イースターを祝うことはそんなに大切?

イースターとは?

だんだんイースターが近づいてきましたね。
皆さんは、イースターを知っていますか?
日本では復活祭とも呼ばれ、イエス・キリストの復活を祝う人して世界中で祝われている日です。

最近はディズニーランドでもイースターのイベントがあったりして、一般の人たちにjも知られるようになってきました。
でも、このサイトは聖書のことやクリスチャンの生き方について作っているものですから、そういう観点からイースターについて書いてみたいと思います。

イースターはいつ?

まず、イエスさまが復活したのを祝っているのがイースターなわけですが、それはいつなのでしょう?
イエスさまが十字架にかけられた日として有力とされているのは、西暦30年4月7日か、西暦33年の4月10日だそうです。
これについて考えるのもおもしろいので、その内書いても良いかもしれませんが、ここではサラッと流しますね。

さて、そうすると、イエスさまが復活したのは、十字架で死んでから3日目(3日後ではなく!)ですから、4月9日か4月12日辺りが復活祭の日として祝われてもおかしくないですよね。
でも、イエスさまの復活を祝うイースターの日はクリスマスのように決まった日にはなっていません。
実は、イースターは毎年その日が変わる、いわゆる移動祝日なんです。

まぁ、私たちが普段使っている太陽暦と違い、ユダヤ暦は太陰太陽暦というちょっと特殊なこよみですから、それに合わせるとずれが起こるのは当然のようにも思います。

ところが、これも調べてみてわかったのですが、イースターの日が移動するのはユダヤ暦とは関係がないのです。

例えば、イエスさまが十字架にかけられる前の日(ユダヤ暦では日没から1日が始まるため同日ということになる)が過越祭でした。
過越祭はユダヤ暦でいうニサン15日から始まります。
このニサン15日を調べてみると、2019年は4月20日、2020年は4月9日になります。
その3日目を復活の日と考えるなら、2019年は4月22日、2020年は4月11日が復活祭の日となりそうですが、イースターは2019年が4月21日、2020年は4月12日です。
微妙に違うでしょ?

どうしてこういうことになっているのかというと、イースターは春分の日を基準に決められているからです。
春分の日の後から数えて最初の満月の次の日曜日。
これがイースターです。

なんだか、イエスさまの復活とあんまり関係ないような…。
その通り、イースターはもともと、イエスさまの復活とは何の関係もない日だったのです。

そもそも、「イースター」とはどういう意味でしょうか?
イースターというのは、実はゲルマン神話の春の女神の名前です。
だから春分の日が関係しているわけですね。
死である冬から生命の春は確かに復活を連想させます。
イースターにウサギが出てきたり、タマゴを食べるのも、その辺りから来ているわけです。

それを考えると、クリスチャンたちが「ハッピーイースター!」と言って祝っていたり(偶像崇拝じゃないの?(笑))、ディズニーランドがキリストなしのイースターを祝っているのを見て怒ったり、「本当のイースターを祝いましょう」と言っているのはおかしなことですね。
むしろ、ディズニーランドの方が本来のイースターを祝っているわけです。

なぜ教会がイースターを祝うのか?

キリスト教がローマ帝国で認められ、国教となっていったとき、それまで違う神さまを信仰を持っていた人たちは自分たちの神のお祭りを祝っていました。
ローマ教会としては影響力を強めたいので、民衆が別の神を祝うことは止めさせたい。
でも、それを力で押さえつけるよりはということで考えたのが、この日にイエスの復活を祝う日とするということでした。

厳密に言えば日にちは違うのですが、近いからまぁいいかという感じです。
クリスマスも同じように異教のお祭りをキリスト教のお祭りの日に変えましたものですよね。

西暦325年に開かれた第1ニカイア公会議で、その日付が正式に決められました。
しかし、さらに複雑になってきたのは、教会が西方のカトリック教会と東方の正教に分かれたことです。

16世紀になって西方教会がグレゴリオ暦という別の暦を採用し、それまでに使われていたユリウス暦を使っていた東方教会と暦が変わってしまいます。
だから今でも、カトリック教会が強い地域と正教が強い地域とではイースターの日も違います。(同じ年もある)
ちなみにプロテスタント教会はカトリックから分かれているので、カトリック教会と同じ日をイースターとして祝っています。

イースターって大切ですか?

そうやって考えてみると、イースターって私たちにとって本当に大切なものなのでしょうか?

ローマ帝国の中で作られた宗教としてのキリスト教の流れから考えるなら、これは大切なものだと言えると思います。
制度的な教会、宗教としてのキリスト教会は、ローマ帝国の教会から来ているからです。

でも、聖書の本来のあり方から考えるなら、イースターはあまり大切なものではないように思います。

イースターは完全にキリスト教という宗教が人為的に作ってきた祭りです。
当然、聖書の中には書かれていませんし、「私の復活の日を祝いなさい」とも言われてはいないからです。

僕自身、宗教としてのキリスト教を信仰しているつもりはないので、イースターが大切なものだとは全く思っていません。 (このことに関して、追記があります)

とは言え僕は、「イースターを祝うべきではない」と言いたいわけでもありません。
「せっかくあるものは利用したらいいじゃん」というのが、僕の考えです。

なぜなら、聖書を見ていても、神さまは人々の宗教観や信仰を尊重しながら福音を伝えようとしていたからです。
割礼や、礼拝のあり方も、当時のこの地域の人たちの宗教観を基準にして決められていました。
神さまは別にいけにえを喜ぶわけではないし、焼き尽くされて煙にされたものを食べるわけでもありません。
当時の人々にとって判りやすい方法だったから、そのようにしなさいと言われていた部分があるわけです。

イースターがせっかく日本に定着してきたというなら、それを利用すればいいし、興味を持ってもらうために積極的に祝ったらいいと思うわけです。
イエスさまの復活を祝い、考え、そのことを伝えるにはいい機会であることは確かです。
この機会を積極的に使いましょう。

ただ、それを考えるなら、僕たちは日本の習慣なんかもうまく取り入れて祝った方がいいですよね。
西洋の習慣から来たイースターやクリスマスは霊的に正しいものだけれど、日本の習慣は止めるべきというのは、西洋キリスト教の傲慢だとしか思えません。
西洋の教会が異教の習慣を取り入れて福音を伝えようとしたように、日本のクリスチャンも日本の習慣を取り入れて祝えばいいじゃないかと思うんですよね。

*追記: 「レビ記の中で教えられている『初穂の祭り』が、復活を祝うための祭りとして教えられている」というご指摘がありましたので、補足させていただきます。
「初穂の祭り」には、確かにその意味がありますね。
パウロのこの言葉からもそれがわかります。

Ⅰコリント 15:20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

これは、イエスさまの復活の意味を表すものとしてイスラエル人が行うように言われてきた大切なお祭りでした。
ヘブル的(=ユダヤ人的なということ)になることが大切なことだと考える人たちにとっては、このお祭りを今も行うことは大切なことだと思います。
でも、そうなのであればなおさら、それは「初穂の祭り」として祝われるべきものですね。
イースターはそれとは全く違うお祭りのキリスト教化でしかないということが言いたいのです。

僕が大切にしたいのは、僕たちがイスラエル人のようになってその習慣をまねすることでも、西洋のキリスト教という宗教の中で作られたことを行うことでもありません。
また、これも誤解されがちですが、キリスト教を日本の宗教に合わせて考えようという話しでもありません。

神さまが与えてくださったそれぞれの文化や価値観の中で、イエスさまを見出し、神さまを崇めることが大切であり、それは形骸化してしまった宗教的なことの中ではなく、生き方そのものにあるべきことだと考えているんです。