創世記39章 罠と祝福
ポティファル
エジプトに連れてこられたヨセフが奴隷として仕える事になったのは、ポティファルというファラオの廷臣の家でした。
ヨセフは奴隷になってしまったことに絶望してしまうのではなく、希望を持ってこのポティファルの元で仕えていきます。
これこそ信仰者の生き方ですね。
絶望的な状況でも、神さまと共にいるなら、希望を持って生きることができます。
信仰をもって希望の中で生きるとき、そこには祝福も伴います。
創世記 39:2 【主】がヨセフとともにおられたので、彼は成功する者となり、そのエジプト人の主人の家に住んだ。
僕たちが祝福されるので、僕たちが仕えるところにも、祝福のお裾わけが流れていきます。
ヤコブの時にも、彼に与えられた祝福によってラバンが祝福されましたね。
ヨセフが余りに忠実で、素晴らしい働きをするしもべだったので、ポティファルはやがて、ヨセフに家の管理を全てまかせ、全財産を預けるようになります。
ポティファルの妻
さて、それなりの成功をおさめ、神様の守りを感じていたのも束の間、またも状況は逆転します。
ポティファルの妻がヨセフに言い寄るようになったのです。
この時のヨセフは立派でしたね。
主人の妻の誘惑を退け、その場を立ち去ります。
しかし、自分のものにできないと知ったポティファルの妻は、ウソをついてヨセフを罠にはめます。
自分のものに出来ないと知ると、ヨセフを策略にかけて牢獄に入れてしまったのです。
奴隷から囚人へ。
どう考えても絶望的な事態となっていく中、それでも神さまの祝福は留まりません。
創世記 39:21 しかし、【主】はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。
39:22 監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手に委ねた。ヨセフは、そこで行われるすべてのことを管理するようになった。
39:23 監獄の長は、ヨセフの手に委ねたことには何も干渉しなかった。それは、【主】が彼とともにおられ、彼が何をしても、【主】がそれを成功させてくださったからである。
神さまが与える祝福って、こんな感じです。
状況が良くなるとは限らない。
時にはどんどん悪化していくようにしか見えない時もありますが、神さまはその状況の中で祝福を与えてくださるのです。
そのために必要なのは、僕たちがいつでも神さまに信頼し、どんな時でも聞き従うこと。
ヨセフには、そういう姿勢があったのだと思います。
あるいは、兄たちに裏切られる中で、学んだことだったのかもしれません。
どう考えても絶望的で、精神的なダメージも大きい状況の中で、ヨセフは神さまの導きを聞き、それに従い、隣人を愛し続けました。
僕たちも、そういう者でありたいですね。