出せ。彼らをよく知りたいのだ。」
こうして迫りくる町の人々から御使いの二人を守るためにとったロトの行動が、ドン引きですよね。
まだ処女の自分の娘たちを差し出すから許してくれと言いだしたのです。
「なんだそりゃ!?」と思うような対応で、実際にうまくいきません。
ソドムの人々はそんなことでは止まることなく迫り寄り、御使いたちの助けによって何とか乗り切ったのです。
ソドム脱出
それからロトたちは、御使いたちの手引きによってソドムを脱出します。
創世記 19:12 その人たちはロトに言った。「ほかにだれか、ここに身内の者がいますか。あなたの婿や、あなたの息子、娘、またこの町にいる身内の者をみな、この場所から連れ出しなさい。
19:13 私たちは、この場所を滅ぼそうとしています。彼らの叫びが【主】の前に大きいので、【主】はこの町を滅ぼそうと、私たちを遣わされたのです。」
19:14 そこで、ロトは出て行き、娘たちを妻にしていた婿たちに告げた。「立って、この場所から出て行きなさい。【主】がこの町を滅ぼそうとしておられるから。」しかし、彼の婿たちには、それは悪い冗談のように思われた。
ポンペイという町のことを聞いたことがあるでしょうか?
紀元79年の夏、ヴェスヴィオ火山の噴火によって瞬時に滅び、火山灰の底に埋もってしまったローマの町です。
18世紀から発掘が開始され、固まった火山灰の中で死体が腐敗してできた空洞に石膏を流し込んでできた当時の死者の姿で有名になりました。
多くの人々が噴火の直前まで気がつかず、日常生活のままで生き埋めになったのです。
しかし、噴火の前には地鳴りや地響きなど、数週間に及んで予兆が続き、彼らはたくさんの地震を経験していたのです。
そんな予兆があったにもかかわらず、人々はそれが火山の噴火の予兆だとは思いませんでした。
自分たちにそんな災難が訪れるはずが無い。そう信じていたのです。
ロトの婿たちは、ロトの言葉を信じず、町に残りました。
妻や娘たちも信じていない様子でしたが、とにかくそこから連れ出されて町を脱出することができました。
ロトを含め、彼らがソドムの裁きから逃れることができたのは、ただひたすら神さまの憐みによったとしかいうことができません。
それでもロトは、山の上まで逃げろと言われる御使いに対して「あんな山までは行けそうにないから、小さな町のあるこっちにしてくれ」と注文をつけるのです。
山の上では行くのが大変だし、今までやってきた牧畜という経験が活かせず、自分の思い通りの生活ができないと考えたのかもしれません。
この期に及んで、ロトは神さまを信用しきることができなかったのでした。
僕たちも神様の命令に注文をつけ、言い訳をし、わがままを並べ立てることはないでしょうか?
それは不信仰以外のなにものでもありません。
しかし、それでも主は忍耐強くそのわがままに耳を傾け、僕たちを取り扱って下さるのです。
このようにして、ロトたちは危険地帯から逃げ出すことができました。
すると日が昇り、神さまの裁きが始まったのです。
ロトの妻
創世記 19:24 そのとき、【主】は硫黄と火を、天から、【主】のもとからソドムとゴモラの上に降らせられた。
19:25 こうして主は、これらの町々と低地全体と、その町々の全住民と、その地の植物を滅ぼされた。
19:26 ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。
「振り返ってはならない」という御使いの言葉を軽んじ、好奇心に勝つことができなかったロトの妻は、振り返ったために塩の柱になってしまいました。
最期の時、おそらく彼女の心にあったのは、生まれ育ったソドムの町並み、自分の家、置いてきた財産、友人たちへの未練だったことでしょう。
死海の片隅には今も、ロトの妻のなりの果てだと伝えられている塩の柱が立っています。
天の御国に入るためには、この世か神様かのどちらかを選択しなければなりません。
僕たちがこの世のことをいつまでも引きずり、後戻りするなら、天の御国にたどり着くことなく最期の時を迎えてしまうかもしれません。
イエスさまはこのように言いました。
ルカ 17:30 人の子が現れる日にも、同じことが起こります。
17:31 その日、屋上にいる人は、家に家財があっても、それを持ち出すために下に降りてはいけません。同じように、畑にいる人も戻ってはいけません。
17:32 ロトの妻のことを思い出しなさい。
17:33 自分のいのちを救おうと努める者はそれを失い、それを失う者はいのちを保ちます。
終わりの時に、このような最期を迎えることがないように、いつも神さまを第一としていたいですね。
さて、こうして救われたロトと娘たちでしたが、娘たちはロトが眠っている間に近親相姦によって子どもを授かります。
ソドムの町で育ったロトの娘たちは、すでにソドムの文化に影響されていたのです。
ロトと娘たちの間に生まれた子どもたちから、モアブ人という民族が生まれてきます。
そしてこの民族は、しばしばイスラエルを苦しめるようにもなってしまったのです。